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天宙一貴い存在

09_2012_07_16_D0211②人間が貴い理由

 万物世界のどこを見ても、必ず起源があります。起源がなくてはならないのです。では、その起源において人間が中心であったかという問題、そして私たちが見ている鉱物世界と植物世界のうちどちらが先かという問題も重要な問題です。“萬物之衆 唯人最貴”と言われますが、人間が最も貴いとは誰が言ったのでしょうか。万物のうちでただ人間だけが貴いという決定を誰がしたのでしょうか。それなら植物界を見るとき、個々の植物は貴くないということでしょうか。もちろん貴いですが、万物の中で最高の価値の内容を持っているのが人間なのです。では、その貴いというのは一人の人生について言うのでしょうか?それとも、私たちは先祖から血族を通して続いてきたその一人ですが、私たちの先祖たちもみな含まれるのでしょうか。また、これから生まれてくる子孫たちも含まれるのでしょうか。それを誰が決めたのでしょうか。誰が決めたのかという問題を考えるとき、その決めたこと自体を本当に信用できるのでしょうか。これが問題です。

 それでは、“人間は貴い”“あの人は貴い人だ”と言う時、それを誰が決めるのかというのです。この問題について考えるとき、私たち自身がそのように決めるのよりも、動機となるに足る、根源となるに足る中心者、ある主人がいて、その主人が決めたのなら認めることができます。しかし、自分が決めた、私たちが決めたと考えるなら、私たちというもの自体が今日、自分の生活を中心に行くべき方向も知らない者ですし、今世の中に生きる人もそうではないですか?ただ動物のように生まれて生きて死ぬのが人生のすべてだ、このような立場の人間として自分自身が万物の中で一番貴い存在だと決めたとしたら、それ自体信じるに足りません。自分を信じられない、こんな立場に立っている自分を中心としてその自分が貴い立場にあるという決定をしたところで、それが全宇宙から認められた事実として普遍化できないということです。

 それでは、誰が決めなければならないでしょうか。すべてを存在せしめる、ある原因的な存在が…。鉱物世界を見ると、無限な元素が互いに結ばれています。その鉱物世界の神秘的なすべての構造と形態というものは、でたらめにできているのではありません。必ずある方向性を中心としてその目的と価値を持っているのです。植物も同じですし、人間も同じです。すべてを存在せしめる一人の主人がいて、その主人から「お前は私が作った万物の中で一番貴い」と言われれば、それは全体が認めることができます。そうなるには、自分自身が貴いと認めることのできる根本的な存在と関係がなくてはなりません。

貴い存在になるためには

 では、“貴い”というとき、現在の立場を持って貴いというのか、自分が生まれてきて生きていく中で人生の目的を完成させる内容全体を中心として貴いというのでしょうか。いくら考えても、自分が生きている現在の立場、生活圏自体を中心として貴いとみることはできないのです。“人間には、責任と目的完成の内容を中心とする貴い価値が与えられている”ということを考えないわけにはいきません。

 そのような立場から見るとき、自分は何でしょうか。自分は何なのでしょうか。人間が貴いことを願う自分は何なのでしょうか。そう願うことが一つの根源となって、ある過程を経て目的地まで行った後でなければ、貴いという価値の決定は不可能なのです。その目的を達成する過程で「自分は貴い」というのですが、実際には、まだその位置に到達できずにいることを考えなくてはならないのです。だから「人間は完成しなければならない」というでしょう?

 人間は何が貴いのですか?立って歩くことですか?熊の子でも立って歩くことはできます。人間の勝っているものは何ですか?人間が勝っているのは、神様と愛し合う資格があることです。

 人間が最も絶対的に知らなくてはならないのは何かというと、根源です。神様をはっきりと知り、自分の親をはっきりと知り、自分の夫をはっきりと知り、自分の子をはっきりと知り、自分の兄弟をはっきりと知ればよいのです。その次に、兄弟がこれから生きていける国をはっきりと知ったら全て終わるのです。それが一番です。

 どこかの大学を出て大学院に進んで博士になったと言いますが、博士など何になりますか?お母さんや妻・兄弟と帰ることができますか?親と帰ることができますか?最も貴いものを持っていながら、その貴さに気付かずにいる人のことを何と言いますか?愚か者、人でなしと言います。

【二世の道p61より編集・抜粋】

Category: み言の学校