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真なる愛の対象

2012_06_20_D0266-2神様のもとに行く唯一の道

 聖書で使徒パウロは、“私たちは、どんなに立派なことを話し、おこなったとしても、神様の前には塵に等しい”という意味のことを言っています。私たちはどんなに立派なことをしたとしても、神様の恩寵がなければ神様のもとに行けないようになっています。このことを私たちは忘れがちです。

 社会には、自己啓発や肯定的な生き方を教える本が数多くあります。それらの本は、私自身を愛しなさい、私自身を信じなさいと教えています。私自身を賛美しなければならないという話です。自分だけを愛するという法度を学べば、力が出てくるかもしれません。しかし結局は、神様を愛するより以上に自分自身を愛するようになってしまうのです。それは、自分だけを愛し、自分だけを賛美して、自分を神として作り上げてしまうという間違った道に陥りやすいのです。結局、神様の名を汚してしまうのです。ですから、自分は完璧ではないということを認めて、神様の恩寵があるがゆえに信仰者、義人になることができたのだということを悟らなければなりません。

 聖書にあるように、信仰も神様の恩寵です。我々が信仰するかしないかは自分で選択していると思うかもしれませんが、そうではありません。信仰することも神様の恩寵圏内にいるからこそ可能なのです。

 完璧ではない自分が神様の前に出ていくことのできる唯一の道とは何でしょうか?神様から送られてきた息子、キリスト、真の父母様を通す以外にありません。その方によって、サタンの血統から神の血統にチェンジされていくのです。悪なる人から善なる人になっていくのです。このことが本当に分かれば、全てのことが賛美になっていくのです。そのような訓練は簡単ではありませんし、誰も完璧にはできませんが、最善を尽くして努力しなければなりません。

愛による絶対服従

 真の父母様を愛するがゆえに私たちは服従します。服従する理由は、強制的なものではありません。私が浮気をしない理由は何かというと、法度とか法律の故ではありません。神様が地獄に行くと言っているから、などという理由ではありません。妻を愛しているからです。愛があるがゆえに法度を守るのです。愛があるがゆえに、愛する対象を傷つけるようなことはできないのです。

 絶対服従は一番美しい姿です。なぜならば常に愛によってつながっているからです。日本の食口の皆さんが、真の父母様に絶対信仰、絶対服従している姿を見る時、本当に美しいと思います。真の父母様が怖いから、真の父母様の審判を受けるからではなく、本当に真の父母様を愛しておられるから、義人の道を歩んでいらっしゃるのです。

神様の愛の夢

 皆様、よく考えてみてください。神様の夢は何だったのでしょうか?創造理想は何でしたか?私たちは、理想世界、理想家庭を立てようとされたと考えています。それも間違いではありませんが、もっと重要な答えは“真なる愛の対象”だということです。それが神様の夢であったのです。

 その真の愛の対象が、完成したアダム・エバでした。その完成したアダム・エバとは、真の父母様でいらっしゃいますね。そのお方こそが、まさしく神様の愛の夢なのです。そこから真の家庭が現れ、氏族、民族、国家、世界、天宙に拡大していくのです。真の父母様は神様の愛の夢であられたのです。

 では私たちは何を成すべきでしょうか?神様の夢を完成しなければ、私たちは何をしなければならないのでしょうか?神様の夢を愛さなければなりません。全世界がその夢を愛し、真の父母様を愛するようにしなければなりません。

 そして、この方が私の父母であり、この方が私のために死んでくださって、また死んでくださって、また死んでくださったのだと知った時、私はこの方のために生きていかなければならないということを悟るようになるでしょう。

 そうなれば天一国は来ます。地上天国は必ず来ます。皆様、“真の父母様億万歳”を賛美する時に、そのような心を持ってください。毎日、精誠を尽くす時、“真の父母様億万歳”と賛美する時に、そのような愛を持ってください。そうすれば私たちの生き方が変わっていくようになると信じています。アージュ。

【TWJ天暦6月号より抜粋・編集】

Category: み言の学校