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預言者の道を歩まれたイエス・キリスト その7:イザヤ②

穴につるされ、みじめに殺されたイエス様

 預言者イザヤは神殿の中で、呼ばわる者の声を聞きます。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主、その栄光は全地に満つ」(イザヤ6・3)。彼は、神の聖性を仰ぎ見ながら預言を語ります。そのメシヤ像は、聖なる方、栄光の王、平和の君でした。

 イエス様は、神様から遣わされた尊いひとり子、平和の王であったのに、見た目は他の人々と全く変わる所がありませんでした。そればかりか、その最後は惨めなものでした。

 「わたしは穴に下る者のうちに数えられ、力のない人のようになりました。すなわち死人のうちに捨てられた者のように、墓に横たわる殺された者のように、あなたが再び心にとめられない者のようになりました。…あなたはわたしを深い穴、暗い所、深い淵に置かれました。」(詩篇88・4-6)

 詩篇には、こんな嘆きの祈りがあります。

イエス様は死の前日、ゲッセマネの園で捕えられて大祭司の邸に連れて行かれます。その夜、邸の地下の暗い穴に、屠られた家畜の如く吊るされていたと言います。明け方引き出され、ローマ総督ピラトの前で裁かれ、ユダヤ人に引き渡されて処刑されます。そんなイエス様には、栄光のひとかけらも見られません。

 ユダヤ人が期待したように、イスラエルをローマ帝国から解放し、平和の王として君臨することはありませんでした。しかも、神様にも呪われたかのような、木に架けられて殺されるという最期でした。それがどうして栄光の王、平和の君なのでしょうか。復活を経験したイエス様の弟子たち以外にはとても信じることのできないできごとばかりです。

苦しむ僕の姿を取られたイエス様

 ところが、マタイの福音書には、イエス様の十字架の傍らで番をしていたローマ兵が、この時の様々なできごとを目の当たりにして、「まことに、この人は神の子であった」(マタイ27・54)と言ったと記してあります。さらに、4つのどの福音書も、イエス様の受難と十字架の死を包み隠さず伝えています。彼らは、このみじめな死刑囚を、メシヤであると自信をもって宣教しているのです。

 ユダヤ人たちにはとても受け入れることのできないと思われた事実が、却ってメシヤの証となっていきます。その論拠も、また預言者イザヤのメッセージの中に見出していったのです。

 「だれがわれわれの聞いたことを信じ得たか。主の腕は、だれにあらわれたか。」(イザヤ53・1)

 惨めな主の僕の姿が、そこに浮かび上がってきます。

 「彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。」(イザヤ53・2-5)

 死と復活を目の当たりにしたイエス様の弟子たちには、イザヤが語った苦しむ主の僕こそが、人々の罪を担い十字架の死を越えて行かれたイエス様の姿と映ったのです。

預言者イザヤとそのメッセージ

 イザヤは、南朝ユダ国のウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの4代の王の下で預言者活動を展開しました。それは紀元前8世紀の半ばから紀元前7世紀の初めにかけての時代です。

 “主の僕の歌”に歌われた苦しむ僕の姿は、もともとはイスラエル民族のことだと受け止められてきました。ハランを出て約束の地に向かって歩み始めたアブラハムに始まり、神の前に命まで捧げることを求められたイサク、ラバンの下で苦労したヤコブら父祖たちの人生は苦労の王様でした。その後孫のイスラエル民族も、エジプトの奴隷のくびきにつながれて400年間苦労してきました。カナン入国後も、列強との戦いに明け暮れ、気の休まる時はなかったのです。

 それは、神様が「あなたは祝福の基となるであろう」(創世記12・2)とアブラハムに約束されたがためであり、アブラハム、イサク、ヤコブの三代がその約束を信じて生きたためでした。神様の祝福の素晴らしさを思えばw、どんな苦労も軽いものでした。イザヤは、民族にその原点を思い起こさせました。主の選ばれた義人が被る苦労には、人類にとっての特別な意味があることを王と民に伝えました。

 後にイエス様はイザヤの預言のごとく歩まれ、その意味を明かなものにしたのです。

Category: 誌面説教