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人間の特性

2012_06_20_D0202人間と神様の関係性

 統一教会の原理では、神様は無形の絶対的主体であり、二性性相の中和的主体として存在される方だといいます。二性性相として存在される神様の分性的実体としてアダムとエバを創造されたというのです。そしてアダム・エバが成長すれば、愛を中心として横的に結ばれ、縦的に神様と関係が結ばれるということです。つまり、アダムとエバが成熟したら、神様の男性性稟はアダムの心の中に入り、神様の女性性稟はエバの心の中に入るのです。しかし、神様が分かれるわけではありません。そのような二性性相の主体であられる神様なので、アダム・エバの心の中に臨在することができるのです。

 アダムは人類にとって何かというと、目に見えない内的な父に侍る実体的父の立場に立つのであり、またエバは内的な母である神様に侍る人類世界の実体の母として立つのです。こうして縦的基盤から横的基盤に拡大させるのです。

 神様はなぜアダム・エバを必要としますか?二つの目的があります。一つは、愛の理想を成就することです。二つ目は何ですか?無形の神様が形状を持って現れるためです。そのため、無形の神様が有形の形状を持って有形世界と関係を結ぶことのできる基礎、その核がアダム・エバなのです。

神様の愛の対象

 人間は宇宙の被造物の中の傑作です。どれくらいの傑作かというと、皆さんが考えも及ばないほど大きく素晴らしい作品なのです。それならその主体者、つまり絶対的な神様がおられて人を創ったのなら、神様ご自身の話すこと、見ること、感じることを人が感じられないようにつくるでしょうか?

 神様は被造万物の中に神様の愛の対象となるものを創ったのですが、その存在が私たち人間です。神様の愛の対象を創るために全身全霊を込めて、ご自身のすべてを投入しきったのです。愛の対象を立てるため、神様はご自身のすべてを投入したのです。そうして何をしようとされたのでしょうか?宇宙に愛の核を定めようとされたのです。それが創造理想だったのです。

息子・娘としての人間

 今日、多くのクリスチャンたちは、神様は唯一無二の方であり、絶対的な方であり、創造主であり、神聖な存在として最高の位置におられるため、創造物である人間と創造主とは関係を持つことができないと考えています。創造物は卑しいもので、創造主は絶対的で神聖な方だと考えています。しかし、愛の概念を中心として見るとき、いくら至高至善の神様で、例え卑しい被造物だとしても、愛の関係を結ぶためには人格的な内容が似ていなければなりません。心情的内容が同じでなければなりません。つまり、人格を持った人間と性稟が同じでなければならないのです。

 従って人間は誰に似て生まれたのでしょうか。神様に似て生まれたのです。それで統一教会の食口は「神様は私たちの父だ。私たちは神様の子女だ。」と言うのです。これは何を意味していますか?私たち人間は神様に似て生まれたということです。

 本来人間の特権は何かと言うと、どんな人であれ天の王国世界において王子として生まれることのできる権威を持っているのです。王女として生まれることのできる権威を持っているのです。それが人間の価値です。それが本来の人間の権威でした。

 では、人間の願いは何でしょうか?人間の理想や願いといったものは何でしょうか?どこに帰結するのでしょうか?何だと思いますか?その一つ目は何ですか?神様の息子や娘になるのが人間の最大の希望に違いないという結論になります。次は何ですか?神様に愛される息子や娘になることです。次は何ですか?神様のすべての存在を相続すること、それ以上はありません。分かりますか?人間の願いは何ですか?神様の子女になること、神様に愛される子女になること、神様のすべての存在を相続できる子女になること、これが全てなのです。

【二世の道p46より編集・抜粋】

Category: み言の学校