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心身統一②

修業と日常크기변환_870W0510

 私たちの中には、個人的修養について十分に理解し、強調しないまま、家庭のみを重要視してしまう傾向があります。“真の家庭建設”という目標に向かっていく過程で、個人の適切な精神的訓練はあまりせず、ただ“真の家庭”という枠にあてはめようとします。

 家庭間においても、腹を立てれば人を批判したりしますが、実際にこれは、自らの怒りを調節できないために起きる現象です。じっと内面をのぞき込んでみれば、自分の内面の“調整力不足”を正当化させたり、さらには、それを覆い隠したりしているのです。私たちは時折、“真の家庭”という名のもとに、子供たちにいかなる疑問も提示できないように、強制的な接し方をしようとします。

 このような問題は、家庭を構成している、より根本的な“個人”を見落としていることから来るものです。私たちの統一思想は、ほかの思想と最も大きく区別される特徴の一つとして、“家庭の重要性”を挙げています。これは正しいとしても、より重要な統一思想のテーマである“個人完成”や“心身統一”の必要性、また“横的八段階”の完成は、個人から家庭、氏族、社会、国家、世界、天宙、神様へと拡大していき、その第一段階は個人であることを忘れがちなのです。

 まず個人的な段階からの修養をおろそかにしては、真の家庭はつくることもできず、訪れることもないということです。もし、家庭の一人ひとりが、権勢をものにするために競争し、ほかの家庭に裁きの矢を放ったり、あるいは怒って乱暴になったりすれば、真の家庭と距離が遠くなることは自明の理です。心と体を統一し、怒りと憎しみと恨みを和らげ、感謝の思いと共に、内面の調和と喜びを育てたならば、より健康で祝福された結婚生活と家庭を作るチャンスが多くなるのではないでしょうか!

 率直に私たち自身を振り返ってみれば、家庭内での子供の誤った行動の原因を配偶者だけのせいにし、自分の権威を前に立てて自分のいうことだけを聞くように強要したり、自らが置かれた“内的な苦痛の場”にあって、ほかの家族に怒りを向けたり、自分の失敗を認めないなど、様々な誤りを犯している姿を見るようになるでしょう。日の沈むころ、海辺で妻と子供たちと一緒に踊っている一人の男性のイメージのような、“空想の幸福な家庭”の姿ではありません。家庭という枠の中で生きている事実は、夢を見るように漠然としたものではなく、非常に実際的なことなのです。今、描写したような幸福な家庭の姿は時々あるかもしれませんが、それだけが全てではないことは明らかです。海辺で永遠に踊っていなければならないとすれば、それほど辛いことはないでしょう。特に、夜になって疲れ、周りで震える子供たちが「家に帰ろう」とせがんで泣き出せば…。

世界平和は心身統一から

 私自身の生活を見るとき、父と夫の役割をしながら、同時に厳格な霊的修練をしていくということは、とても大変であると認めざるを得ません。しかしそれは、価値あることであるばかりでなく、統一教会員的な考えであり、努力であると信じています。たくさんの統一教会の信徒たちが、霊的な訓練を追及すると同時に、より良い父母と配偶者になろうと熱望してきました。個人の段階から霊的な訓練をするならば、子供たちや愛する人たちと過ごす時間を、どのように霊的な修練と実習の延長として変化させ得るべきかを学べるでしょう。

 真の父母様は、私たちに個人完成と真の家庭を成すことよりもっと多くのこと、例えば、社会で働き、真の国家を建設することなど、より大きなことを期待していらっしゃることをよく知っています。しかし、私は、最も基本的なこと、ここでは個人的統一と真の家庭を成すことが、世界平和など、より大きな目的を成すにおいての跳躍台となることを疑いません。

 世界平和を成すことと、個人の心と体の統一することは、基本的に別々のことではないのです。私たち自身の変化なくして世界を変化させようとすること、自分は変わっていないのに家庭を新しくしようとすること、個人の改革なくして社会を改革しようとするようなことはあってはいけません。改革は、最も基本的な段階、すなわち一人の男性と一人の女性が、それぞれの心と体を一つにしたのち、夫と妻となり、健全で堅固な真なる家庭をつくることから始めなければなりません。

【天和堂p10より編集・抜粋】

Category: み言の学校