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真の友達

心情を通わせるkorea_0219-2

 ただ顔を知っているだけ、挨拶するだけで過ごした友達の家に行って、自由な感じがしますか?自由ではないのです。友達同士の間でも、互いに確かな心情的つながりがあり、自分は友達の生活を思い通りに侵犯でき、さらに友達はこちらの生活を自由に侵犯できてはじめて自由なのです。このような因縁を結ぶためには、必ず情的に近づかなければなりません。そうなれば、外的な問題はすべて解決するのです。いちばん問題になるのは心情的問題です。

 人々は友達が欲しいという時、涙のある友達を願います。かといって、一日中泣いてメソメソしている、そんな友達が欲しいのではありません。涙のある反面、笑いに満ち溢れた人を願うのです。人はいつでも、しかめ面をしていてはいけないのです。そんな中でも、あふれる喜びを見出せなくてはならないのです。ですから、福を受ける人はどんな人ですか?人が泣くとき、一緒に泣いてあげる人が福を受ける人です。そうなのです。福というのは、永遠に離れたくないところにやってくるものです。

 誰よりも親しく愛される友達になろうと思えば、その人の悲しみと苦痛を知り、その人を支え、慰めてあげなければなりません。そうして初めて、その人の友となり、その人を支配できるのです。心情を通し、愛で因縁を結んだなら、その人が自分の思い通りに動き、自分もその人の思い通りに動くことができるのです。

 10人の友達のために犠牲になる人がいるとすれば、10人を統率できる中心者として誰を立てるべきかという時、10人のために犠牲になる人を中心者に立てようとするのです。中心者として立てる場合だけでなく、その人が自分を完全に犠牲にして、彼らが安心できるようにすれば、自分たちを指導してくださいといって、自分たちの指導者に立てるのです。

友達のために犠牲になる

 皆さんが学校で、10人の中で一番よい友達を選べというとき、10人の心情を知り、10人の事情を知り、10人のために尽くす友達が一人いて、一方、10人全員に自分のために尽くせという友達がいたならどうなるでしょうか。10人全員に対して私に尽くせという人は追い出され、10人全員のために尽くす人は主人になるのです。

 ある人に10人の友達がいるとします。その人が、10人の友達に対して全体に奉仕し、犠牲になり、生命を懸けてために生きる時、その10人の友達は、その人のためだけではなく、自分の親戚とか、自分の友達の前まで連れていって紹介し、誇ろうとします。しかしながら、その反対の立場で、10人の友達に全部自分だけのためにしてくれと言うときには、一人だけでなく全部が離れていってしまうのです。そのようにしていなくなるから滅びるのです。

 真なる友達はどんな友達かというのです。10人の友達がいて、その中で一番の真なる友達は誰か?10人のためにより犠牲になろうという人です。自分の利益を追求せず、10人の利益を自分の利益よりもっと尊重視しながら、1日の生活から1年の生活を通じて、青春時代から老年時代まで友達のために一生をそのように生きるという人が、友達の中の真なる友達にならざるを得ないのです。

 真なる友達とはどんな人か?普通人間たちが願う心と反対の立場で、自分を懐かしがってくれ、自分に接することのできる人です。普通、人やいいものがあると、自分のものと言いますが、いいものがあればその友達のために「これはお前のだ」と言える友達であってこそ真なる友達と言うのです。全部反対です。「おいしいものがあれば、自分が食べる」と言うのが、普通の人の心ですが、「おいしいものは、お前が食べろ」と言える人、世の中の普通の人なら「悲しいものは、おまえのもの、いいものは私のもの」こう言うだろうけれど「悲しいものは、私のもの、いいものは、おまえのもの」と言える人がいい人なのです。

 幸福な人はどのような人か?悲しい時、自分の心を分かってくれる友達を持った人です。幸福な人はどのような人か?苦痛を受ける時「その苦痛を私が代わりに受ける。あなたはその苦痛の場に行くな。私が代わりに行く」と、生命を捨てる覚悟をして立ち上がることのできる、友達や愛する息子や娘を持った人です。その人は、幸福な人です。

【二世の道p181より編集・抜粋】

Category: み言の学校