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預言者の道を歩まれたイエス・キリスト その6:エレミヤ②

滅亡の預言「預言者エレミヤ」神が「エルサレムが廃墟になる」という預言を、若者に書き留めさせているアンリ・レーマン1842年

 北イスラエルを滅ぼしたアッシリアを新興の新バビロニア国が滅ぼし、南ユダ国を窺い始めた頃、エレミヤは神様の召命を受けて預言活動を開始しました。彼の預言者としての活動は実に40年近く続きます。

「その時、主の言葉がわたしに臨んだ、『主はこう仰せられる、これと同じように、わたしはユダの高ぶりとエルサレムの大いなる高ぶりを、破るのである。』」(エレミヤ13・8-9)

 彼のことばは南ユダ国の王、祭司、国民にとって厳しく響きました。預言者は、それが口に苦いものであっても、神が語れといわれるので、押しとどめることができません。

 ある時は、陶器を抱えてベンヒンノムの谷に行き、これを砕いて見せながら語ります。「万軍の主はこう仰せられる、陶器師の器をひとたび砕くならば、もはやもとのようにすることはできない。このようにわたしはこの民とこの町とを砕く。」(エレミヤ19・11)

 神のことばに聞き従わず、モーセの時に交わした契約を守らない民の行く末は、奴隷となってバビロンに下り命だけは助かるか、都に留まって戦いと飢饉と疫病のために死ぬかのどちらかしか残されていないと言うのです。

 そして、エレミヤが語ったとおり、遂にネブカドネザル二世がエルサレムに侵攻し、紀元前586年、エルサレムは破壊され、王族や技術者たちがバビロンに連行されたのでした。

虐げられた預言者

 真実のことばを語る預言者を人々は憎みました。エレミヤは投獄され、虐げられ、最後は、混乱の最中にエジプトに連行され消息を断ちました。

 エレミヤは神から召命された預言者であるがゆえに、南ユダ国のために、いかに厳しい内容であろうと、神のことばを語りました。しかし、そのため人々からは顧みられませんでした。神の子として来られたイエス様も、公生涯においてはそのような道を行かざるを得ませんでした。故郷の会堂から追われた時に呟いています。「よく言っておく。預言者は、自分の郷里では歓迎されないものである。」(ルカ4・24)

 70年間に及ぶ捕囚の苦悩と解放後の復興の歳月を過ごした後に、ようやく、ユダヤ人たちは預言者エレミヤを誉め称えていいました。

 「異国の民は聖所のある選ばれた町に火を放ち、ちまたは荒れ廃れた。エレミヤが預言したとおりである。人々はエレミヤを虐げた。このエレミヤは、抜き取り、苦しめ、滅ぼすために、しかしまた、建て、植えるためにも、母の胎にいるときから預言者として聖別されていたのである。」(シラ書49・6-7)

新しい契約

 エレミヤの語る預言が現実のものとなって迫り、滅亡の危機に瀕している時に、預言者は未来の希望を語り始めます。

 「主は言われる、見よ、わたしがわが民イスラエルとユダの繁栄を回復する日が来る。主がこれを言われる。わたしは彼らを、その先祖に与えた地に帰らせ、彼らにこれを保たせる」(エレミヤ30・3)

 一定の期間を経るならば、民は許されて捕囚の地から救い出され、神殿は再建されてエルサレムは復興されることを告げます。さらに、ダビデの末から公正と正義をもって国を治める者が現れることをも預言します。

 そして、その時には、神はイスラエル民族と新しい契約を結ぶと約束します。

 「すなわちわたしは、わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となると主は言われる。」(エレミヤ31・33)

 それは、かつてモーセに与えた律法のように石に刻んだものでもなく、実行するのが困難なものでもない。人々はみな、教えなくても心の内に神を知る者となるというのです。

 エレミヤが希望のメッセージを遺してから600年近くが経った時、新しい契約の主として来られたのがイエス様でした。

 「わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。」(マタイ5・17-18)

 モーセ以来イスラエル民族が遵守してきた律法の核心的教えは“神を愛し、人を愛する”ことでした。その律法の完成者として来られたイエス様でしたから、人々と新しい契約を結ぶことができるはずでした。なぜなら、神のひとり子として来られ、父なる神の愛の相対であったからです。

Category: 誌面説教