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原理講論を読もう♪㉔

油を注がれた者DOC120223

 今月号からは原理講論第4章『メシヤの降臨とその再臨の目的』について学んでいきたいと思います。第4章はイエス様に関連する話が多く出てきますが、原理講論はクリスチャンを伝道することを念頭に置いて書かれた書物なので、新約聖書の内容を熟知しているという前提で話が進みます。そのため聖書を全く読んだことのない人が読むと内容を理解しづらいですし、理論は分かったとしても、その深い心情世界までは感じづらいのです。第4章『メシヤの降臨とその再臨の目的』を学びながら、理解しやすいように補足していく予定ですが、時間を見つけて新約聖書の“○○による福音書”を読んでみることをお勧めします。4つの福音書は全てイエス様の生涯を記したものですので、原理講論の理解に大きく役立つと思います。

 “メシヤ”という言葉はヘブライ語で“油を注がれた者”という意味ですが、一般的には“王”を意味しています。“油を注ぐ”とは、モーセの時代に祭司たちを任命する際に油を注ぐよう法律で定められていたことから由来します。(出エジプト記28・41)また統一王国時代にはダビデが王として油が注がれている場面が記述されています。(サムエル記下2・4)

 初めは為政者を意味する儀式でしたが、ダビデを境にメシヤとは“イスラエルを復興・繁栄させるために神から送られる偉大な指導者”という特別な意味が込められるようになります。(“キリスト”という言葉はギリシア語で“メシヤ”という言葉に該当し“救世主”と訳されています)そしてイスラエル民族の中に現れる偉大な預言者たちが“メシヤの降臨”を繰り返し預言するなかで、イスラエル民族は“メシヤの降臨”をいつしか待ち望むようになりました。これが“メシヤ思想”です。イザヤという預言者は“メシヤの降臨”を下の聖句のように預言しました。

 それゆえ、主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。見よ、おとめがみごもって男の子を産むその名はインマヌエルと名付けられる(イザヤ書7・14節)

 この聖句はイエス様が生まれる前に、天使がイエス様の父親・ヨセフの前に現れて引用するほど有名な預言です(マタイによる福音書1・23)

 少し横道にそれますが“預言”と“予言”は読み方は同じですが、意味が全く違います。“予言”とは予め起こることを言い当てることです。古いですが1999年地球滅亡・ノストラダムスの予言などがこれに該当します。一方“預言”とは言葉を預かることを意味します。誰の言葉かというと、他ならぬ神様の言葉です。預言者とは未来を言い当てる人を意味するのではなく、神様の言葉を預かりイスラエル民族に正確に伝える人のことを意味するのです。

メシヤ降臨の目的

 またキリスト教においては、イエス様は唯一無二の“メシヤ”ですが、ユダヤ教においてイエス様はメシヤではありません。むしろ異端者です。イエス様はユダヤ教徒でしたが、その教えはユダヤ教の律法の範囲をはるかに超えていたため、異端者となるしかありませんでした。ユダヤ教の枠におさまらなかったイエス様の教えは弟子たちを通してキリスト教という固有な宗教へと発展していきます。ユダヤ教から見ればまだ“メシヤ”は降臨していません。直接的な関係はありませんが、イスラム教においてイエス様は偉大な預言者です。しかし“最後”の、そして“最も偉大な”預言者であるムハンマド(モハメット)がより尊敬されています。次に統一教会においてイエス様は“メシヤ”です。ただしイエス様がメシヤとしての使命を完遂したか、完遂していないかという点においてはキリスト教と大きな違いがあります。(これは後に詳しく説明します)こういった各宗教が持つイエス様に対する観点の違いを理解しておくといいと思います。

 それでは何故メシヤは降臨しなければいけないのでしょうか。それは人間始祖アダム・エバが堕落したため、人類を救わなければいけないからです。本来神様はアダム・エバを通じて理想世界、地上天国を創ろうとしました。しかし堕落によって地上天国ではなく、地上地獄がつくられてしまったのです。そのため人類を救うために神様は摂理を進めて来られ、メシヤを地上に送ることで摂理を完成させようとされたのです。つまりメシヤが降臨する目的は堕落人間を救うところにあり、復帰摂理の目的を成就するところにありました。

 イエス様が聴衆に語られたのもそういった降臨の目的を裏付けています。「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全なものとなりなさい」(マタイによる福音書5・48)これは創造目的を完成して完全なる神様に似た天国人とならなければいけないというメッセージが込められています。また「天国は近づいた」(マタイによる福音書4・17)と直接的に語られながら、人々が天国に入ることができるよう準備するように強調されました。しかし天国の到来を説いたイエス様は十字架にかかって亡くなります。果たしてイエス様の“救い”は十字架によって完成したのでしょうか。そしてイエス様は十字架にかかるために地上に降臨されたのでしょうか。次号ではイエス様の十字架について詳しく学んでいこうと思います。

Category: 誌面説教②