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預言者の道を歩まれたイエス・キリスト その4:アモス

アモス~厳しい裁きの預言Prophet_amos

 イスラエルの預言者が登場した南北王朝分立時代、まず、北朝イスラエルに回心を呼び掛けるため、神様はエリアとエリシャを遣わしました。2世代に渡る預言者の努力によって一時は、預言者の声に耳を傾ける王が立ちましたが、それも長くは続きませんでした。そこで神様は再び預言者を起し、イスラエルの内的刷新を呼びかけます。

 ヤラベアム二世の統治時代に、南朝ユダからテコア出身の牧者アモスを呼び出し、北朝イスラエルに遣わしました。「主はシオンからほえ、エルサレムから声を出される」(アモス1・2)

 アモスが語り始めたのは、「ダマスコの三つのとが、四つのとがのために、わたしはこれを罰してゆるさない」(同1・3)という主の言葉です。続けて同じ言葉を、ガザ、ツロ、エドム、アンモン、モアブ、ユダ、イスラエルに向かって繰り返します。

 まずこの預言者から出てきたのは厳しい叱責と裁きの言葉でした。「ししがほえる、だれが恐れないでいられよう。主なる神が語られる、だれが預言しないでいられよう」(同3・8)というアモスは、それがどんなに厳しい言葉であっても語ることを止めません。何の権威もない一介の羊飼いであったとしても、神様が語れと押し出すので、止むにやまれず語り続けたのです。

 そして、エルサレムの神殿を離れ、ベテルに偶像を祀る祭壇を築いているイスラエルを厳しく罰すると告げます。

親しい関係の回復を願って

 なぜ、裁きの言葉を告げるのでしょうか。神様は許しがないお方ではありません。語りかけるのは、「地のもろもろのやからのうちで、わたしはただ、あなたがただけを知った」(同3・2)と言いうる相手だからです。

 神様はアブラハムを召して約束の地に連れてきて、祭物を犠牲にしながら、ご自身と相対しうる僕を育ててきました。その願いはイサク、ヤコブと三代かかりましたが勝利しました。この勝利圏を相続しながら、民族として広がり、彼らがエジプトに下ってからでさえも、忍耐して時を待ち、400年の後にモーセを送って約束の地に導き出しました。

 神様が苦労して探し出したみ旨のチャンピオン、相対に立つべき選民なのに、どうしてそのことが分からないのだろうかという、呻きにも似た心情の発露が、時に峻厳な裁きの言葉となって表れてきたのです。だから、「まことに主なる神は、そのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは、何事もなされない」(同3・7)といいます。

 厳しい裁きの言葉は、彼らを滅ぼし去るためのものではありません。親しかった主と僕の関係、本来の正しい関係に立ち返らせるためであり、両者の間になんのわだかまりのない関係を回復することの喜びであることを知っているからこその叱責なのです。

創造主の叫び

 ところが、イスラエルの国と民の姿を見つめ神様の叫びは、次第に深刻になり、「神様はいかなるお方なのか」まで思い起こさせなければならなくなります。

 「見よ、彼は山を造り、風を創造し、人にその思いのいかなるかを示し、また、あけぼのを変えて暗やみとなし、地の高い所を踏まれる者、その名を万軍の神、主と言う」(同4・13)

 アモスに預言を託したのは、創造主である神様なのです。そのお方は、人類を子女として復帰し、本然の理想を完成しようとされる神様なのです。その神様がイスラエルに呼びかけます。

「あなたがたはわたしを求めよ、そして生きよ。」(同5・4)

「あなたがたは主を求めよ、そして生きよ。」(同5・6)

「善を求めよ、悪を求めるな。そうすればあなたがたは生きることができる。」(同5・14)

 これはまさにモーセがシナイで神様から授かったみ言のリフレインです。すなわち、「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。あなたはわたしのほかに何ものをも神としてはならない」(出エジプト記20・2-3、申命記5・6-7)

 そして、「イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない」(申命記6・4-5)となるのです。

 アモスからおよそ800年、このみ言の実体として来られたイエス様は、かたくなな律法学者たちを厳しく叱責することしかできませんでした。しかし、弟子たちに語り残した遺言は「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。そして、わたしの父はその人を愛し、また、わたしたちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう」(ヨハネ14・23)というものでした。

Category: 誌面説教