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原理講論を読もう♪㉓

時代によって変化する真理を伝える方法DOC120125

 前号では現代社会に起きている終末現象を三大祝福が復帰されていくという観点から整理しました。宗教を中心とした人々の心霊復帰(第一祝福)、宗教・思想を中心とした神の版図の拡大(第二祝福)、そして科学文明の発達による人類一家族への道(第三祝福)が、終末現象であることが分かりました。それでは終末である現代に生きる私たちは、どのような点に気をつけなければいけないでしょうか?今回で終末論は最後ですが、私たちの生きる姿勢と関連させて考えてみたいと思います。

 アダムとエバが堕落することによって、人間は心霊的にはサタンの主管を受けるようになりました。これは神様との距離が遠くなり、人間の心が善よりも悪の方向へと引っ張られやすい状況にあることを意味します。次に堕落を知的な面から見ると、人間は無知に陥ったことを意味します。神様や人生の目的、死後の世界など、元々は分かっていたことが堕落によって分からなくなってしまいました。人間が堕落しなければ、科学の発達は驚くほど早かったはずだというお父様のみ言もあります。こうした人間の心霊を内的に復帰してくれるのが宗教(神霊)であり、人間の無知を外的に復帰してくれるのが科学(真理)だということは、何度か説明しました。原理講論には神様が人間を復帰する方法を、このように説明しています。

 神は堕落によって無知に陥った人間を、神霊と真理とにより、心霊と知能を共に開発せしめることによって、創造本然の人間に復帰していく摂理をされるのである(中略)神霊と真理とは唯一であり、また永遠不変のものであるけれども、無知の状態から、次第に復帰されていく人間に、それを教えるための範囲、あるいはそれを表現する程度や方法は、時代に従って異ならざるを得ないのである。(原理講論P169)

 ここで注目すべき所は、神様は真理を人間に伝える時、その範囲や表現を時代によって変えているということです。元来、真理とは一つですが、その真理を伝達する方法は、人間の心霊基準によって色々な方法がとられてきました。例えば神様は、アベル・カインの時代は信仰の証として“供え物”を要求しましたが、モーセの時代には“律法”を守ることを求めました。次にイエス様の時代には“福音のみ言”(新約聖書の内容)によって人々が真理に触れ、神様の下に帰れるようにしました。そして再臨のメシヤがおられる現代においては、お父様が語られている原理講論をはじめとした“成約のみ言”が、神様に繋がる道になっています。

 このように真理が伝えられる形は時代によって違いますが、もしもモーセの時代にイエス様が語られたような“福音のみ言”を語ったとしたらどうなっていたでしょうか?ほとんどの人はその“福音のみ言”を受け入れることができなかったに違いありません。なぜかというと“福音のみ言”は、律法を守り続けながら成長した心霊基準に合わせて神様がくださった『み言』だからです。逆にイエス様の時代に“供え物”が神様と通じる唯一の方法だと伝えたらどうなるでしょうか?人々は“律法”という神の戒めによる深い繋がりを知っているため、“供え物”という動物を介在した神との繋がりに物足りなさを感じることでしょう。

新しい真理『成約のみ言』

 実はお父様も最初から全てのみ言を語られていたわけではありませんでした。お父様は私たちが神様のみ言を理解できる心霊基準と環境が整った時に、それに合わせてみ言を語ってくださっています。例えば私たちが毎日唱えている『家庭盟誓』は1994年にお父様が定めてくださったものですが、それ以前は『私の誓い』がありました。1994年に“世界平和家庭連合”を創設されながら、お父様は“個人の時代”から“家庭の時代”に変わったことを高らかに宣言されました。そして“家庭の時代”に相応しいみ言として『家庭盟誓』を与えてくださったのです。このようにお父様は摂理に合わせて、そして食口の心霊基準に合わせてみ言を語ってくださっています。

 しかし、どの時代でも新しい摂理へと導いてくれる“新しい真理”は必ずその時代の人々に迫害を受けるようになっています。なぜかというと、それまでの“真理”よりも斬新で、高次元な“真理”なので、既存の“真理”を信じる人たちにとっては、受け入れ難いからです。ですからイエス様が語られた“福音のみ言”も旧約時代に語られた“律法”に背く言葉だとユダヤ教の律法学者たちに激しく非難されました。イエス様は十字架にかかり、イエス様の弟子たちや信徒たちも激しい迫害を受けました。それでも彼らは“真理”を棄てることなく、イエス様の教えを伝えるために命をかけたため、現在では世界で最も大きな宗教となりました。

 同じようにお父様が語られる“成約のみ言”も既成キリスト教を中心に多くの非難を受けてきましたし、現在も受けています。しかし私たちがお父様の“み言”を学び、“み言”を実践し、“み言”と一体になれば、必ず周囲の人たちは私たちを通して“み言”の偉大さに気が付くようになっています。言い換えれば、終末を生きている私たちに最も求められているのは、謙虚な心を持ち、再臨主であるお父様のみ言をしっかりと理解して、その通りに生活することを意味します。今でもお父様はみ言を通して“新しい真理”を教えてくださっていますので、お父様の一挙手一投足に関心を持っていくことが、み言理解の第一歩であり、終末における正しい姿勢だと言えます。

Category: 誌面説教②