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思いの列車

思いによる囚われ??? ?? ??./2009.09.30/?????

 祈祷する時、心が乱れることがあります。例外なく、すべての人が経験したことでしょう。様々な雑念が入ってきて、集中できなくなります。心がこれらの雑多な思いに全速力でくっつき、それらに囚われ、結局それにはまり込むようになります。

 この分裂状況の中で、たくさんのエネルギーが浪費されます。雑念が心の中に入ってくれば、それは列車のようであり、駅に留まってすべての乗客たちを乗せます。どれほど頻繁にそのような“思いの列車”に乗り、他の思いの列車に乗り換えているか、そうして結局は“空想”という場所にたどり着いているか、悟れずにいます。

 また、このような思いの列車は、沈黙の祈祷の中にも近付いてきます。私たちが心を鎮めようと努力する時になると、過去または未来に対する思いの列車が、すき間なく私たちを占領しています。過去のあることのために、自分や他人を非難し、執着したままでいます。そのことを何度も反復して考え、怒りと恐れと憎しみがその中から泉のようにわき出てくることを感じるのです。もう一方では、未来への恐れ、または失敗への心配に囚われてしまいます。

 過去や未来の、どちらの思いの列車にいても、私たちは、最も重要な場所である“現在”にいないのです。現在という瞬間こそが、私たちには実際的なものであり、それは無限に継続して新しい宝を一つひとつ見せてくれ、一瞬一瞬、新しい姿で近づいてきます。過去はすでに過ぎ去り、未来はまだ隠されています。もし、私たちが今ここにとどまらないのならば、過ぎ去らないように過去を掴んでいるばかりではなく、未来のために進むこともできないのです。

 問題は、私たちがこのような思いの列車に乗っているということです。このような列車に乗り、私たちの利己的自我は、過去のことと未来の夢とをつないで楽しんでいるのです。“私はその時、幸福になれるはずだったのに、このように不幸になった理由は、彼女がこうしたり、あのようにしたからだ”と言い、“私が一生懸命にやったのだから最高になるのが本当なのに、このようにはなりたくなかった”と言い、努力不足だったことを正当化したりします。このように私たちは、過去に縛られた罪人として“現在の苦難の状態は外的環境の結果だ”と言い訳しながら生きているのです。

 現実的に私たちは、すべての人が何らかのストレスを受けて苦労しています。それは、肉体的な空腹や疾患よりは、精神的な苦痛と苦悩です。私たちは、過ぎ去った過去に対して、私たち自身や誰かのせいにし続けており、そうすることによって未来に限界を作っているのです。私たちは、“これとあれはできない”、または“あれは私には到底できない”と言うのですが、これは、自らに精神的な限界を付加するにすぎません。しかし、不幸にも、このような考え方が私たちの未来を決定するというのです。

 私たちができると信じればできるのであり、そうでなければできないのです。ストレスでいっぱいの現在の世の中で、心を静かに落ち着かせ、心の平和に近づいていく人は、疲れて倒れることが少なく、より多くの心の忍耐と明瞭さを所有するようになります。

心の解放

 絶望してはいけません!ちょうど、すべての暴風もいつかは終わるように、思いの列車もやはり消えるのです。思いの列車に乗っていることを“知る”ことで、それを主管する能力が生じるのです。今から私たちは、自由に列車から降りることができます。喜んでも憂鬱になっても関係なく、思いの列車を認識できるようになれば、それらが永遠なものではないという事実を悟るようになります。それは過ぎ去っていくものにすぎません。喜びを感じるのならば、そのような気分にはまり込むばかりではなく、その喜びを経験すると同時に、ほかの人をもっと喜ばせることができる、より持続的な価値に対して考える訓練をすることができます。すなわちいつでも希望があるということを教訓として学べるのです。

 私たちの感情の状態が大きな喜びであろうと深い悲しみであろうと、それが過ぎていくものであることを知るだけでも、驚くほど自由になれます。特別な瞬間の喜びが永遠でないことを知っているので、より深い感謝と成熟した喜びの時間を過ごすことができます。同じように、大変なことにぶつかるようになれば、遠からず新しい日とチャンスが訪れるという希望をもって、それに打ち勝っていくことができるのです。

【二世の道p22より抜粋】

Category: み言の学校