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Archive for 8月, 2012

生活プログラムの重要性

修練会の恩恵とその後の生活習慣

 成和学生のご父兄の皆さん、こんにちは。

 学校が夏休みとなる8月、神の子を育成するための修練会が各地で開催されます。中高生対象の修練会は、年を追うごとに、教区の修練会、清平の修練会、Jr.STFプログラムの修練会など、様々な修練会が企画されてきました。その教育方法も、中高生時代における共同体信仰を育むものとして、体験教育と連動した原理教育、兄弟姉妹関係を育む共同体訓練など、よりその成長段階に則した方法へと開発されてきました。

 修練会に参加した子女たちは、そのようなプログラムを通して、“神の子らしさ”を顕していくようになります。その“神の子らしさ”とは、第一に神様、真の父母様、真の子女様の心情を追体験することで、自らの神の子たるアイデンティティを自覚していくものです。第二に、同じ成和学生の兄弟姉妹との触れ合いや訓練を通して、神様を中心とした兄弟姉妹の心情体験をしていくようになります。それは、一般の友達関係ではなかなか感じることのない、深い心情レベルでの魂の関係です。

 そのような魂が高揚する体験をした子女たちは、修練会後に対する強い決意を持って出発していきます。しかし、いかにその決意が強くとも、生活習慣を変えるのは簡単ではありません。すぐに過去の習慣性が顔を出し、気が付けば修練会前と同じ生活をしてしまう子女も多いことと思います。ややもすれば、修練会の体験が鮮烈である故に、修練会後の心情の落差が大きく、修練会前よりもダラけた生活をしてしまう場合もあるかもしれません。先月号で本山部長が「修練会後の小さな芽を育てましょう!」と述べている通り、大きな変化を期待するのではなく、修練会での心情変化を小さな成長として見つけてあげ、それを育んでいくことが大切です。子女が日々着実に自己変革を“継続”し続ける取り組みが必要です。

成和手帳の活用と生活プログラムの重要性

 そのために、成和学生部では成和手帳を活用した生活プログラムの実践を推奨しています。成和手帳は、年、月、週ごとの目標を設定し、毎日目標に対するセルフチェックを行い、心情日記を書くことで、自身の歩みを客観的に自己反省する内容になっています。成和手帳による生活プログラムは、子女が修練会において燃える決意で立てた目標を、日々の歩みに連結する手段なのです。

 メジャーリーガー・イチローは、日本プロ野球経験者で史上初めて日米通算3500安打を記録し現在も活躍し続ける大選手ですが、彼は子ども時代、メジャーリーグで活躍するという目標を家の壁に貼り、それを毎日確認しながら日々の練習に打ち込んでいたと言います。子女の日々の成長は、見逃してしまうような小さなものかもしれません。しかし、その積み重ねが子女を立派な神の子へと成長させていきます。ぜひ子女が着実に自己変革のチャレンジを継続していけるよう、成和手帳を活用していきましょう。

高知教区成和学生部

DSCF5598 - コピー-2② 全国の皆さんお元気様です。

 高知の成和学生は明るく元気いっぱいの女の子と、一見大人しそうに見えるけど大志を抱きながら取り組む男の子と、まるで坂本竜馬とその姉、乙女のようです。

 このように高知の成和学生は希望に満ちあふれた一人ひとりではありますが、最近はなかなかその力を発揮することができていませんでした。成和学生大会でも、最近では下位争いをすることが多かったのですが、今年はもう一度、内外の目標を明確にし、何度も目標を確かめ合いながら備えていきました。内的目標は“みんなが心情を一つとし神様を喜ばせよう”外的目標は“優勝!!”と神様に誓って練習を行い、合宿も行いながら内外共に準備し、望んでいきました。合宿や練習を通して、兄弟姉妹の心情が一つになっていくことを感じ、また普段礼拝にはなかなか参加できない兄弟姉妹も、この日は来ることができたりと神様の導きも感じながら当日を迎えました。結果、見事優勝することができ、内外共に神様に栄光在天することができました。

 また、高知では毎週木曜日に教区でスポーツを行っています。教区長を中心に青年や壮年の方々とも交流することができ、世代を越えた交流の場となっています。親しく接してくださる教区長の愛の波動と心情に触れ、真のお父様を実体として感じさせていただく貴重な時間となっています。

 太平洋の海を見ながら世界を望んだ坂本龍馬のように「今一度日本を洗濯致し候」、私たち成和学生が日本に、世界に善の変革を起こしていけるように、小さな四国の高知県で大きな志を持って歩んでいます。

預言者の道を歩まれたイエス・キリスト その8:ミカ

Micah_prophet預言者の伝統を相続したミカ

 聖書には預言者の名前を冠した預言書があります。イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエルを4大預言者と呼び、アモス、ホセアからマラキまでを12小預言者と呼ぶことがあります。大小はその価値の優劣を意味するのではなく、預言書の規模の大きさを便宜的に区別しています。

 12小預言者の一人ミカは、南朝ユダの王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの治世に登場した預言者で、イザヤとは同時代の人と思われます。それは、紀元前8世紀後半から紀元前7世紀初頭のことです。

 ミカは、イスラエルと論争される主のことばを記します。主の叱責に対して、「わたしは何をもって主のみ前に行き、高き神を拝すべきか。」(ミカ6・6)と戸惑う民。その民に預言者は明確に伝えます。

 「人よ、彼はさきによい事のなんであるかをあなたに告げられた。主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか。」(ミカ6・8)

 ある学者は、ミカは独創的な預言者ではなかったとしても、預言者の精髄を継承して語ったことに大いに価値があると言います。そして、このメッセージの中に歴代の預言者が語ったエッセンスが込められていると言うのです。それは、アモスの示した正義、ホセアの語った愛、そしてイザヤが伝える聖なる神の前での謙遜です。

 この三つの要素はどれも、神と民との本来の回復を目指したものです。そして、その回復は、犠牲の供え物や難行苦行の類によって成されるのではなく、人の真心をもって成されることを教えます。大切なことは、素直に神様の前に進み出て、真心から神様を愛するようになることが、かつても今も願われているのです。

終りの日の希望

 ミカは終りの日の希望を伝えます。

 「末の日になって、主の家の山はもろもろの山のかしらとして堅く立てられ、もろもろの峰よりも高くあげられ、もろもろの民はこれに流れくる。…律法はシオンから出、主の言葉はエルサレムから出るからである。」(ミカ4・1-2)

 ミカが抱いた希望は、ダビデのような優れた王の到来でした。終りの日は、最終的な滅びの日ではなく、艱難を経た後の復興の時であり、み言の体現者が現れてこの地を統べ治める時であることを告げます。

 「彼は多くの民の間をさばき、遠い所まで強い国々のために仲裁される。そこで彼らはつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかってつるぎをあげず、再び戦いのことを学ばない。」(ミカ4・3)

 その方の統治によって、イスラエルの栄光が回復され、世界に平和がもたらされると言います。そして、人々は、主の名によって、とこしえに歩むようになるのです。

ベツレヘムに生まれたイエス様

 預言者ミカの時から7世紀の時が流れ、ヘロデ大王の世に、東方の博士たちがエルサレムに訪れました。“ユダヤ人の王”はどこにお生まれになったかと彼らが王に尋ねた時、側近の祭司長、律法学者らは「それはユダヤのベツレヘムです」(マタイ2・5)と答えました。その根拠をミカ預言書の中に見出したからです。

 「ベツレヘム エフラタよ、あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、イスラエルを治める者があなたのうちからわたしのために出る。」(ミカ5・2)

 イエス様の受難、死、復活に立ち会い、聖霊によって生まれ変わった弟子たちは、福音書を通して、イエス様こそイスラエルを復興するメシヤ王だと証します。イエス様がベツレヘムでお生まれになったことを見てもそうだというのです。ダビデのような王の到来と王国の復興を願った預言者のメッセージは、イエス様のことを告げていたのだと悟ったのです。

 確かにイエス様はそのような者として来られたお方でした。しかし、イエス様が地上にあっては、文字通り足のなえた者を癒し、人々から打ち捨てられた者たちを集めて神の国の土台を築こうとして歩まれました。

 この間、弟子たちは、「この方こそあなた方が待ち望んでいたメシヤです」と堂々と証したことはなかったし、イエス様も「わたしがそれだ」と自ら明言することはありませんでした。預言者の言葉をよくよく知っているはずの大祭司、律法学者らが、イエス様の言葉に耳を傾けず、却ってイエス様を殺そうとしていたからです。

 その時はまだ、ミカが思い描いたメシヤ王の栄光を現すまでには、時が満ちていなかったのです。堂々と証したとしても、決して殺されることのない堅固な基盤はまだできてはいませんでした。

原理講論を読もう♪㉙

イラスト復活摂理の4つの決まりごと

 前回は復活とは肉体が死から蘇るのではなく、霊人体がサタンの主管圏から神様の主管圏に復帰されていくことを意味すること整理しました。アダムとエバが堕落して以来、人間は神様の主管圏からサタンの主管圏に落ちてしまいました。神様は堕落した人間を復帰するために、人間が神様の主管圏に戻ってこられるよう歴史を通して摂理してきました。人間の心霊を復活させるための摂理なので、これを“復活摂理”と呼びます。“復活摂理”とは堕落人間が創造本然の姿に復帰する過程的な現象を意味するので、“復帰摂理”(再創造摂理)だということができます。

 “復活摂理”をおこなうには決まりごとが4つあります。非常に大事な公式ですので、よく覚えておいてください。また“復活論”にちなんで“復活摂理”で表現を統一しますが、“復活摂理=復帰摂理”だということを忘れずに覚えておいてください。第一に“復活摂理”は神様に選ばれた中心人物によって進められますが、例えその中心人物が責任分担を果たせずに、摂理が延長したとしても、その中心人物の築いた“神様との心情因縁の基盤”は次の世代に受け継がれます。つまり中心人物が責任分担を果たす過程の中で“復活”した心情の基台はその中心人物の次の世代に受け継がれていくのです。第二に“復活摂理”において責任分担を果たすためには、神様から与えられたみ言を最初に受け入れ、そのみ言を信じ実践してこそ、み旨が成されるようになっています。言い換えれば、神様のみ言がなければ、人間は完成はおろか、小さな復活すらできないということです。堕落人間にとって神様のみ言とは何にも代え難い生命線であることが分かります。第三に人間の霊人体は肉身を基盤にしてのみ成長するようになっているため、復帰摂理における霊人体の復活も地上の肉身生活を通してのみおこなわれるようになっています。最後に人間は三段階の成長期間(蘇生期、長成期、完成期)を通して完成するようになっているため、堕落人間の復活摂理も秩序的な三段階を経て完成されるようになっています。

復活摂理の始まり

 それでは歴史を通して神様はどのように“復活摂理”をおこなってきたのか見てみましょう。神様はアダム・エバが堕落してすぐに、そのアダム家庭から“復活摂理”を始められました。アベル・カイン、ノアといった中心人物が神様からの使命を与えられましたが、責任分担を最後まで果たすことはできず摂理は延長されました。この期間を原理的に見ると、復活摂理ができる基盤を造った期間となります。そのためこの時代を“復活基台摂理時代”と呼びます。この時代は無原理圏の時代、つまり神様のみ言が与えられていない時代なので、秩序的三段階の前の段階になります。神様のみ言がないため、人間は復活することができませんでした。

復活摂理の秩序的三段階

 “復活摂理”はアダムから2,000年経ったアブラハムから始まります。信仰の祖アブラハムからイエス様の誕生までの2,000年間に“蘇生復活摂理”が行われました。蘇生という言葉の通り成長段階の中でも最初の段階を意味します。この時代に与えられた神様のみ言は“律法”です。“律法”とは主にユダヤ教の戒律を意味しますが、代表的なものとしてモーセの十戒があげられます。“~してはならない”というフレーズが多いのが特徴です(出エジプト記20章3節~17節参照)。この時代は律法を実践し、義を立てるように摂理されてきたので、“行義時代”とも呼びます。“義を行う”というのは非常に定義しづらい言葉ですが、アブラハムを初めとした多くの旧約聖書の登場人物たちの生き様を見ると“義を行う”という意味が分かってきますので、ぜひ旧約聖書を読んでみて欲しいと思います。この時代は霊人体が霊形体級まで復活できるようになりました。

 次にイエス様から再臨主誕生までの2,000年は“長成復活摂理”が行われました。この時代に与えられたみ言は、イエス様を通して語られた“福音のみ言”です。この時代は神様のみ言を信じることで義を立てるように摂理されたため“信義時代”と呼びます。そのためキリスト教では道徳的行動よりもまず先に“イエスを信じること”を重要視します。信じれば救われる、というキリスト教のフレーズはまさに“信義時代”を象徴していると言えます。この時代は霊人体が生命体級まで復活できるようになりました。

 そして再臨主誕生によって“完成復活摂理”が行われます。再臨主は成約のみ言を人々に提示し、堕落人間が霊肉共に堕落以前のアダムとエバの状態に戻ることができるよう摂理します。この時代は人間が再臨主に直接侍って責任分担を果たすため“侍義時代”と呼びます。この時代は霊人体が生霊体級まで復活します。

 私たちはまさにこの“侍義時代”に生きています。真のご父母様に侍り、真のご家庭に侍らなければいけない時代ですが“どのように侍るのか?”ということを、み言を通して学んでいかなければいけません。真のご父母様が語られる神様のみ言こそ、私たちの心霊を成長させる唯一の指針だということをもう一度確認していただきたいと思います。

真なる愛の対象

2012_06_20_D0266-2神様のもとに行く唯一の道

 聖書で使徒パウロは、“私たちは、どんなに立派なことを話し、おこなったとしても、神様の前には塵に等しい”という意味のことを言っています。私たちはどんなに立派なことをしたとしても、神様の恩寵がなければ神様のもとに行けないようになっています。このことを私たちは忘れがちです。

 社会には、自己啓発や肯定的な生き方を教える本が数多くあります。それらの本は、私自身を愛しなさい、私自身を信じなさいと教えています。私自身を賛美しなければならないという話です。自分だけを愛するという法度を学べば、力が出てくるかもしれません。しかし結局は、神様を愛するより以上に自分自身を愛するようになってしまうのです。それは、自分だけを愛し、自分だけを賛美して、自分を神として作り上げてしまうという間違った道に陥りやすいのです。結局、神様の名を汚してしまうのです。ですから、自分は完璧ではないということを認めて、神様の恩寵があるがゆえに信仰者、義人になることができたのだということを悟らなければなりません。

 聖書にあるように、信仰も神様の恩寵です。我々が信仰するかしないかは自分で選択していると思うかもしれませんが、そうではありません。信仰することも神様の恩寵圏内にいるからこそ可能なのです。

 完璧ではない自分が神様の前に出ていくことのできる唯一の道とは何でしょうか?神様から送られてきた息子、キリスト、真の父母様を通す以外にありません。その方によって、サタンの血統から神の血統にチェンジされていくのです。悪なる人から善なる人になっていくのです。このことが本当に分かれば、全てのことが賛美になっていくのです。そのような訓練は簡単ではありませんし、誰も完璧にはできませんが、最善を尽くして努力しなければなりません。

愛による絶対服従

 真の父母様を愛するがゆえに私たちは服従します。服従する理由は、強制的なものではありません。私が浮気をしない理由は何かというと、法度とか法律の故ではありません。神様が地獄に行くと言っているから、などという理由ではありません。妻を愛しているからです。愛があるがゆえに法度を守るのです。愛があるがゆえに、愛する対象を傷つけるようなことはできないのです。

 絶対服従は一番美しい姿です。なぜならば常に愛によってつながっているからです。日本の食口の皆さんが、真の父母様に絶対信仰、絶対服従している姿を見る時、本当に美しいと思います。真の父母様が怖いから、真の父母様の審判を受けるからではなく、本当に真の父母様を愛しておられるから、義人の道を歩んでいらっしゃるのです。

神様の愛の夢

 皆様、よく考えてみてください。神様の夢は何だったのでしょうか?創造理想は何でしたか?私たちは、理想世界、理想家庭を立てようとされたと考えています。それも間違いではありませんが、もっと重要な答えは“真なる愛の対象”だということです。それが神様の夢であったのです。

 その真の愛の対象が、完成したアダム・エバでした。その完成したアダム・エバとは、真の父母様でいらっしゃいますね。そのお方こそが、まさしく神様の愛の夢なのです。そこから真の家庭が現れ、氏族、民族、国家、世界、天宙に拡大していくのです。真の父母様は神様の愛の夢であられたのです。

 では私たちは何を成すべきでしょうか?神様の夢を完成しなければ、私たちは何をしなければならないのでしょうか?神様の夢を愛さなければなりません。全世界がその夢を愛し、真の父母様を愛するようにしなければなりません。

 そして、この方が私の父母であり、この方が私のために死んでくださって、また死んでくださって、また死んでくださったのだと知った時、私はこの方のために生きていかなければならないということを悟るようになるでしょう。

 そうなれば天一国は来ます。地上天国は必ず来ます。皆様、“真の父母様億万歳”を賛美する時に、そのような心を持ってください。毎日、精誠を尽くす時、“真の父母様億万歳”と賛美する時に、そのような愛を持ってください。そうすれば私たちの生き方が変わっていくようになると信じています。アージュ。

【TWJ天暦6月号より抜粋・編集】

中心体

2012_05_07_D0100二つの世界の主管者

 人間は二つの世界を主管しなければなりません。天上世界の神様と地上世界にいる自分、神様と自分は両方から鋸を引き合う関係です。そうして世の中を裂こうというのです。それは優しいことですか、難しいことですか?鋸の刃がボロボロに欠けるほど困難なことです。一方には統一教会の男性がいて、もう一方には統一教会の女性がいると考えてみてください。皆さん、そのような立場でこの世の中を裂くことができますか?

和動の中心体

 人間は和動の中心体です。しかし、和動するためには絶対的な中心基準が決まらなければなりません。ちょうど、大勢の人がリズムを合わせる際、指揮者を中心に上下関係がしっかりつながらなくてはならないのと同じです。

 この宇宙の和動の中心体が人間だということを、私たちは原理を通して学びました。従って人間は絶対的基準と一致した立場にあるため、その人間が留まるところに宇宙が留まるのであり、存在世界が彼を中心として作用するのです。そして、その作用によって、存在世界に力が生じるのです。

 この宇宙で神様が笑いたくて地に連絡しようとすれば、人間を通さなければならず、地が笑いたくて神様に連絡しようとすれば人間を通さなければならないのです。人間を通さなければならないのです。なぜ宇宙も人間が必要で神様も人間が必要なのか分かりますか?その訳は、人間が回れば神様も回り、人間が回れば宇宙も回るということにあります。人間が回らなければ神様も回らず、行ったり来たりできないのです。そうなっていることを知らなければなりません。

 宇宙の中心は何でしょうか?人間は中心にはなり得ません。宇宙の中心は創造主であられる神様、すなわち絶対的な実体が中心にならなければならないのです。その絶対的な中心の要素と一致した内容を持った存在がその中心に近づくことができます。つまり、その内容と一致する要素を備え、心情的な一致か、事情の一致か、希望の一致か、という問題を中心として、そこに100パーセント一致したらその中心に近い位置に立つのです。

大宇宙の縮小体

 人間は大宇宙の縮小体です。皆さんは小宇宙です。小宇宙。大宇宙とは何でしょうか。大宇宙は被造世界なのです。大宇宙の源泉は力の源泉です。作用の源泉、力の源泉とは何でしょうか。神様です。私たちは大宇宙の前に立った一つの小宇宙であり、大宇宙の絶え間ない力の源泉である神様の力が私たちの心に入ることによって、この大宇宙と釣り合う相対の価値を持っているのです。

 従って人間は宇宙の花だと考えることができます。分かりますか?一本の木に例えると、宇宙という大きな苗木があり、その苗木において人間というものは一つの花だということです。雄しべと雌しべがありますが、原則的調和の作用が展開して種をつくるのと同じく、男性・女性が宇宙の花として咲いて香りを漂わせる時が思春期なのです。

 私たち人間というものは自分一人だけではありません。人間とはいかなる存在でしょうか。人間というものは自分一人ではないのです。宇宙の共通した因縁を総合して結実したとして現れたのが人間ではないですか?このような人間には万物の総合相がすべて入っているのであり、多くの先祖たちの個性すべてが投入されたものなのです。

 金○○さんと言えば、その金○○さん一人ではありません。その人には植物、鉱物、動物、あらゆる万物の形態がすべて入っています。顔も、今は自分の顔のように感じていますが、その顔になるまでには数万年の歴史を経てきたのです。数万年にわたって祖先たちの血を引き継いでそのように生まれたのです。それは奇跡的な実体です。

 それだけでなく、その背後に天の因縁が共にあったがゆえに、その人が残ったのです。天の因縁を中心に見る時、限りなく屈折した因縁を経て今日の自分がつくられたことを知らなければなりません。

【二世の道p54より編集・抜粋】

希望の実体を目指して

石原FE

父母FEとして

 全国の成和学生の皆さん、お元気様です!6月には全国的に第15期Jr.STF選抜修練会、第13期FE選抜修練会が開催され、チャレンジャーやその家族、関わったスタッフ全員が、神様から愛と恵みをたくさん受けたのではないかと思います。

 私は第7期のFE選抜修練会に挑戦した父母FEです。ほぼ毎回選抜会場で皆さんのチャレンジをサポートしていますが、今回の選抜修練会で自分がチャレンジャーとして参加した第7期FE選抜修練会のことを思い出し、原点に帰ってのスタートを切る恵みを頂きました。

 私がFE選抜へのチャレンジを決意したのは、長男・圭太郎(当時の福岡教区二世部長、現在Jr.STFディレクター)の一言でした。教会活動離れの娘のことを何とかしたいと相談した時、「まず親が背中を見せたらいい!!」とFE選抜修練会にチャレンジすることを勧められました。私はそれまで何度もJr.STF選抜修練会のサポートスタッフをしていたので、内容は理解していました。そんな私にとって、あの18kmを走る体力・意志力テストに自分が参加することになるとは思いもせず、決意するには文字通り命懸けで取り組まざるを得ませんでした。そんな決意をして臨んだFE選抜当日の体力・意志力テストの18kmランでは、神様からの祝福がありました。“とにかく休まないで走り切ろう!”ということだけを目標に走りました。そして、ゴールした時の私のタイムは、制限時間3時間の中、2時間59分59秒でした。その間、体はクタクタでしたが、心はワクワク・ウキウキで、二世たちを見守りながら希望と喜びに満ち溢れた神様の愛と同化した自分がいたことを今も忘れません。

 今回のFE選抜修練会でのミーティングの時、石原ディレクターから“お父様がFEだったら…”のテーマが与えられ、食事時間も忘れてディスカッションをしているFEチャレンジャーの目の輝きがとても素敵でした。お父様がFEだったらと考えただけでワクワクします。「若ければ現場に入って一緒に指導したい…」と西北東京鮮鶴合唱団に語られたみ言通り、先頭に立ってウリノレをされたり、寝ずに語り明かされるのかと想像してしまいました。

親である神様の愛

 全国のチャレンジャーの皆さん、今回の選抜修練会ではどのような神様に出会いましたか?原理試験の時間、論述試験の時間、班ミーティングの時間、面接の時間、ランの時間、会場移動の車中等、修練会中にいっぱい神様との出会いがあったことでしょう!また、新しい自分との出会いもあったことでしょう!

 神様は皆さんのことを愛したくて愛したくてたまらない、親の中の最高の親です。どんな時もいつも一緒にいたくてたまらない親バカの中の最高の親バカだと思います。嬉しい時、悲しい時、苦しい時、悔しい時、怒りを感じる時、情けない時、寂しい時、いつも心配しながら共におられます。そして、いつも希望を持ち続けておられます。

希望の実体

 今年の第16回全国中和文化祭のスローガンは『希望の実体となろう!成和学生』です。

 希望の実体とは何でしょうか?神様からの希望、父母や家庭からの希望、教会からの希望、学校や社会からの希望など、様々な希望の実体が考えられます。共通して言えることは、いつでもどこでも変わらない希望に満ちて輝いている実体。しかも、その輝きは金メッキではなく、中身もすべて純金の輝きが最高です。神様の下、全人類が光輝き、お互いの輝きに目がくらみ、まばゆい輝きに気絶するくらい喜び、感動するようになればどんなに素晴らしいでしょう!

 来年の基元節に向け、完全なる他体自覚を目指して、父母も皆さんも同じスタートラインからの出発をしています。輝ける希望の実体を目指して、父母も子どもに背中を見せながら、共にゴールラインを越えていきましょう!

奈良教区 GBAプログラム

250921_275542809220242_1568075223_n 奈良教区では三年前から、GBA(God・ Believe・ Abilityの三要素を備えた)プログラムを行っています。バランスの取れた取り組みと投入ができるモデル成和学生となることを目標としており、原理学習1日1時間、勉強1日2時間、体力作り1日1時間を行い、日曜日に反省と次週の目標設定を行います。今回第11回目は44名が参加し、合計すると原理学習284時間、勉強859時間、体力作り233時間を行い、多くの学生が投入する期間となりました。