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Archive for 3月, 2012

理想家庭

主は愛するものを訓練する4

 家庭とは何でしょうか。お父様は私たちに、「家庭というのは学ぶための学校である」と教えてくださいます。

 家庭ではしつけを受けます。信頼と信仰、喜びと感謝、自己犠牲について学ぶのです。また、どのように責任を果たすか、どのように人を愛するか、いかにして従順であるかについて私たちは学ぶのです。

 なぜ、両親は子供にしつけをするのでしょうか。聖書を見てみると、ヘブル人への手紙第12章6節に“主は愛する者を訓練する”とあります。もし、アダム・エバが、天使長ではなく神様と深く授受作用し、神様と直接的な関係を築いていたならば、たとえ天使長が間違った方向に誘惑したとしても、まっすぐに神様に向かっていき、堕落することはなかったでしょう。ですから、私たちが、神様と真のご父母様を信頼するということがとても大切なのです。子供に「こうしてはいけない」、「ああしてはいけない」としつけをする時、それは子供が立派な人間に育つよう、子供の将来を思って、そう言っているに違いないのです。どの親でも、子供が自分よりよくあってほしいと思うものです。

 私は、髪をとても短く刈っていたことがあります。お父様は、そういう私をご覧になって「私の高校生時代によく似ている」と言われました。そして、私がお父様に似ているので、「あなたは、お父様よりもっと偉大なことをしなければならない」とも言われました。私はそれを聞いた時、そんなことは不可能だと思いました。

 しかし皆さん、世界を見れば、どこにでもそのような親の見方があることを知っているでしょう。

感謝と自己犠牲

 感謝するということは、信仰生活にとってとても重要なことです。もし、感謝がなければ、私たちはすべてを無駄にしてしまいます。

 お父様は、「田舎に住む人たちは善良だ」とよく言われます。彼らは感謝することがとても多いからです。農場で働いていれば、穀物は雨次第で良くも悪くもなるのです。それゆえ、ほんの小さなことにでも感謝するのです。父親が、たとえ小さな一切れのパンを息子にあげたとしても、子供にとっては感謝すべきことです。

 私たちは家庭において、いかに奉仕するかということ、自己中心的ではなく無私になること、いかに自己犠牲を成すかについて学ぶのです。

 子供の時代は蘇生期なので、とても自己中心的です。しかし、それは子供の性格なのです。子供は大きくなるにつれて秩序というものを知るようになり、兄弟のために尽くしたり、人のために尽くすようになります。最終的に完成期になれば、彼らは親になり、自分を犠牲にしても他のために尽くすようになるのです。

家庭で愛について学ぶ

 私たちは、最も強力な力は愛の力だということを知っています。もし家庭において、愛とはどういうものかを学ぶことができなければ、神様の愛がどういうものであるかを知ることができるでしょうか。

 もし、私たちが明確な方向性をもっていなければ、さまざまな誘惑を受け、攻撃されてしまうのです。私たちは世界中で、多くの家庭が崩壊しているのを見ています。そこには、しつけというものがありません。子供たちはもはや、両親を信頼することができず、両親に感謝することができず、自分で何でもできると思っているのです。また、自己を犠牲にして、他のために奉仕することもできません。

 私たちは家庭において、いかに愛するかを学びます。いかにして祖父母を愛し、両親にどのように尽くすか、そして、兄弟姉妹とどのように授受作用をするかについて学ぶのです。

 例えば、皆さんが自分の妻や子供との関係を考えた時、その愛が一時的なものであることを望みますか、それとも永遠のものであることを望みますか。その答えは明らかだと思います。サタンは一時的な愛を使って、自分の支配を続けようと思っています。一方神様は、永遠の愛を私たちに与えようとされます。それは、私たちが永遠に受け継ぐことのできるものです。

 私たちは、よりよい家庭を築くために働かなければなりません。そのような家庭を築くことが、結果的に、よりよい社会を築くことになり、よりよい国家を築くことになるのです。

【祝福家庭1997夏季号より編集・抜粋】

人体の神秘

体は神秘の王宮_MG_1472(67

 人間の体は神秘の王宮です、神秘の王宮。指一本研究して本を書くとしたら、何千万冊書いても書ききれないのです。人体は神秘の王宮です。人間の体には四百兆以上にもなる細胞が、皆それぞれ異なった作用をしながら動いています。これを拡大すれば、この宇宙よりも大きくなるのです。 これは何の衝突もなく調和を成し、一日の生活、一年の生活、一生の生活を営むことができるほど神秘的です。体は神秘の王宮です。この指の爪一つとっても、医学的に何千何万年研究してもきりがないのです。

 何かの公式だの法則だのと言いますが、それを超越したものがたくさんあります。公式の終わりはどこにあるか、考えたことがありますか?私たちが学校で学んだ高等数学や何かの公式は、宇宙の公式世界に置いて何段階に属すでしょうか。人間は自然環境に備えることのできる内容を持って生まれたということを、私たちはもう一度考えなくてはなりません。

 これから毎朝鏡を見る際に考えてみてください。どれほど神秘的か。この顔かたち全体について考えると、この世界は神秘の王宮になるでしょう、神秘の王宮!いくら医学が発達しても、この人体の中にある無窮無尽の世界の内面を解明し尽くすことはできません。本を千冊書いても、この指一本すら解明できないのです。子供が適当に粘土をこね回して人形を作るようにしてできたと思いますか?前後左右どこを見ても矛盾や欠点がないように、秩序整然とした配列の中ですべてがつくられたのです。

 私たち人間の体の構造を見ると、これは神秘の王宮です。どんな存在よりも“神秘”そのものだといえます。そのようなすべての神秘の要素を連結しながら、人間という一つの生命体を創った絶対者がいるとすれば、彼は無限の能力を持った主人公であるに違いありません。

人体の三段階

 私たちは原理を通し、蘇生時代、長成時代、完成時代という三段階について学びました。三数が重要です。自然界を見ても、鉱物世界、植物世界、動物世界、このように分けられます。人間を見ても三数で、全部三つの部分に分けられます。顔を見ても、目、鼻、口、三段階です。目も三点を結びます。焦点が三点を連結しているのです。さて、こうして見ると三数が必要です。それでこの宇宙を見る時に、西洋思想にはありませんが、東洋思想では宇宙を“天・地・人”と見るのです。また、世の中もそうではないですか?上・中・下があります。円形を描くのにも、必ず三点を通らなければなりません、三点を。1、2、3、必ず三点が連結されなければなりません。直線になるためにも、必ず三点過程を経なければならないのです。この直線というのは、すべて三点で連結されなければならないわけです。全部、同じ立場で連結されなければならないのです。

 皆さんが一つ知らなければならないことは、アダムとエバはその時は一人の男性であり一人の女性にすぎませんでしたが、全宇宙の中心だったのです。アダム・エバは何ですか?神様の何ですか?神様の体なのです、体。そのため、人間は二重構造からなり、心に神様が入るようになっています。神様を中心とした空気のようなものが心なのです。この宇宙を見ると、空気のある空間世界があり、これが心にあたります。そして地に当たるのが体なのです。三重構造になっているのです、三重構造に。すべてが三段階になっているのです。これを見ると、地にも私たちの体が生きていくのに必要な生命の要素があり、空気にも生命の要素があり、また霊界にも私たちの永遠の生命が呼吸できる生命の要素があるのです。

 皆さんはご飯を食べなくてはならないし、呼吸をして空気も吸わなくてはなりませんが、この二つだけ吸収してもだめです。霊界の生命の要素を吸収しなくてはならないのです。まず、食べるのが蘇生です。口が蘇生です。そして鼻が長成ですね。次に皆さんは、永遠の生命を吸収することのできる生命の要素をもらわなければなりません。全部合わせて三段階になっているのです。

 全部、調べてみればこのように三つになっているのです。従って、三段階の法則というのは宇宙の法です。三つの者が合わさる所には、神様がおられます。目上の人に何かを差し出す時、手を下に支えるように持って差し出すでしょう?天地の原理がそうなっているからです。あいさつする際にも、腰を曲げてしますね。なぜそうするのかわかりますか?一つになるためです。三つ揃えば、一つに結ばれるということです。 

【二世の道p82より編集・抜粋】

預言者の道を歩まれたイエス・キリスト その5:ホセア

イスラエルの背信Hosea

 預言者アモスが活躍した同じ時代、イスラエルのヤラベアム二世の世に登場したのが預言者ホセアです。神様は、ホセアに特別な方法で、今のイスラエルに対して神様が語りたいメッセージを悟らせます。しかし、それはホセアにとってはとても辛い体験でした。

 主が最初ホセアによって語られた時、主はホセアに言われた、「行って、淫行の妻と、淫行によって生れた子らを受け入れよ。」(ホセア1・2)

 常識から考えても信じられない命令を神様は下しました。義なる神様がなぜ、善良なイスラエルの民ホセアに不品行な女を妻としてめとり、その過ちによって生まれた子を受け入れよと言うのか、極めて理解しがたいことです。

 神様はこう付け加えます。「この国は主にそむいて、はなはだしい淫行をなしているからである」(同1・2)と。

 ホセアは、従順に神様のことばを受け止め、その命じられるところを実行します。それによってホセア家庭のできごとは、イスラエル民族とその国が創造主の前になしている様相と重なり合ってきます。

 創造主である神様に呼び出され、摂理的な使命を果たすために選ばれたイスラエル民族は、ヤコブの勝利基準を相続して発展し、国を建て、中東の一角にその勢力版図を持ちました。しかし、慢心した王たちは、主なる神様を敬うのを止め、別のものに頼るようになります。それはイスラエルの民をエジプトの苦役から解き放ち、約束の地へと導き上った神様に対する明らかな背信行為です。神でないものを神として仰ぎ、それを崇拝し、心を寄せることは、不倫行為と同じだと言うのです。

神様のうめき

 最も信頼を寄せる者から裏切られた神様の痛みと、傷ついてもなお愛そうとする哀しさを、家庭生活の中で、身をもって体験するホセアです。神様はホセアのふたりの子に、“ロルハマ(わたしはあわれまない)”“ロアンミ(わたしの民ではない)”という名をつけさせ、神様の抱いている思いを直視させます。それで、この預言者からもれ出ることばは、神様の心に抱いた悔しさ、無念なる思いです。

 その悔しさは、時に厳しい裁きのことばとして表れることがあります。しかし、それらのみことばの出所は、憎しみや怨みからくるものではありません。

 神様はどれほど彼らを親しく愛して来たのかを思い起こさせます。イスラエルの「若かった日」、「エジプトの国からのぼって来た時」(同2・15)を思い起こし、初愛の花嫁を迎えた喜びの一日のように親しい関係を結んだはじめの日を回顧します。

 また、神様は、「わたしはエフライムに歩むことを教え、彼らをわたしの腕にだいた。」(同11・3)と言い、「わたしはあわれみの綱、すなわち愛のひもで彼らを導いた。…かがんで彼らに食物を与えた。」(同11・4)と語ります。神様は、イスラエル民族を、幼子を見守る親のように愛したと言うのです。

 そして神様は、最後にはイスラエル民族が“あわれむ者”“わたしの民”“神の子らになること”を願ってこられました。ホセアの示す神様は、絆が断ち切られて苦悩する悲しみの神であり、親しい関係を取り戻したと願う愛なる神様でした。

慈しみ深い父のかたどり

 イスラエル民族を見つめるイエス様の眼差しは、時にアモスのように、神様の義を先立たせて民に正しい行いを要求します。善悪を分別して、善なる者に立ち帰るようにとの呼びかけです。また、時にホセアのように、神と人とが本来の親しい親子関係にあったことを思い起こさせ、その関係を回復して、喜びと慰めを得るように呼びかけます。

 徴税人、売春婦、病人や盗賊、人々から蔑まれ嫌われていた者までも受け入れ、許していかれたイエス様でした。それによって、神様を忘れ、神様から離れた人類は皆、親を失った孤児のようなものであることを示しました。

 人類を憐れまれる神様が人類の真の父母であることを教えるために来られたイエス様は、目に見えない神様の愛と心情を見える姿で示そうとしていたのです。しかし、残念ながら、それを余すところなく現す前に、人々から排斥され殺されてしまいました。それで、イエス様の公生涯には、ただ預言者のごときことばと行いだけが残ったのです。

 最期の晩餐の夜、「主よ、わたしたちに父を示してください」(ヨハネ14・8)と迫る弟子のピリポに、悲しい思いを抱えながらこう答えるしかありませんでした。「わたしを見た者は、父を見たのである」(同14・9)。それが、愛する弟子が受け取ったイエス様の遺言となりました。

原理講論を読もう♪㉔

油を注がれた者DOC120223

 今月号からは原理講論第4章『メシヤの降臨とその再臨の目的』について学んでいきたいと思います。第4章はイエス様に関連する話が多く出てきますが、原理講論はクリスチャンを伝道することを念頭に置いて書かれた書物なので、新約聖書の内容を熟知しているという前提で話が進みます。そのため聖書を全く読んだことのない人が読むと内容を理解しづらいですし、理論は分かったとしても、その深い心情世界までは感じづらいのです。第4章『メシヤの降臨とその再臨の目的』を学びながら、理解しやすいように補足していく予定ですが、時間を見つけて新約聖書の“○○による福音書”を読んでみることをお勧めします。4つの福音書は全てイエス様の生涯を記したものですので、原理講論の理解に大きく役立つと思います。

 “メシヤ”という言葉はヘブライ語で“油を注がれた者”という意味ですが、一般的には“王”を意味しています。“油を注ぐ”とは、モーセの時代に祭司たちを任命する際に油を注ぐよう法律で定められていたことから由来します。(出エジプト記28・41)また統一王国時代にはダビデが王として油が注がれている場面が記述されています。(サムエル記下2・4)

 初めは為政者を意味する儀式でしたが、ダビデを境にメシヤとは“イスラエルを復興・繁栄させるために神から送られる偉大な指導者”という特別な意味が込められるようになります。(“キリスト”という言葉はギリシア語で“メシヤ”という言葉に該当し“救世主”と訳されています)そしてイスラエル民族の中に現れる偉大な預言者たちが“メシヤの降臨”を繰り返し預言するなかで、イスラエル民族は“メシヤの降臨”をいつしか待ち望むようになりました。これが“メシヤ思想”です。イザヤという預言者は“メシヤの降臨”を下の聖句のように預言しました。

 それゆえ、主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。見よ、おとめがみごもって男の子を産むその名はインマヌエルと名付けられる(イザヤ書7・14節)

 この聖句はイエス様が生まれる前に、天使がイエス様の父親・ヨセフの前に現れて引用するほど有名な預言です(マタイによる福音書1・23)

 少し横道にそれますが“預言”と“予言”は読み方は同じですが、意味が全く違います。“予言”とは予め起こることを言い当てることです。古いですが1999年地球滅亡・ノストラダムスの予言などがこれに該当します。一方“預言”とは言葉を預かることを意味します。誰の言葉かというと、他ならぬ神様の言葉です。預言者とは未来を言い当てる人を意味するのではなく、神様の言葉を預かりイスラエル民族に正確に伝える人のことを意味するのです。

メシヤ降臨の目的

 またキリスト教においては、イエス様は唯一無二の“メシヤ”ですが、ユダヤ教においてイエス様はメシヤではありません。むしろ異端者です。イエス様はユダヤ教徒でしたが、その教えはユダヤ教の律法の範囲をはるかに超えていたため、異端者となるしかありませんでした。ユダヤ教の枠におさまらなかったイエス様の教えは弟子たちを通してキリスト教という固有な宗教へと発展していきます。ユダヤ教から見ればまだ“メシヤ”は降臨していません。直接的な関係はありませんが、イスラム教においてイエス様は偉大な預言者です。しかし“最後”の、そして“最も偉大な”預言者であるムハンマド(モハメット)がより尊敬されています。次に統一教会においてイエス様は“メシヤ”です。ただしイエス様がメシヤとしての使命を完遂したか、完遂していないかという点においてはキリスト教と大きな違いがあります。(これは後に詳しく説明します)こういった各宗教が持つイエス様に対する観点の違いを理解しておくといいと思います。

 それでは何故メシヤは降臨しなければいけないのでしょうか。それは人間始祖アダム・エバが堕落したため、人類を救わなければいけないからです。本来神様はアダム・エバを通じて理想世界、地上天国を創ろうとしました。しかし堕落によって地上天国ではなく、地上地獄がつくられてしまったのです。そのため人類を救うために神様は摂理を進めて来られ、メシヤを地上に送ることで摂理を完成させようとされたのです。つまりメシヤが降臨する目的は堕落人間を救うところにあり、復帰摂理の目的を成就するところにありました。

 イエス様が聴衆に語られたのもそういった降臨の目的を裏付けています。「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全なものとなりなさい」(マタイによる福音書5・48)これは創造目的を完成して完全なる神様に似た天国人とならなければいけないというメッセージが込められています。また「天国は近づいた」(マタイによる福音書4・17)と直接的に語られながら、人々が天国に入ることができるよう準備するように強調されました。しかし天国の到来を説いたイエス様は十字架にかかって亡くなります。果たしてイエス様の“救い”は十字架によって完成したのでしょうか。そしてイエス様は十字架にかかるために地上に降臨されたのでしょうか。次号ではイエス様の十字架について詳しく学んでいこうと思います。

強いアベルとして

CARP 佐野副ブロック長

 私は中高生時代は二世学生会、大学時代はCARPで活動し、現在はCARPスタッフとして大学生、二世圏の伝道や教育に携わっています。思えば自分も中高生、大学生の時期には様々な悩みがあり、心情が大きく揺れたこともありましたが、その中で様々なことを学んで成長できたと実感しています。

強くあるということ

 最近、文國進様が日本に来られて何度も話されている内容が「強いアベルになりなさい」ということです。アベルがカインに殺されてしまったのはなぜか?“自分だけ神様に供え物を取ってもらえたアベルが傲慢になってしまい、カインを愛しきれなかったので、カインも怒りを抑えられずにアベルを殺してしまった。”という内容を聞いてきたと思います。しかし國進様は「アベルは弱かったからカインに殺された。もしアベルが強かったなら、殺されそうになった時に自分を守ることができてアベルもカインも生きる道があったんだ。」と言われます。聞き慣れないその答えに驚いた人も多かったと思いますが、考えてみれば当たり前の話です。守るべきものがあって、目標を達成しようと思うなら強くなければなりません。どんな動物にも外敵から自分や家族を守り、生命を繁殖するための知恵や武器といった力があります。ましてやサタンからの攻撃を防ぎ、神様とご父母様の夢を一緒に果たそうとしている私たちがアベルとして強くならなくて、どうやってそれを果たすことができるでしょうか?國進様もそのために「強いアベルになりなさい」というメッセージを下さるのです。

 それではもう少し掘り下げて考えてみた時、その強さとは一体何でしょうか?皆さんは強さと聞いてどのようなことを思い浮かべますか?まず分かりやすいものとしては外的な強さだと思います。健康や体力といった体の強さはもちろん大切ですし、また正しい知識や専門的な能力、創造力といった実力も必要でしょう。

 次に内的な強さに目を向けてみると、心の強さ、信念といったものが挙げられるのではないでしょうか?どんなに体力や外的実力があっても、心が弱ければそれも活かせなくなってしまいます。もうダメだとあきらめてしまうような限界の状況で、むしろ絶対に負けまいと燃えて困難を克服していける強さ、“逆境の哲学”が備わっているかが重要だと思います。これは偉業を成した歴史的な人物や世界的で活躍しているスポーツ選手などの姿をみてもわかるように、実践、実体験を通して養われる重要な強さです。

強さの動機

 このように強さと一言で言っても様々ありますが、それらの中で私が一番大切だと思うことはやはり“動機”だと思います。自分のために頑張るという動機も一つの原動力になりますが、それ以上に誰かのため、全体のため、更には神様のために頑張る人は本当に強い人です。私たちは率先して神様に対する信仰と、人や国・世界に対する愛を育み、為に生きる実践をしていくことが神様のみ旨を果たすための大きな一歩になると感じます。

 気をつけなければならないことは、私たちは“神様、ご父母様の夢を果たすために”と言いながら、いつの間にか“自分のために”という動機にすり替わってしまうところです。それを一言で表すと“我”です。我はサタンが最も好むもので、いずれは分裂を生み、自らを滅ぼしていきます。しかし我の克服は決して簡単なものではありません。真のご子女様であり、世界会長であられる文亨進様も自ら「私は罪人です。」と言われながら、毎朝3時から精誠を捧げられる背後には、本当に謙虚に自分を改め、動機を神様、ご父母様中心のものへと正していらっしゃる姿勢を感じます。私たちも亨進様に倣って、いつもこの姿勢を大切にしなければならないと思います。

 最後になりますが、私が知る上で最も強い人は真のお父様です。お父様には誰にも負けない内外の強さがあります。93歳を超えても世界を周られて神様のみ言を伝え続け、どんなに相手から裏切られても諦めず愛し続けていかれます。そして16歳の時にイエス様と出会ってから、今も変わらずただ神様のため、人類のために歩み続けておられます。

 私たちもそんなお父様の似姿になっていくことが強くなる秘訣ではないでしょうか?お父様も私たちに強くなってほしいと願われていますし、自分以上に神様を愛し、人類を愛する子女たちが現れることを願っておられます。

 ぜひ成和学生の皆さんがその願いに応え、これからの未来を築くリーダーとして強くなっていって下さい!皆さんが神様、ご父母様の夢を果たす孝子、孝女として更に活躍していくことを心からお祈りしています。

アメリカの二世たちが被災地でボランティア活動を実施

DSC02856 2月6日(月)にアメリカから米国統一教会の二世たちで組織された『GPA』(Generation Peace Academy)のメンバー44名が来日し、7日から10日までの4日間、被災地である宮城県内の牡鹿半島でボランティア活動を行いました。

 8日(水)には、全国の成和青年部長約80名も参加し、総勢130名を超える食口たちが海沿いの被災地で瓦礫の撤去作業に汗を流しました。

 10日には、作業中に雪も降り始め、海からの強い風もあり、現地のボランティアの方も「体感温度は零下10度にもなるだろう」と語るほど大変厳しい寒さでしたが、GPAのメンバーたちは、泥まみれになりながら、最後まで懸命に瓦礫の撤去作業を行いました。 

Jr.STFディレクターとして

九州での歩み

 2012年1月よりJr.STF-JAPANのディレクターになりました石原圭太郎と申します。これまで九州福岡で地区代表成和学生部長を3年間務めました。また、Jr.STFプログラムが出発した2004年から、FE第1期としてその成長と発展に携わってきました。

 特に、当時の九州における子女教育環境は、担当者が立っていなかったり中高生の成和学生会がなかったりするなど、多くの地域が暗い状況にありました。そのような状態から、5年間の変革計画を持って子女教育環境の整備に取り組みました。

 まず、FE候補者修練会と子女教育担当者研修会の実施を通して、子女教育担当者を各地域に擁立しFE化していきました。また、中高生の個別指導とJr.STF予備軍修練会の実施によって、Jr.STF文化を波及・定着させていきました。

 その結果、青年のFEのみならず、多くの父母がJr.STF選抜と同じ内容のFE選抜にチャレンジしてFE資格の認定を受けるようになりました。現在、九州には200名以上の父母FEが在籍しています。

父母FEたちとの日々

 FE候補者修練会を初めて開催した時、中高生を指導するお兄さん、お姉さんを立てたいと願って企画したのですが、予想に反して佐賀から二人のお父さんが参加して下さいました。青年用に企画した雪山夜間登山のチャレンジを、お父さんたちと霜焼けになりながら闘ったことは、今も温かい思い出です。その後、その二人のお父さんを中心に佐賀の父母圏の子女教育熱が上昇し基盤が作られていきました。それが元より神の計画であったかのように…。

 また、福岡の子女教育担当者を全員FE化するという方針を出した時には、「難しい」という批判が飛ぶ中、その決断を共有するために担当者の方々の職場に訪問したり、何度もお茶を囲んで話したことも、忘れられない日々として記憶に残っています。

Jr.STFディレクターとして

 Jr.STFプログラムは今年で9年目を迎えました。これまで1万名以上の中高生がその出発となる選抜修練会に参加し、神様の夢の主人たろうとするJr.STF文化が成和学生全体に定着してきています。

 今、祝福子女の団塊世代が中高生期にさしかかり、今後8年間は年間2000名以上の成和学生が中高生期を卒業していきます。そのような重要な時に際し、Jr.STFプログラムも成和学生全体が目指す信仰訓練プログラムであると同時に、真のご家庭の相対圏をゴールとしながら個々人において次の段階を目指すことのできるプログラムへと、更に成熟化させていきます。

 真のご父母様の教育理想と伝統を相続した教育者・父母となって、真のご父母様が愛した神様を共に愛し慰労することができる子女を育てていきましょう。

天福訓読祝祭 ~埼玉教区久喜エリアでの取り組み~

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 天基3年天暦1月1日から7日まで、韓国では“真の平和統一天福祝祭”が盛大に行われましたが、私たちの成和礼拝でもその期間に合わせて“天福訓読祝祭”というイベントを企画して、真のご父母様の古希をお祝いしました。「天基3年天福祝祭に合わせて、私たちの成和部でも何か素晴らしいお祝いを捧げなければ!」と強く思わされたのがきっかけでした。文亨進世界会長が「主の臨在と場を共にする…訓読会は正に天国のありさまだ」と語られた悟りに触れ、「訓読会しかないな」と思い『天福訓読祝祭』を企画するようになりました。

 方法は簡単です。訓読者が3分以内で訓読を行い、聞いていた人たちが“良かった”と思った訓読者に投票して、票が多かった訓読者が表彰を受けるというものです。訓読は字が読めれば誰でもできますし、皆の投票によって評価すれば専門の審査員も要りません。誰もが参加でき、どんな教会でも行うことができるイベントなのです。それでいて実に奥が深いのがこの『天福訓読祝祭』です。

 まず大きく2つ、“全体参加の班ごと訓読”と“志願者による訓読”の2部門があり、班ごと訓読では事前に用意したみ言を班ごとに選んでもらい練習して来るようにし、志願者訓読は自分でみ言を選び準備して来るようにします。訓読の表現は、声の強弱や早さ、表情や動作、グループで訓読する場合は人を分けて交互に訓読するなど、工夫を凝らして訓読を行って良いということにしました。また、志願者訓読に関しては、個人訓読、グループ訓読、韓国語訓読など、多様な訓読を認めました。

 投票の基準は“神霊”と“心情”にすることにより、面白いからとか、奇抜だったからというような軽い理由で投票するのではなく、“神霊”的なみ言の響きによって鳥肌が立ったり、胸が熱くなったり、涙が込み上げりするような感覚、または神様・真のご父母様の“心情”が伝わって来て、幸せになったり、悲しくなったり、感動したりする心情を基準に、聞く人たちが訓読の味わいを深めることができるよう工夫しました。

 最後に、バンド部の公演で盛り上がり、表彰式、志願者訓読の最優秀者に億万歳をしてもらって、素晴らしい天福訓読祝祭を天に奉げることができました。み言が川の流れのように訓読の声が響き続けた一時、天地人真のご父母様が共におられ、私たち子女たちを真の愛で包んで下さいました。