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Archive for 2月, 2012

預言者の道を歩まれたイエス・キリスト その4:アモス

アモス~厳しい裁きの預言Prophet_amos

 イスラエルの預言者が登場した南北王朝分立時代、まず、北朝イスラエルに回心を呼び掛けるため、神様はエリアとエリシャを遣わしました。2世代に渡る預言者の努力によって一時は、預言者の声に耳を傾ける王が立ちましたが、それも長くは続きませんでした。そこで神様は再び預言者を起し、イスラエルの内的刷新を呼びかけます。

 ヤラベアム二世の統治時代に、南朝ユダからテコア出身の牧者アモスを呼び出し、北朝イスラエルに遣わしました。「主はシオンからほえ、エルサレムから声を出される」(アモス1・2)

 アモスが語り始めたのは、「ダマスコの三つのとが、四つのとがのために、わたしはこれを罰してゆるさない」(同1・3)という主の言葉です。続けて同じ言葉を、ガザ、ツロ、エドム、アンモン、モアブ、ユダ、イスラエルに向かって繰り返します。

 まずこの預言者から出てきたのは厳しい叱責と裁きの言葉でした。「ししがほえる、だれが恐れないでいられよう。主なる神が語られる、だれが預言しないでいられよう」(同3・8)というアモスは、それがどんなに厳しい言葉であっても語ることを止めません。何の権威もない一介の羊飼いであったとしても、神様が語れと押し出すので、止むにやまれず語り続けたのです。

 そして、エルサレムの神殿を離れ、ベテルに偶像を祀る祭壇を築いているイスラエルを厳しく罰すると告げます。

親しい関係の回復を願って

 なぜ、裁きの言葉を告げるのでしょうか。神様は許しがないお方ではありません。語りかけるのは、「地のもろもろのやからのうちで、わたしはただ、あなたがただけを知った」(同3・2)と言いうる相手だからです。

 神様はアブラハムを召して約束の地に連れてきて、祭物を犠牲にしながら、ご自身と相対しうる僕を育ててきました。その願いはイサク、ヤコブと三代かかりましたが勝利しました。この勝利圏を相続しながら、民族として広がり、彼らがエジプトに下ってからでさえも、忍耐して時を待ち、400年の後にモーセを送って約束の地に導き出しました。

 神様が苦労して探し出したみ旨のチャンピオン、相対に立つべき選民なのに、どうしてそのことが分からないのだろうかという、呻きにも似た心情の発露が、時に峻厳な裁きの言葉となって表れてきたのです。だから、「まことに主なる神は、そのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは、何事もなされない」(同3・7)といいます。

 厳しい裁きの言葉は、彼らを滅ぼし去るためのものではありません。親しかった主と僕の関係、本来の正しい関係に立ち返らせるためであり、両者の間になんのわだかまりのない関係を回復することの喜びであることを知っているからこその叱責なのです。

創造主の叫び

 ところが、イスラエルの国と民の姿を見つめ神様の叫びは、次第に深刻になり、「神様はいかなるお方なのか」まで思い起こさせなければならなくなります。

 「見よ、彼は山を造り、風を創造し、人にその思いのいかなるかを示し、また、あけぼのを変えて暗やみとなし、地の高い所を踏まれる者、その名を万軍の神、主と言う」(同4・13)

 アモスに預言を託したのは、創造主である神様なのです。そのお方は、人類を子女として復帰し、本然の理想を完成しようとされる神様なのです。その神様がイスラエルに呼びかけます。

「あなたがたはわたしを求めよ、そして生きよ。」(同5・4)

「あなたがたは主を求めよ、そして生きよ。」(同5・6)

「善を求めよ、悪を求めるな。そうすればあなたがたは生きることができる。」(同5・14)

 これはまさにモーセがシナイで神様から授かったみ言のリフレインです。すなわち、「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。あなたはわたしのほかに何ものをも神としてはならない」(出エジプト記20・2-3、申命記5・6-7)

 そして、「イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない」(申命記6・4-5)となるのです。

 アモスからおよそ800年、このみ言の実体として来られたイエス様は、かたくなな律法学者たちを厳しく叱責することしかできませんでした。しかし、弟子たちに語り残した遺言は「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。そして、わたしの父はその人を愛し、また、わたしたちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう」(ヨハネ14・23)というものでした。

原理講論を読もう♪㉓

時代によって変化する真理を伝える方法DOC120125

 前号では現代社会に起きている終末現象を三大祝福が復帰されていくという観点から整理しました。宗教を中心とした人々の心霊復帰(第一祝福)、宗教・思想を中心とした神の版図の拡大(第二祝福)、そして科学文明の発達による人類一家族への道(第三祝福)が、終末現象であることが分かりました。それでは終末である現代に生きる私たちは、どのような点に気をつけなければいけないでしょうか?今回で終末論は最後ですが、私たちの生きる姿勢と関連させて考えてみたいと思います。

 アダムとエバが堕落することによって、人間は心霊的にはサタンの主管を受けるようになりました。これは神様との距離が遠くなり、人間の心が善よりも悪の方向へと引っ張られやすい状況にあることを意味します。次に堕落を知的な面から見ると、人間は無知に陥ったことを意味します。神様や人生の目的、死後の世界など、元々は分かっていたことが堕落によって分からなくなってしまいました。人間が堕落しなければ、科学の発達は驚くほど早かったはずだというお父様のみ言もあります。こうした人間の心霊を内的に復帰してくれるのが宗教(神霊)であり、人間の無知を外的に復帰してくれるのが科学(真理)だということは、何度か説明しました。原理講論には神様が人間を復帰する方法を、このように説明しています。

 神は堕落によって無知に陥った人間を、神霊と真理とにより、心霊と知能を共に開発せしめることによって、創造本然の人間に復帰していく摂理をされるのである(中略)神霊と真理とは唯一であり、また永遠不変のものであるけれども、無知の状態から、次第に復帰されていく人間に、それを教えるための範囲、あるいはそれを表現する程度や方法は、時代に従って異ならざるを得ないのである。(原理講論P169)

 ここで注目すべき所は、神様は真理を人間に伝える時、その範囲や表現を時代によって変えているということです。元来、真理とは一つですが、その真理を伝達する方法は、人間の心霊基準によって色々な方法がとられてきました。例えば神様は、アベル・カインの時代は信仰の証として“供え物”を要求しましたが、モーセの時代には“律法”を守ることを求めました。次にイエス様の時代には“福音のみ言”(新約聖書の内容)によって人々が真理に触れ、神様の下に帰れるようにしました。そして再臨のメシヤがおられる現代においては、お父様が語られている原理講論をはじめとした“成約のみ言”が、神様に繋がる道になっています。

 このように真理が伝えられる形は時代によって違いますが、もしもモーセの時代にイエス様が語られたような“福音のみ言”を語ったとしたらどうなっていたでしょうか?ほとんどの人はその“福音のみ言”を受け入れることができなかったに違いありません。なぜかというと“福音のみ言”は、律法を守り続けながら成長した心霊基準に合わせて神様がくださった『み言』だからです。逆にイエス様の時代に“供え物”が神様と通じる唯一の方法だと伝えたらどうなるでしょうか?人々は“律法”という神の戒めによる深い繋がりを知っているため、“供え物”という動物を介在した神との繋がりに物足りなさを感じることでしょう。

新しい真理『成約のみ言』

 実はお父様も最初から全てのみ言を語られていたわけではありませんでした。お父様は私たちが神様のみ言を理解できる心霊基準と環境が整った時に、それに合わせてみ言を語ってくださっています。例えば私たちが毎日唱えている『家庭盟誓』は1994年にお父様が定めてくださったものですが、それ以前は『私の誓い』がありました。1994年に“世界平和家庭連合”を創設されながら、お父様は“個人の時代”から“家庭の時代”に変わったことを高らかに宣言されました。そして“家庭の時代”に相応しいみ言として『家庭盟誓』を与えてくださったのです。このようにお父様は摂理に合わせて、そして食口の心霊基準に合わせてみ言を語ってくださっています。

 しかし、どの時代でも新しい摂理へと導いてくれる“新しい真理”は必ずその時代の人々に迫害を受けるようになっています。なぜかというと、それまでの“真理”よりも斬新で、高次元な“真理”なので、既存の“真理”を信じる人たちにとっては、受け入れ難いからです。ですからイエス様が語られた“福音のみ言”も旧約時代に語られた“律法”に背く言葉だとユダヤ教の律法学者たちに激しく非難されました。イエス様は十字架にかかり、イエス様の弟子たちや信徒たちも激しい迫害を受けました。それでも彼らは“真理”を棄てることなく、イエス様の教えを伝えるために命をかけたため、現在では世界で最も大きな宗教となりました。

 同じようにお父様が語られる“成約のみ言”も既成キリスト教を中心に多くの非難を受けてきましたし、現在も受けています。しかし私たちがお父様の“み言”を学び、“み言”を実践し、“み言”と一体になれば、必ず周囲の人たちは私たちを通して“み言”の偉大さに気が付くようになっています。言い換えれば、終末を生きている私たちに最も求められているのは、謙虚な心を持ち、再臨主であるお父様のみ言をしっかりと理解して、その通りに生活することを意味します。今でもお父様はみ言を通して“新しい真理”を教えてくださっていますので、お父様の一挙手一投足に関心を持っていくことが、み言理解の第一歩であり、終末における正しい姿勢だと言えます。

ご聖誕日

一番誇らしい日がご聖誕日5386621c8fd229029b952511762e54dd

 私がこのたび、ヨーロッパに行って、エルサレムに立ち寄りながら感じたことが、「ああ!真の父母様だけが、全世界の天運と祝福を、私たちの国、祖国に移してくださるのだ。私の主よ!神様、ありがとうございます!全世界の祝福が神の国に来るのだ!」ということでした。

 み言宣布大会で真のお父様が「この国は今や世界の中心だ」と宣布されましたが、別の質問があります。この国が世界の聖地だということは分かりますが、一番重要な“聖日”がいつであるかを、私たちは考えてみなければなりません。

 私たちは、統一教会人として、一番重要な“聖日”がいつか、分かっています。それは真の父母様のご聖誕日です。私たちには多くの行事がありますが、真の父母様のご聖誕日が一番大切な日です。

 今や真の父母様のご聖誕日と、神様を讃え祝う日も、これからは同じになりましたし、神様が真の父母様をご覧になったとき、真の父母様こそ、恨と痛み、また苦痛を解放した方であるため、この方がいらっしゃった日が本当に誇らしい日だと、私たちは分かっています。

世界巡回とご聖誕日を連結

 私たちはメシヤを想い、真の父母様を想えば、全世界、すべての国民がその日、お正月のその時間が来た時に、すべての国民が天福宮を訪ねて来たく、統一教を訪ねて来たく、すべての国民が、真の父母様の祝福を受けたくて、全世界の人たちがクリスマスのように、お釈迦様の生誕日のように、ラマダン※のように、すべて分かるようになって、「ああ!この日に私たちは、真の父母様の祝福を受けなければならない」という言葉を聞いたなら、どれほど嬉しいですか?もしそのようになったら、本当に驚くべきではないですか?

 これからは、真のお父様の日と、真の父母様のご聖誕日とが同じ日ですので、去年から真のお父様が、6日間、祝祭をしなければならないと命じられました。

 昨年の天歴1月1日に共に行事を終えた後、7日間、様々な行事や祝祭がありました。1週間の祝祭の伝統が生まれたのです。それで、私たちは天福宮で準備しています。どんな準備をしているかというと、世界巡回と共に真の父母様のご聖誕日を、私たちの最も重要な聖日として連結させるための内容です。

世界的に祝福を分かち合う時

 他の宗教、集団が出てきて、仏教代表者たち、キリスト教代表者たち、イスラム教代表者たち、孔子様の後孫代表者たちが出てきて儀式をし、同時に祈祷と瞑想と踊りと音楽などの公演をしながら、世界宗教祝祭のような内容で、真の父母様の日を輝かせ、またその日にその祝祭だけを見るのではなく、この祝福を私たちの家に持っていって、私たちの家に本当にその運を受けるようになる、驚くべき祝福をけるようになるのです。その日、私たちは世界平和のために祈祷を捧げます。

 同時に世界平和のためにすべての国民、私たち食口だけでなく、すべての国民が来て、真の父母様の前で祈祷を捧げ、精誠を捧げ、また奉献を捧げて、天福を受けることができる、そのような天福を受け得る祝祭を、私たちは準備しています。

 本当に誰もできないこと、真の父母様ただ一人だけが、このことができる方です。誰もできず、この国、全世界に天運を下してくれる方が誰か?まさにこの日に輝かれる真の父母様。すべての国民が来るようになるでしょう。天福宮において、今年は全世界の前に現れるようになるのです。

 「ああ!このことのためにお父様が、世界巡回に送ってくださっていらっしゃったのだなあ、世界聖地を訪問していたのだなあ、私たちの護国勇士たちのため、本当にみ言宣布大会は驚くべき祝福である。今やこの国は、神様の祖国になるのであり、全世界がこの国に向けてやってくるのだ」ということを感じることができました。

 今や天福宮は世界的に祝福を分かち合うとてえも大きな時間が来るのです。そして、その日に真の父母様に侍って、ご聖誕日を記憶する日なので、世界平和のため、すべての国のため、統一のため、天福を受ける日として、4大聖人たちと、全世界の聖地が一つになって、ここからすべての国民、全世界へと天福が現れるようになることを信じます!アージュ!

【2011年天福フェスティバルのみ言より抜粋・編集】

天国に入る公式

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 人間の責任分担とは何でしょうか?神様の愛を知り、神様とアダム・エバが完全に一つになれる基準、神様の愛の中心基準とアダム・エバの愛の中心基準が一点に集まらなければなりません。

 アダム・エバが堕落したというのは、どういうことですか?彼らが堕落する前に、まず神様に尋ねてみたなら堕落することはありませんでした。この尋ねてみることが責任分担の5パーセントです。「天使長がこれこれこうですが、どうしましょうか?」と尋ねてみなければなりませんでした。そうしていたら、神様が応えてくださったはずです。しかし、尋ねてもみないで横的な関係を結んでしまったのです。それが問題です。尋ねてみないで行動したために問題が起こったのです。いつもそうです。皆さんは、自分の責任分担である5パーセントを果たす自信がありますか?

 責任を完遂するには、まず神様を中心として、神様と一つにならなければなりません。神様と一つになる前には責任分担を完遂できないことを知らなければなりません。その次に何かというと、原理と一つにならなければなりません。このような二つの条件が成立しなければなりません。

責任分担をくださったわけ

 神様はなぜ人間の責任分担を与えたのでしょうか?堕落して人間の責任分担が設定されたのではなく、堕落しなくても責任を担っているのです。神様の95%、自分の5%を完遂しなければならないのです。人間自体の完成を神様だけがさせるのではなく、自分がそこに補って完成すべき責任があるのです。

 全知全能な方が、その全知全能な創造性まで与え、また永遠不変な愛の主体であられるので、その愛の主体を代表できる立場に立てるために、責任分担を与えざるを得なかったのです。これは福の条件となり、全体を占領できる一つの鍵のようなものなので、これを与えないわけにはいきませんでした。しかし、この責任分担の問題で堕落したことを私たちは知らなければなりません。

責任を果たせなかった結果

 人類始祖が責任分担を果たせなかったために、責任分担を果たしていないその立場は、サタン支配圏になってしまったのです。それで、責任分担を果たしていないその立場から悪主権世界が生まれたのです。従って、復帰時代において善主権世界とは、責任分担を完成した以上の立場から始まるのです。理論的にそうなります。責任分担以下は悪主権になり、責任分担以上が善主権になりますが、悪主権の出発は何によって始まったのでしょうか?堕落した愛によって始まったのです。

 サタンの愛の領域が天国の門前の境界線まで連結し、責任分担を完遂できず、直接主管圏と間接主管圏内の差をもたらした先祖の罪によって、死の淵が生じたのです。

 責任分担圏が侵犯されることで何が生じたかというと、もう一つの父母が生じたのです。もう一つの父母というのはサタンです。はっきりと知らなければなりません。

責任分担を完成した立場

 責任分担を完成した立場に立った人間とはどんな人間でしょうか?神様のように完全な人間なのです。神様が95%創造しましたが、人間が100%完成した創造物の資格を受けることのできる立場に立っているので、人間完成とともに神様の創造のみ業完成にもなるのです。創造のみ業の完成であるとともにみ旨の完成であり、み旨の完成とともに神様の完成になるといえます。

 責任分担を完成すれば、サタンがいなくなります。讒訴する存在がなくなるのです。この基準を越えられなければ、讒訴条件があるため、いくら天国に入ろうとしても入れないのです。讒訴条件の内容を持っていては入れないのです。絶対的な愛、不変、唯一、永遠の愛の内容を中心に神様の愛と関係を結んだ基準に立てば、サタンがそこに讒訴条件を立てることができません。そのような立場に立てば、万国、どこに行っても、夜も昼もサタンのいられるところがありません。サタンがいても逃げ出すようになるのです。

 責任分担を完成することによって間接主管圏と直接主管圏が連結され、地上天国と天上天国が連結されるのであり、それがなければすべて無効です。ですから、私たちは責任分担を完成した愛の実体、愛の化身となり、神様を愛し、自分の妻を愛し、万宇宙を愛し、自分の家庭を愛さなければなりません。そのような人だけが天国に入るのです。それが天国に入る公式です。

【二世の道p245より抜粋】

がんばろう成和学生!!

千葉成和学生部長

 2011年3月11日に発生した東日本大震災において、温かいご支援を賜りましたこと、この場をお借りして心より感謝のお礼を申し上げます。

 さて、全国の成和学生の皆さん、こんにちは。2012年新しい年を迎え、中高生の皆さんは輝ける未来に向かって日々歩んでいることと思います。岩手教区の成和学生会は、2011年、神様、ご父母様の計らいにより、大きな恵みをいただきました。どれほど感謝してよいか分からないくらいです。中和文化祭東日本大会、スピーチ部門優勝、エンターテイメント部門3位をいただき、本当に感謝でいっぱいです。中高生たちがこの経験を未来へと連結できるようにと心から願うものです。

 学生たちの頑張りはもちろんのことではありますが、これまで学生たちのために尽くしてきてくださった前任担当者はじめ、牧会者の皆様のご協力、父母会の皆様のご努力ご協力等々、本当に多くの皆様のおかげで恵みをうけることができたことに感謝いたします。この場を通じてお礼を申し上げます。全てのファクターなくしてはなされなかった栄光であります。成和学生たちが東日本大震災によって疲弊していた東北に、明るい愛の光ををもたらしてくれました。

神様を背負って歩まれるお父様

 ところで、突然話は変わりますが、昨年、女子サッカーの“なでしこジャパン”がワールドカップで優勝したことは、まだ記憶に新しいところだと思います。選手・監督・コーチが一体化した素晴らしい勝利の感動的瞬間だったと思います。

 私もかつてはアスリートでした。監督・コーチの言うことは絶対で、それを信じて練習を続けることが勝利への近道だと信じて練習に励んでいました。自分のことを客観的に観てくれる人がいて、そして的確なアドバイスが得られて、自分の成績に責任を持ってくれる人がいる。だからすべて任せることができたし、多くの成績を残すこともできたのだと思います。

 では、お父様はどうでしょうか?お父様はみ旨を困難に思うことはないのか?誰かに頼りたいと思ったことはないのか?本当に方向を見失ってしまった時、お父様はどうされているのか?ということを私は考えたことがあります。そんな時、あるみ言と出会いました。それはお父様がご子女様に語られたみ言でした。

 「~人は先生のことをスーパーマンのように思っている人が多いけれど、先生だってみんなと同じように頭の痛いときもあれば体の具合が悪い時もある。しかし、いかなる時もその痛みを越えてみ旨に没頭してきた先生なんだよ。私がみ旨をやめてしまったら、誰がこの可哀そうな神様を解放することができるのか、先生はたとえ一人ぼっちになったとしても神様を背負って行こうと決意したのだよ~」。というものでした。信仰路程で苦しくなったとき出会ったみ言でした。自分のことを背負い、責任を持ってくださる方がいらっしゃる。だから安心してついて行こう。と決意を新たにして出発をしたことがありました。

岩手の学生たちを背負う決意

 そして、今回、そのようなお父様の心情に通ずるような経験をしました。“目の前にいる成和学生たちを背負ってゆく決意をしよう・・・”と思った瞬間があったのです。私が責任を持たなければこの学生たちの懸命な努力を誰が未来に連結することができるのか?と・・・。私も真剣に共に戦おうという決意をした瞬間でした。

 神様・ご父母様が私を通じて成和学生たちを教育してくださっているのだなあと感じました。また、今回のことで学生たちも成長しましたが、私も多くのことを学び訓練を受けることができました。心から感謝しています。

 中高生たちはこれから幾多の試練を超えて行かなくてはならないでしょう。しかし、今回の中和文化祭に向けての歩みにおいて経験したことを忘れないで欲しいと思います。何の基盤も環境も整っていない地方の教会でも、都市部の教会に伍する闘いができたのです。環境や事情が問題ではなく、志を同じくする仲間が力を合わせればできないことはないのだ、ということを忘れないで下さい。

第45回真の神の日おめでとうございます。

Jr.STFディレクターとしての5年間

 これまで心情的に全国の中高生を指導してこられた今井康勝兄の後任として、新しく成和学生部長となりました。2006年9月に当時のアベルより電話を頂き、二世局Jr.STFディレクターの就任を打診された際に、その責任の大きさに「断れるのか」尋ねたことを思い出します。CARPから二世局へ、青年から中高生へと所属・対象が大きく変わり不安が先行していましたが、初代ディレクターを務めた実兄と1か月間を共に過ごし、とにかく前を向いて取り組む姿勢を学び、後ろを振り返ることを止めました。

 Jr.STFプログラムに関して言えば、2007年以降の卓越化から大衆化への転換、FEの推進と父母FE誕生による三大圏家庭理想の教育、統一運動草創期の大先輩方との共同作業、海外奉仕、短期語学研修、国内1,000名を超える全国研修開催等、とにかく前進することで精一杯だった気がします。その間、多くの方々に支えられ、また多くの方々との因縁を持つことができたことを深く感謝しています。私の好きな聖句、へブル人への手紙第11章の「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ぬ事実を確認することである」を時折思い起こし、不安をかき消して前を向いてきた5年間でした。

愛天・愛人・愛国の教育理念

 イギリスのトニー・ブレア氏が首相に就任した際に、「私が優先的に実行しなければならない政治課題が3つある。それは教育、教育、そして教育だ」と演説し議場の拍手喝采を浴びました。「教育は国家百年の大計」と言われ、統一運動の財産である二世圏の教育に関して、頭を悩ませなった日はほとんどありません。信念と確信を得る前に、常に挫折と迷いの繰り返しでしたし、今もそれは変わりません。結局、原点に立ち返ることの大切さをこの5年間で深く学ばされた気がします。

 「愛によって生まれ、愛によって育てられ、愛によって生き、愛してまた愛を残していく、それが人生の最高の目的です。」(『御旨と世界』より)お父様のこのみ言に奮い立ち、神様が私たちを愛していること、その神様に愛をお返しすることの価値、人を愛することの意味を集中して伝えてきました。今後もお父様の教育理念である愛天・愛人・愛国の精神を軸に、その教育を具現化・形状化していきたいと決意新たに出発していく所存です。

 Jr.STFプログラムは、12地区の代表成和学生部長も務めた石原圭太郎・新ディレクターが後任として責任を持ちます。今後とも温かいご支援・ご協助を宜しくお願い致します。

栃木教区成和学生会

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 全国の成和学生の皆さん、お元気様です! 世界の日光、そして苺が美味しい栃木教区です。栃木教区では、学生会の中心メンバーとして宇都宮の学生11名が歩んでいます。 

“栃木はおとなしい”とよく言われますが、『神様とご父母様の心情を相続し、天一国創建の主人となろう!』というスローガンを掲げていて、学生たちの心に灯る炎はとても熱いものがあります。昨年7月から学生部長が変わり、一人ひとりが愛天、愛人、愛国と栃木に責任を持って歩んでいます。  毎週末は礼拝前に為に生きる実践として、多くの兄弟姉妹たちが共にご父母様をお迎えする心情で教会の中や周りを掃除し、礼拝中には学生たちが司会、感謝報告祈祷、音声などの役割を担っています。また、聖歌を歌う、説教者の話に相対するなど、神様に捧げる礼拝を意識しながら主体的に取り組んでいます。

 礼拝後の交流では説教内容のシェアをしたり、トランプなどのゲームをしたり、おしゃべりを楽しみながら、笑顔が溢れる教会、来たくなる教会を意識しながら兄弟姉妹の絆を深めています。そして交流後には恒例のウリノレを元気に歌って、出発していきます!!

 最後に学生会メンバーで反省会を行いながら次の週末に向けてより良く礼拝を捧げていけるようにと話し合いをしています。

 また、月に1回、青年部のお兄さんお姉さんたちとスポーツ大会を通して交流もしています。土曜日にはJr.STFローカルミーティング、勉強会、お泊り会、小学生1dayのスタッフと充実した日々を歩んでいます。これからもスローガンを中心としながら、神様を愛する1番を目指して兄弟姉妹と共に歩んでいきます。