Subscribe via RSS Feed

預言者の道を歩まれたイエス・キリスト その2:エリヤ②

 

ホレブの山で神の声を聞く

 カルメル山上でバアルの預言者たちと対決するエリヤを見たアハブ王は、神の預言者の言葉の背後に、生きた神様がおられるのを見て恐れました。しかし、その妻イゼベル女王は、エリヤの為したことを王から聞いて、ますます怒りに燃え、エリヤを殺そうとします。

 追っ手を逃れたエリヤは、40日40夜の道のりを越えて神の山ホレブにたどり着きます。荒野をさまようモーセが再び神の声を聞いた召命の山。エジプトを脱出してイスラエルの民と共に再びこの山に戻ったモーセが、十の戒めと数々の教えを神様から受けた聖なる場所です。

 その山に身を潜めているエリヤに神様は声をかけます。「エリヤよ、あなたはここで何をしているのか。」(列王紀上19・9)そして命じます。「出て、山の上で主の前に、立ちなさい。」(列王紀上19・11)そのことばに従うエリヤの目の前で、驚くべきできごとが起こりました。

 「見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。主のみ前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた。」(『聖書 新共同訳』列王紀上19・11-12)

 自然の脅威を目の当たりにすると、その現象そのものを神と恐れる人がいます。災害による多くの被害と犠牲を見てしまうと、悲しみが怒りにかわり、こんなむごいことをする神などいらないという人がいます。しかし、イスラエルの預言者はそのいずれでもなく、心を落ち着けて静かに耳を澄まします。歴史を導く神様の“静かにささやく声”を聞くのです。

残りの者

 そこで神様はエリヤに新たな命令を下しました。ハザエルをスリヤの王に、エヒウをイスラエルの王に、エリシャを後継の預言者として油を注げというのです。そして尚も次のような約束をされます。「わたしはイスラエルのうちに七千人を残すであろう。皆バアルにひざをかがめず、それに口づけしない者である」(列王紀上19・18)

 そこでエリヤは山を降り、エリシャを後継者としました。神の前に悪を行うアハブ王には悔い改めを促します。少しばかりの悔い改めも空しく、王は隣国との戦で亡くなります。後継のアハジヤ王はイゼベル女王と共に、またしてもエリヤと敵対します。

 エリヤは、王が神様のみ意に従って国を導くことを願って、悪を清め、人々の心を神様に向けさせようとします。そのために、時には激しい火の審判を行うこともありました。

 しかし、悔い改めようとしない王族たちを前に、エリヤはその使命半ば地上を去る時を迎えました。エリシャに使命を託し、神様が準備しておいた“残りの者”たちに希望をかけながら、「つむじ風に乗って天にのぼって」(列王紀下2・11)行きました。

荒野で叫ぶ者の声

 飢饉の時に荒野に逃れた後、時が来て王の前に姿を現した預言者エリヤは、“荒野で叫ぶ者の声”でした。火のような預言者は、「主の言葉によって天を閉ざし、三度、火を降らせ」(シラ48・3)ました。それは、「神の怒りが激しくなる前に、これを静め、父の心を子に向けさせ、ヤコブの諸部族を立て直す」(シラ48・10)ためでした。この使命に全力を傾けたエリヤも、最後は道半ばにして後継者に後を託して逝くしかなかったのです。

 数世紀の後、変容の山でイエス様はこのエリヤと何を語りあったのでしょうか。エリヤが歩んだ苦労の道を、誰よりもよく知っていたイエス様に違いありません。悲しみを抱えた彼の心もすべてを知っていたことでしょう。なぜなら、神の子でありながら、僕の如く苦難の道を歩まれたイエス様だったからです。メシヤとしての権能を表すこともできず、地上では洗礼ヨハネが為すべき使命、エリヤの使命を粛々と果たしていかれたのです。それ故にエリヤも同情せざるを得なかったことでしょう。

 変容の山でエリヤは、イエス様の行く道を気づかっていたのかもしれません。ただひとりも信じ従う者が無く、使命を託す後継者も見出せない状況に立たされているイエス様は、自国からも排斥されて十字架の道を踏み越えて行かなければならない瀬戸際に追い込まれていったのです。

 その頃からイエス様は「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、また殺され、そして三日の後によみがえるべきことを、彼らに教えはじめ、しかもあからさまに、この事を話された」(マルコ8・31-32)とあります。

Category: 誌面説教