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預言者の道を歩まれたイエス・キリスト その2:エリヤ①

 

変容の山c19b1a797282fb15ce6499769d251e1e

 公生涯を歩まれるイエス様は、ご自身がメシヤであると証しすることもできず、多くのしるしと奇跡を見せながら神の国の到来を告げていました。その歩みも終わりに近づいた時、イエス様は三人の弟子だけを連れてナザレの郊外にあるタボル山に登りました。その山上でのできごとが、マタイ福音書にはこう記されています。

 彼らの目の前でイエスの姿が変り、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。すると、見よ、モーセとエリヤが彼らに現れて、イエスと語り合っていた。(マタイ17・2-3)イエスがエルサレムで遂げようとする最後のことについて話していたのである。(ルカ9・30)

 イエス様はメシヤとして本来の使命を果たすことができるのか否か、十字架の犠牲の道を行かざるを得ないのかという瀬戸際に立っていました。最も身近にいた三弟子さえ、イエス様の事情が全く分かっていませんでした。天の父だけが「これはわたしの愛する子」(マタイ17・5)と証をしています。

 旧約の預言者エリヤの歩みを見ると、この時イエス様が抱えていた事情の深刻さを理解することができるでしょう。

エリヤの歩み

 エリヤが預言者として登場するのは、北イスラエル七代目の王アハブの時代です。アハブ王は、北イスラエル歴代の王の中でも、軍事的、経済的繁栄をもたらした王でした。しかし、物質的豊かさを誇っても、神様を離れては永続的な繁栄は望めないことを選民の歴史は戒めています。

 創造主であり救済主である神様を忘れて、偶像崇拝に陥ったアハブ王の前にエリヤは警告を発します。「イスラエルの神、主は生きておられます!」(列王記17・1)。そして、今後、神が定めた時まで雨が降らないと告げるのです。「彼の言葉は松明のように燃えていた」(シラ書48.1)とユダヤの民は称えていますが、アハブ王には耳の痛い言葉だったでしょう。

 預言者は真実を伝えたために危険にさらされ、ヨルダン川の東側に身を隠します。カラスが運んでくるパンと肉で飢えを凌ぎ、川の水で渇きを癒します。そこで水が尽きると、今度は北部の海沿いの町に行って、貧しい未亡人の母子を訪ねるよう神様から促されます。

 エリヤはその家で一口のパンを求めます。未亡人は、親子がその日食べるだけの小麦しかなく、これから食べて死のうとしていると答えます。エリヤは神様が言う通りにするようにと告げ、少しばかりのパンを分けてもらうと、不思議なことに、その後は小麦も油も減ることがなく、彼らは飢えないで済んだのです。

 ところがしばらくして、その家の息子が病気で死んでしまいました。母親は悲しみのあまり預言者に詰め寄ります。「わたしの子を死なせるためにおいでになったのですか」(列王紀上17・18)と。哀れに思ったエリヤは、男の子を抱きかかえて、神様に訴えました。すると、神様はその祈りを聞かれ、男の子を生き返らせたのです。この奇跡を見て、婦人はようやくエリヤが本物の預言者であることを信じ、「あなたが神の人であることと、あなたの口にある主の言葉が真実であることを知りました」(列王記上17・24)と告白しました。

 一人の女が預言者を信じるようになり、三年の歳月が過ぎて、神様は「わたしは雨を地に降らせる」(列王記18・1)と言って、エリヤを再びアハブ王の前に立たせます。

カルメル山での対決

 エリヤはアハブ王の悔い改めのために、偶像に仕えるバアルの預言者たちとの対決を決意します。

 カルメル山に集められたのは、バアルの預言者450名。アシラの預言者400名。神様の立てられた預言者はエリヤ一人。エリヤは何ものも畏れず、立ち向かいます。「火をもって答える神を神としましょう。」(列王記上18・24)

 薪を並べて祭壇を築き、供え物の牛を切り裂いてその上に載せました。初めに、バアルの預言者たちが大声を上げて仰々しく何時間も祈り続けましたが、一向に火が降る様子はありません。そこで、今度はエリヤの番です。わざわざ薪に水をかけてから祈りました。「アブラハム、イサク、ヤコブの神。…主よ、この民にあなたが神であること、わたしがあなたのしもべであって、あなたの言葉に従ってこのすべての事を行ったことを、今日知らせてください」(列王記18・36-37)

 するとすぐに、火が降って、供え物を焼き尽くしました。それを見た、王もバアルの預言者も恐れ、イスラエルの人々ははっきりと“主が神である”ことを知ったのです。

Category: 誌面説教