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学生生活

衣食住生活1

 私は中学生の時、ソウルに来て学校に通いました。先生は故郷を18歳の時から去って、今まで故郷を忘れてサタン世界を収拾するために、人生を懸けてきたのです。

 学生時代に自炊生活をしました。七年間一人で自炊生活をしました。ソウルはこの頃は天気が良いけれど、当時は零下21度、平均零下15度で、寒い時でした。その時は、井戸で水をくむとき、鉄のつるべで水をくむとひもがよく切れたのです。冷たい部屋で生活するのです。中学校、高等学校時代は冷たい部屋で寝ました。

 その時には、布団の布袋を冷たい部屋に敷いて寝て、朝にパッと起きてみると、ペタッとそのまま跡が刻まれているのです。これが一週間過ぎても消えないのです。模様がついている跡なのです。ですから、火を炊かないで生活する若い青年は悲惨だ、と考えるかもしれません。寒いから仕方なく電気のコードを使ったのですが、今見ればあちこち傷があるのです。

 先生は中学校時代に昼食を食べませんでした。お金がないから食べないのではなく、お腹がすいた人の事情を知るためでした。また、ご飯がないからそうしたのではありません。修行するものたちは、人生を通じて、平常時に修行しておかなければならないと思って…。その時は、何があっても食べることが楽しみだったのです。ただ、食べてもまた食べたいときです。そんな時に昼食を食べなかったのですから、昼食のとき、ご飯を慕う心は複雑なのです。友人たちは弁当を持ってきて食べているのに、私は遠いところに一人座って、ご飯も食べないで瞑想するその場は深刻な場だというのです。

 先生は、先生自身に対しては本当にケチなのです。私は30歳までは、学生時代にも新しい洋服を買って着たことがありません。古物商に行って古着を買って着ました。服は全部学生服ですが、継を当てて着ました。古物商、ソウルの交叉点にある古物商に行って、学生たちが来てもっていかないもの、皆襟に垢がついていたもの、油あかが付いたもの、臭いがするものをわざと選ぶのです。髪はできるだけこうして、顔も洗わないで、なるべく髭もそらないで、なぜ?どこに行ったとしても何でもできるのです。そして、その残ったものでかわいそうな人を助けてあげた人です。あるいは愛国者の家族に、夫が恥辱をうけるなど困難があれば、名もなく助けてあげた人です。そんな生活をしてきたのです。

お金を惜しんで歩き回られる

 学生のとき、先生は電車に乗って通うことができませんでした。絶対に乗らないで通ったのです。そのころ、電車料金が5銭でした。それでも必ず歩いて通いました。そうして往復10銭を集めて、道ばたで施しを願う人々にあげました。

 私が学生のとき、黒石洞からソウル駅まで歩いて通ったことが思い出されます。夏に友人たちはみなどこに行くにしても電車に乗って通ったのですが、私は歩いて通いました。「私が行く道は違う。お前はこの道を行ってはだめだ。」と考えたのです。駅前に行けば、施しを求める彼らの前に両手でお金をあげながら「私が今あげるものは少ないけれど、このお金が千万倍に増えて、乞食のようなこの民族が解放の一日を迎えることができるようにしてください。」と祈祷したことが思い出されるのです。呻吟と塗炭の中に包まれている哀れな民族の事情を知り、その民族の受難の歴史に血と汗を流した自分の一族を知り、自分の一家を知り、自分の父母を知らなければなりません。

 私が日本に行くとき、ソウル駅から下関まで、オーバーを被って慟哭をして行ったのが何時間だったか。今も忘れられません。そのとき、韓国人たちは全部日本に行く人たちですが、彼らには父母がいます。しかし私は「神様!み旨の中であなたが行くことのできる、力を振り絞っていくことのできる礎を置くために、愛の情熱に燃える心情が溶け出ていって、流れる涙の跡を通さなければならないということを私が分かりましたので、そのような道を行かせてください。」という祈祷をしたのです。

 高いところから訪ねて行かなかったというのです。貧民窟から、人間の末端のところからたどって訪ねていきました。その世界の生活苦に喘ぐ人間像を知って…どんな分野でも全部経験しました。労働もしてみて、農業もしてみて、船乗りもしてみて、してみなかったものがありません。

 私の人生の千秋の恨とあなたの哀れなすべてのものをこの息子が受けて…6000年歴史の中であなたの心情に何らかの恨が残っているならば、この息子一人を打っておいて、千万代打っておいて解くことのできるその心を持ってくださいと言いながら、そんな道を探してきたのです。

【二世の道p234より抜粋】

Category: み言の学校