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天の導き

 

17歳で結婚するであろう5_2

 私が、1943年1月6日午前4時20分に生まれてきた背景には、新しい教会を導いていく李浩彬牧師の主礼で私の両親が紹介され、その時、天が特別に、「善男善女、この夫婦を通して天の大きな祝福の恩賜があるだろう」ということが言われていました。

 そのような過程において、新しく来られる主を迎えるために、母方の祖母である趙氏ハルモニと母が、熱心に精誠を尽くし、訪ね歩きながら、最善を果たした位置で私が生まれたことを知っています。

 その当時は平壌を中心に新しい復興運動が活発に展開されていました。祖父母と父母は、平壌を中心として、すべてのみ旨、天の摂理が成されると信じていました。

 その時、私が6歳だったと記憶しています。お父様のみ言の中にも出てきますが、許孝彬氏が監獄に入っている時、その母親が許孝彬氏の代わりに精誠を尽くし、啓示を受けたりしていました。その時、その方が私を特別な場所に一人呼んで私の頭に手をおいて、私に、「お前は特別な子、天が愛する子である」と祝祷してくれたことを覚えています。

 多くの話がありますが、大きく覚えていることは、サタンが「お前が生まれたことによって私が滅びるようになったからお前は死ななければならない」と言って首を絞めるのを、出産を終えたばかりの母が、あらんかぎりの力を振り絞ってサタンを防いで助かったということです。

 そして、6・25戦争(日本においては6・25動乱)の時、大邸で長く避難生活をしましたが、その時はまだ10歳になりませんでした。母親が小さな店をしていました。私はその店の前で遊んでいたのですが、通りがかった道人なのか僧侶なのか分かりませんが、その人が母に、「(この子は)あなたの娘ですか?『息子を10人あげる』と言われても取り替えてはならない。貴い娘だからよく育てなさい。17歳で結婚するだろう」と、10歳にもならない少女にそのような言葉を言ったのです。さらに、「夫になる人は年を取った人であろう。陸海空を支配する富者である」と言ったのです。そのように行く所ごとに保護され証しされることが数多かったのです。

天が願うのは何人ですか?

 私としては最善を尽くそうとしたのですが、天が見るには、また真のお父様が見るには、たいへん不足だったと思います。しかし、最近、ニューヨークで36家庭の婦人たちが集まってこんな話しをしたと聞きました。「ああ、お父様がお母様に会うことができなかったなら、統一教はどういうことになっていただろうか。天がお母様をこのように立てられたことは本当に、本当によかった。」「私たちはお母様に感謝しないと…。」と。その話を聞いた時、それでも私が努力したことを分かってくれる人がいるのだなあと…。

 初めは何も分からなかったのですが、「17歳で結婚するだろう」という、通り過ぎた道人の言葉ですら忘れて暮らしていたのですが、17歳になる日に聖婚するようになりました。

 復帰摂理をみる時、聖書での歴史はとても複雑です。それで、本来神様が理想とされた創造理想の実現を成すためには、どんなに困難なことがあっても、私ができる最善の努力をしながら、「私が複雑な事情を一つにします」と決心しました。

 それで、天がくださったのですが、子供たちも一生懸命産みました。その時、60年度から始めて、72年度、本格的には73年度、米国で摂理される間、あまりにも大変でした。共産党が直接、お父様の行く所をついていきながら、妨害して、言い表すことのできないいろいろな脅迫や危険な問題がたくさんありました。

 私はあまりにも神経をすり減らし、また車に乗って移動し続けるので、だいたい5年間は、流産をたくさんしました。

 病院からも、「今まで産んだ子供のためにも、母親が健康でないといけないのに、なぜこんなに自分のことを考えないのか」と言われました。しかし、私の立場では、「もう産みません」と言うことができないのです。

 それで、「天が願うのは何人ですか?」と祈祷しました。また、よく霊通される権士ニムに特別祈祷をお願いしました。「私がどうしたらいいのか」と…。すると、その権士ニムが3日間、山に行って祈祷してこられて言われました。「お母様!天が、『13人まで産みなさい』ということです。」と。

 その後に、息子は亨進が末っ子で、その次に娘が2人生まれました。本当に不思議なことは、60年代に、ある人に、「私が何人産んだらいいですか」と聞いたことがあったのですが、「最後に娘が2人生まれるだろう」言われたのです。結局、息子が7人、最後に娘を2人産んで娘も7人です。息子娘を等しく、14人産んだのです。

 【2011年3月4日天和宮訓読会 編集、抜粋】

Category: み言の学校