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真の父母様億万歳(文亨進様のみ言)

 

自分に対する中毒IMG_7855

 私たちは自分に対する“中毒”があります。自分も知らない間に持つ、“私を大切にしたい”“特別だと思いたい”“私を守りたい”“私を維持したい”“私を大きくしたい”という心です。ここからすべての苦痛が生じると、仏教では教えています。

 私は榮進兄さんが昇華されたので、“1歳年上の兄さんが亡くなったという事実がどれだけ苦しいことなのか、他の人には分からない。兄さんが早く霊界に行かれた、私の苦痛は特別だ。私の苦痛は唯一だ。この苦痛を人々は理解することができない”と思いました。

 仏家にとても有名な話があります。ある女性が釈迦を訪ねて、「私の息子がとても幼いのに死にました。この息子を生かしてください」と言います。釈迦は、「あなたが、すべての家々を回って死の経験を持たない家庭を探してきたら、息子を生かしてあげましょう」と言われました。ところが、この女性が家々を訪問しながら悟ったことが、すべての家庭には死の経験があるということでした。両親が亡くなった、子供が死んだ、親戚が死んだなど、すべての家庭が死の経験を持っていました。

 私もそうでした。“榮進兄さんが亡くなったこの苦痛を誰も理解することができない。私のこの苦痛は特別で、それを感じている私は特別な人だ”と考えました。しかし、それは大きな錯覚でした。

中毒を克服する

 私は、修業を通して私に対する中毒を攻撃するようになりました。“私”というものをずっと壊していきました。そして、これを通して私は自分の心のその執着に対して解放されました。とても深刻に自分を見つめ、私自身が苦痛を作っていたということが分かり、また私に対する執着があることが分かり、“知恵の刀”でそれらを切り捨てなければなりませんでした。“知恵の刀”というのは仏教で象徴的な意味を持つ言葉です。

 そのような修業の段階を通して、とても大きく解放されました。“私が特別ではなかった。私の兄さんが亡くなったことは特別ではない”ということを悟りながら、その執着から解放されました。

 私の存在を常に維持して、その存在を讃美しようとする、そのような内容から解放されるようになったのです。

真の父母様に集中する

 マタイ福音書15章をみると、イエス様が海の上を歩いていきます。イエス様が海の上を歩いているのに弟子たちは船に乗っています。ところが、イエス様が、「こちらに来なさい」と言われます。海の上を人間がどのように歩くことができますか?それでもイエス様は「来なさい」と言われるのです。そして、ペテロを呼ばれました。ペテロはイエス様を信じて海の上に立ちます。そして歩いて行くのです。ところが、急に風が吹くことに気づき、そのことに集中すると、水に溺れるのです。

 この中にものすごい知恵があります。「私たちの人生において、波や風、激しい暴風雨が来ることがありますが、完成した再臨主だけを見つめなさい!そうすることで、その暴風から逃れられるだけではなく、その暴風に乗って海の上を歩いていくことができる」ということを、私たちはここから見ることができます。

 私たちの心をみると、私たちは常に主を見つめようと思っていますが、すぐ違うことに集中するようになります。いろいろな問題、暴風、波…。そして私たちも知らないうちに海に溺れるようになります。

 “真の父母様億万歳”をする時、私たちは何をしていますか?なぜ、普通の賛美と違うのですか。普通、皆さんが賛美をする時、皆さんの心を振り返りますか?心があちこちに行ってさまざまな考えや心配事もします。

 ところが、“真の父母様億万歳”は中心を“真の父母様億万歳”だけに置きます。私たちの心が離れようとするとき、また、“真の父母様億万歳”に戻ってきます。このような螺旋形が永遠に入ることができ、永遠に出てくることができます。

 ですから、この“真の父母様億万歳”をする時、私たちは真の父母様に向かって、風が吹いてもその風に乗って、他の所に集中しても、水に溺れても、また戻ってきて…。そのような“真の父母様億万歳”の力で、主だけを見つめていく力で、どんな障害物、波、暴風が来ても、その内容を越えて打ち勝つことができると信じます。

【天一国食口礼拝 2011年2月20日】

Category: み言の学校