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原理講論を読もう♪⑭

 

 前回ではアダムとエバの堕落についていくつかの疑問点を挙げてみました。①「善悪を知る木の果」を食べるとはどういう意味なのか?②堕落行為はどのように起こったのか?③エバに木の果を食べるよう誘惑したヘビとは一体何者か?④全知全能の神様はどうしてアダムとエバの堕落行為を止めなかったのか?という4つの疑問です。今回から本格的に堕落論の内容に触れていこうと思いますが、まずは神様が決して食べてはならないと言われた「善悪を知る木の果」について考えてみようと思います。

善悪を知る木の果

 「善悪を知る木の果」とは物質的な果物なのか、それとも何かを象徴したものなのか、これまで多くの議論が重ねられてきました。ある人は「善悪を知る木の果」をりんごや桃だったと言い、ある人はエデンの園だけに生える果物だと主張しましたが、はっきりとした根拠を示すことはできませんでした。またある人は神様の言葉に従順であるかどうか試すために命令したのだと信じています。しかし人間の従順さを試すために「食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましく」、更にはアダムとエバがいくらでも食べられるところに置いておくでしょうか?私たちの家庭で考えれば毒が入っているおいしそうなお菓子をテーブルに置いて、「食べちゃだめよ」と子供を教育するお母さんはどこにもいません。またエデンの園でアダムとエバは決してお腹が空いて苦しんでいたわけではありませんでした。アダムとエバはエデンの園で食べるものに不自由していたわけではありませんでした。お腹も空いていないのに命の危険を冒してまで、神様の戒めを破ってまで食べてみたいものなどあるでしょうか?このように「善悪を知る木の果」とは、物質的な果実ではなく、アダムとエバが命の危険さえも忘れてしまうほど強い刺激と魅力を持った何かだったということができます。

生命の木

 創世記を見るとエデンの園の中央には「善悪を知る木」とともに「生命の木」があったといいます。「生命の木」は聖書の中で複数引用されている部分が見受けられますのでいくつか紹介してみましょう。

 望みを得ることが長引くときは、心を悩ます、願いがかなうときは、命の木を得たようだ。(箴言13・12)

 見よ、わたし(イエス)はすぐ来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり終わりである。いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都に入るために、自分の着物を洗うものたちは、さいわいである。(ヨハネ黙示録22・11~14)

 神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた。(創世記3・24)

 聖句を見ると、堕落する前のアダムの願いも、堕落した後の人々(イスラエル民族)の願いも同じように“生命の木”を得ることにあったことがわかります。エデンの園で成長期間にいたアダムの一番の願いとは何だったのでしょうか。それは間違いなく神様の戒めを守り、成長期間を全うして神の創造理想を完成した人間になることでした。“神の創造理想を完成した人間”とは①神様を中心として心と体が一つになった人間 ②神様が選んでくれた一人の女性(エバ)と夫婦となり、子供を産むことを通して理想家庭を築くこと ③理想家庭を基盤として理想的な社会、国家、世界を築くこと、でした。創造原理で学んだ三大祝福を成就する人が“創造理想を完成した人間”だと言えます。ところが成長期間に堕落してしまうことでアダムとエバは心と体を一体化させる個性完成すらできずに、神様のもとを離れてしまいました。そして神のもとを離れたアダムが神の創造理想を完成することはできませんでした。同じようにアダムとエバの子孫も神のもとを離れていたため、人類のうち誰一人として神様の創造理想を完成することはできませんでした。もしもアダムが“創造理想を完成した人間”になっていれば、それはアダムが完成することを意味します。こうした背景を考えるとき、“生命の木”とは“完成したアダム”を象徴的にあらわしていたものだと結論づけることができます。“完成したアダム”になることは堕落する前のアダムの願いでもあり、その後の人類の最も大きな願いでもありました。

神様の与えられた戒め

 このようにエデンの園に創造理想を完成した男性(アダム)を象徴する木があったならば、その隣にあったとされる“善悪を知る木”は創造理想を完成した女性(エバ)を象徴すると考えるのが最も合理的だと言えます。エバが完成して“善悪を知る木”となるためには愛を完成させることでもあります。“木の果”とは繁殖と結実を象徴していますので、“善悪を知る木の果”とは神様の創造理想を完成させるための“エバの愛”を比喩したものだといえます。つまり“善悪を知る木の果を取って食べてはならない”という神様の戒めは、神様が許してくれる時期が来るまで純潔を守らなければいけないという約束だったのです。このようにエデンの園でアダムとエバが犯した堕落とは“純潔”を守ることができなかった罪だったのです。

Category: 誌面説教②