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学校と勉強

学校とは

 教会は天のためのものであり、学校は未来の子孫のためのものです。神様のみ旨は後世のため残すものです。個人を犠牲にし、より大きな後世を願うので、今は滅びても、後世により大きな国と世界が到来することを思い、そのためにあらゆる精誠を尽くす のです。

 皆さんは学校に通っていますね。小学校なら小学校を出発した動機があります。そして、学童として毎日毎日日課に対する相対的観念を通し、それといかに一つになる かという過程を通して小学校卒業という一つの過程を終えることになるのです。そう して小学校を卒業した目的の上に、卒業したというその目的基準の先に新しい動機を見出して、新しい世界と相対的関係を結び、新しい目的の世界に進むのが中学校であり高校であり大学であるわけです。

 学生たちは学校に通いますが、なぜ学校に通いますか。学校に通うのは国と世界のためです。そのように考えなければなりません。そこが人と違っていなければなりません。

 赤ちゃんはお乳を飲んで満足しながら人の顔も見分けるようになり、「あの人がい ちばんいいな。あの人がお乳を飲ませてくれる人だ。」と思うのです。でも、お乳だ け与えていればいいのでしょうか。本当に愛する親なら、訓練もして運動もさせて、いやなこともさせなくてはいけないでしょ う。大きくなればなるほど世界に打ち勝つ ことのできる人にしようとする親、世界的な厳しい訓練をすべて施して、世界が太刀打ちできないような人に育てようとする親が本当の親なのです。

 それは小学校、中学校、高等学校、大学に通わせて訓練し、世界を支配できる人、世界に支配される人ではなく、世界を支配できる人にしようということです。

教育と善

 私たち人間は、どのように生きるにせよ、 この世に生を受けたなら、一つの時代を生 きていかなくてはなりません。一つの時代を生きるにおいて、人類の生活はいろいろな形で展開しています。とりわけ、悪いことはしやすい世の中です。悪いことにはすぐかかわってしまいがちですが、善いことは難しいのです。悪いことをしやすいのです。ですから、これを制裁し防ぐための法律はたくさんあります。

 いろいろな人々に「君は善い道に行くのか、悪い道に行くのか?」と尋ねるなら、誰もが「私は善い道に行く」と答えます。 誰でも幼い時からそのように言うのです。 子供の時から、小学校、中学校、高校、大学に至るまで、教育を受ければ受けるほど、 どこに行っても一生の間ずっと、善い道を 行け、という教えを受けるわけです。そのような世界に私たちが生きているということを皆さんは知らなければなりません。そのような世界に私たちは生きています。

 今日、私たちは歴史上に二つの道がある ことを知っています。善なる人がいれば、そこには反対の人がいます。善いことをしようとするとき、必ず反対の副作用が現れるのです。本来の善を立てるための社会ではなく、善に反対する歴史的な社会であっことを私たちは知っています。

 ですから、善いことをするのは難しくとも、悪いことをするのは簡単です。十の悪よりも一つの善を行うほうが難しい社会的な実情の中に自分が置かれていることを忘れてはなりません。このような悪が基盤を 固め、悪の思潮が再び歴史的背景から現実的な舞台に現れ、私たちの求める未来世界を征服しようとするとき、私たちがこれを傍観したり逃避する立場に立つなら、善なる世界を完成することはできないのです。 そうなれば、善なる個体を完成することができず、善なる個体を完成できなければ、善なる家庭を完成することも不可能になり、善なる国、善なる世界も完成不可能になるのです。

善い先生

 先生は子供たちに大きな愛を与えなくてはなりません。大きな愛を与えようとする前に、弟子たちは絶対服従しなければなりません。神様が私たちのためにしてくださ るので、すべての宇宙は絶対服従するのが当然だ!今日、学校問題が急を要する社会問題として、アメリカや日本や全世界に登場しています。先生は、父母の代わりに愛をもってその教え子たちを教育しなければなりません。

 【二世の道p164 ~ p171 より抜粋編集】

Category: み言の学校