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神の道(文亨進様のみ言)

 

 霊的な目で見つめる

天福式でのお父様と亨進様

天福式でのお父様と亨進様

 すべてのクリスチャンたちは、イエス様を肉的な目ではなく霊的な目で見ます。主が、私のために死んだ。私のような罪人のために…。全てのクリスチャンたちは、イエス様が地獄までいかれて三日間で復活されたということを信じています。それを信じればキリスト教人です。私たちは統一教人として主を見るとき、霊的な目で見なければなりません。私たちは、あまりにも大きな福、お父様が私たちの目の前にいらっしゃるので肉的な目で見てしまいます。 

 お父様のみ言の95%の題目は、真の愛です。しかし、私は、統一教が言う真の愛の偉大さを見つけることができませんでした。真の愛の偉大さ、違いに対することを知ろうとすることをあきらめようとしていた時、お父様の夢を見ました。
 夢の中でお父様は拷問をされて、監獄に収容されていらっしゃいました。お父様の霊人体が地獄の底までいかれ、ご自分の体を悪霊たちに投げられ「自然世界は放っておけ!私が責任を持つ。私のこの体を好きなようにしろ!」とおっしゃり、お父様の霊人体はとてつもない苦痛を受けられました。夢からさめてみたら、今まで私が真の愛の違いを感じることができなかったのは、肉的な目だけで見ていたからでした。霊的な目で主を見ると、主が私のために、地獄まで行かれ、私の代わりに苦難をうけ、私を救援してくださったのでした。

お父様の歩まれた道

 私たちの真の愛は、キリストの愛よりも偉大で、父母の心情、仏様の慈悲よりも偉大です。真の愛は、単純に利他的な愛、奉仕、親切とは次元が違います。もちろん、それらも必要ではありますが、初期の愛の段階です。真のご父母様の真の愛は、子供たちのため、私たちを生かすため、七死復活(サタン世界が真のご父母様を殺そうとする審判)の道を単純に苦痛の道ではなく、世界の恨みや憎しみ、世界の人々の嘲笑や恨みを、霊人体を捨てるという心情で、一つひとつ復帰してこられたのです。

 私たちに、永生復活昇華式、祝福式をくださるために、私たちには、想像もできない、人間の道ではなく、神の道を歩んだということを悟らなければなりません。イエス様は、個人のために、霊的救援を受けられるように、十字架に架かり亡くなられましたが、個人だけではなく神様までも、解放しなければなりませんでした。真のご父母樣は、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界のために、もっと大きな苦痛を代身しなければなりませんでした。ダンベリーへ入られる時、真のご父母様は、私はこの世界のためにいくのではないとおっしゃいました。七死復活八段完成は単純なお父様の生涯路程の峠、峠の困難ではなく霊的な目でみると、八段階を完成される悲惨な道だったということを知ることができます。僕の僕から神様まで上って神様から個人、家庭、氏族、民族、国家、世界が行くことができる道を、開いておかれたのです。ですから、統一教がいう愛は、さらに偉大だということです。

天福式に臨む姿勢

 お父様が考える真の愛は、想像もできない愛です。霊的な目で見ればそれを発見することができます。

 お父様がまた再び、夢に現れて数万個の太陽の光のように光り輝いておられました。まるで、イエス様が、モーセやエリヤが横にいて、一番輝いてイエス様が出てこられるように。霊界の真のご父母様は、とてつもなく偉大に見え、光が体全体から流れ出ている場面を見ることができます。私たちがしなければならないことは、真のご父母様がどのような霊的な戦いをされたのか、どのような復活の役事をしておられるのか、わからなかったら、どのような代価を払い、私たちを救援されて、天一国に入られるのか発見しなければなりません。私たちは、天福式においてそれをよく探さなければなりません。真のご父母様が、完璧ではない私を生かすためにどのような道を歩んでこられたのかということです。私たちは、そのような次元の真の愛を相続しなければなりません。天福式を通して、新たに真のご父母様を発見して、霊的な目で、真のご父母様を発見して、一日を始めなければなりません。それが天福式の目的です。

 お父様の聖水を通して、すべての罪が消えるのではありません。きれいにならなければならない、浄化しなければならない、そして、きれいな私を奉献することのできる一日を送ることができれば、天福を受けることができると信じます。

【麗水修練会亨進様特別メッセージより抜粋編集】

Category: み言の学校