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成和学生

 

成和の意味

訓読会で話される真のお父様

訓読会で話される真のお父成和の意味

 皆さんは成和という言葉の意味を知っていますか?成和という名前をなぜ若者たちにつけてあげたのでしょうか?血の沸き立つ若者、純潔の血が湧き上がり、神様の感情に同化できる血を持った若い青少年たちが必要なのです。だから若者たちに成和という名をつけてあげたのです。

 “ 成” は創造理想の完成を意味します。すなわち宇宙全体の完成を意味するのです。本来、完成の基準を立てる時期は、人間始祖が堕落した年齢である17、18 歳のときです。だから神様は成和20 代を中心にすべてのことがなされることを願うのです。未来の完成の位置をものにできるのは、青少年の時期にある人たちです。

 成和の意味は成して和合するということです。一つの目的を成して和合するということです。和合することによって、二人ではなく一人になります。そのような意味で成和の若者たちの持つ責任が大きいことを、皆さんは知らなければなりません。

 神様は今若い人たちに願いを託し、要求しておられます。これほど複雑な地上に神様は私たちを立て、願われてきた世界を成そうとしておられるのです。今日の私たち若者は、その道を行かなければならないのです。先生も年とった人の中に入るので気分がよくありません。しかし、年老いた側には入りません。先生は年とった人が好きではありません。若い人が好きです。今でも、好きなのは若い学生たちです。

 今日、統一教会の中高生を成和学生と言います。“ 成和” という言葉がどういう意味かわかりますか?皆さんは大韓民国の成和人にならなければなりません。町内の成和人とならなければならないのです。学校で伝道するときにも、楽に伝道できますか?「なんだ、それくらいの勉強が問題なものか。私が大勢の友達を引っ張って行って信じるようにしよう」という人がいますか?そんな人を見ましたか?ひたすら「聞くだけ聞いてみましょう」と頼み込まなくてはならないでしょう。だめなら胸倉でも一度つかんでみろというのです。悪い意味ではなく、よい意味でです。

 先生は成和が好きです。皆さんは成和人です。また、村に行けば村の成和人です。サタン世界の成和人であると同時に、神様の世界の成和人です。それゆえ、一点で出発して一点で実を結ぶのです。

成和の文化

 皆さんは自分が成和人であることを考えたことがありますか?このような観点で見るとき、世の中で親たちが子供に「勉強しなさい。言うことをよく聞きなさい。友達の模範にならなければならない」というのですが、それが成和人ですか?父母が子供に「勉強をしないと劣等性になるから、がんばって勉強しなさい」これも成和といえば成和です。また、子供が学校から帰るや、父母が愛の心で愛情こまやかに与えてくれたものをすべて持って出て行き、近所の子供たちにかわいそうだと分けてあげます。これも成和です。また、父母が子供に十年もかけて、何か精誠を込めて準備し、与えましたが、これも二時間足らずで全部ほかの子供たちに分けてあげます。それも成和でしょう?

 “ 成和” の名前を汚さない皆さんにならなければなりません。自分の力ではそれ以上できず、耐えられない時になってから「神様、助けてください」と言ってこそ自主性のある人となります。 

 神様の伝統を引き継いだものとして、直行しなければなりません。み旨を知らない学生たちと先生たちを哀れに思わなければなりません。そして、神様が自分一人を立てるためにどれほど苦労なされたかを考えなければなりません。

 正しくないことは屈服させなければなりません。力に対抗して、力でないもので屈服させようとすれば、何千倍の苦労をしなければなりません。どんな環境も収拾して征服することができる、忠孝の志操を立てなければなりません。そして純粋な心で出発し、確固不動な歩みで目的を達成しなければなりません。

 原理は道案内であり、原理の目的は先生の生涯です。誠心誠意、目標に向かっていけば、道しるべが現れます。皆さん各自は、自分に与えられた環境で歴史的な出発をしなければなりません。そして真実の種をまいて育てなければなりません。

【二世の道p153 ~ p162 より抜粋編集】

Category: み言の学校