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王であるキリスト その1:サウル王

 

主は王となられた

 「主は王となり、威光の衣をまとわれます。主は衣をまとい、力をもって帯とされます。まことに、世界は堅く立って、動かされることはありません。あなたの位はいにしえより堅く立ち、あなたはとこしえよりいらせられます。」(詩篇93・1-2)

 イスラエルの讃美歌の中には、王の即位式を示す歌がいくつかあります。祈りの中で「主は王となられた」と高らかに宣言します。神様が統治されるという選民の希望が込められています。それに伴って、来るべきメシヤも王として治められる方と理解してきました。

 しかし、公生涯を歩まれるイエス様の姿には、王の威光は見られず、人々から裏切られ十字架に向かう悲惨な姿しか見出すことができません。挙句の果てにユダヤ人たちから「ユダヤ人の王と自称した者だ」と非難される始末です。

 イエス様が神のひとり子であったとしても、その方を迎えるべき洗礼ヨハネとイスラエル民族の基盤がなければ、本来のメシヤ王として役事をなすことができません。人々が理解し難かったのは、洗礼ヨハネの不信の後、イエス様自らが洗礼ヨハネの位置に降りて、身代わりの使命を果たしていたときのことしか記録されていないからです。 

イスラエルの王

 そこで、わたしたちは、復活後に明らかになったイエス様本来の姿を、旧約時代に登場する摂理的人物を通して探り、理解を深めていきたいと思います。

 イスラエルで初めて王として立てられたのは、ベンヤミン族のサウルという青年でした。ベンヤミンは、ヤコブの十二番目の息子の名です。愛する妻ラケルがこの子を産み落として亡くなる間際に「ベンオニ(悲しみの子)」と呼びました。しかし、ヤコブがこれを改め、ベンヤミン(右側の子)と名づけ、誇りある者としたのです。悲しみから喜びへ、民族の誇りへと転じた最愛の末息子、その運命を引き継いだサウルもまた、喜び、栄光、悲しみの曲折を味わう王となりました。

 イスラエルの国が王を戴くようになったのは、次のような経緯がありました。エジプトから解放された後、ヨシュアに率いられて約束の地に入ったイスラエル民族は、その地を十二部族で分け合って住みました。近隣には、強大な国々があって、彼らはいつも脅威にさらされていたのです。しかし、敵国の侵略による民族存亡の危機が訪れる度に、神様は必ず、士師と呼ばれる強いカリスマ的な指導者を一部族から起こして敵を追い払いました。

 そうした時代が続いた後、人々は、他の国と同様に民族全体をまとめ統治する王を求めたのです。時の指導者であった士師サムエルは、神様が王であって人間を王とすることを嫌いましたが、神様に尋ねてみると、「彼らのために王をたてよ」(サムエル上8・22)と言うのです。そこで、サムエルは神様が選ばれたサウルに油を注ぎ王としたのです。

サウル王の過ち

 サウルは、父親が見失ったロバを探しにきて、サムエルと出会いました。「若くて麗しく、民のだれよりも肩から上、背が高かった」(同9・2)という精悍な青年でした。油を注がれた後、神の霊に満たされ、サムエルと共にイスラエルを守るために戦います。

 しかし、ある時、敵対したアマレク人を一人残らず滅ぼせという神様の命令を守らず、肥えた良い羊と牛は連れ帰ってきました。そのために、神様は「サウルを王としたことを悔いる」(同15・11)と言われます。サムエルは、「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。見よ、従うことは犠牲にまさり、聞くことは雄羊の脂肪にまさる」(同15・22)とサウルを諭すのです。

 サムエルには些細なことに思われましたが、神様にとっては重要な意味があったのです。恵まれた能力を持ち、イスラエルをまとめ国力を高めるために勇敢に戦ったサウルでしたが、神様のみ言に従わず、時の願いにかなわなくなったので、神様は彼を棄てざるをえませんでした。サウルに降り注いでいた神霊が去ると、今度は、悪霊が彼を悩ませ、判断を誤らせていくことになるのです。

 真の愛、真の生命、真の血統を携えてこられるメシヤを迎えるために準備されたイスラエルの王でしたが、その使命を果たし得ず、ペリシテ軍に追い詰められたサウルはギルボアで無惨な最期を遂げました。

 最初の王として神様から選ばれながら、神様の計画とそこに秘められた深い意図をつかみきれなかったサウルは、残念ながら理想のメシヤ王像を示す先駆者とはなりえませんでした。

Category: 誌面説教