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弟子たちを再び集めるイエス様

 

エマオの旅人

 イエス様が復活されたという報せは、弟子たちに希望をもたらしました。主を裏切って逃げてしまった弟子たちは、大きな悲しみと自責の念に駆られて、とても辛く苦しい数日を過ごしていました。復活されたイエス様は、そんな弟子たちの一人ひとりを尋ねて、今まで以上に愛をこめて接しながら、彼らの心を解きほぐしていくのです。

 エルサレムを離れてエマオの町に向かって歩く弟子の傍らをより沿うように歩く旅人がいました。二人の弟子たちの話を聞いていると、エルサレムで起こったことを話しています。失意の中にいた弟子たちは「主が復活された」という知らせを聞いてもにわかには信じられず、とぼとぼと歩いていたのです。傍らの旅人は彼らに語りかけ、聖書全体を貫く神様の計画について説き始めるのです。

 だんだんと心が熱くなってきた弟子たちは、この旅人と別れがたく、夕暮れ時だったので、強いて一緒に泊ってくれるよう頼むのでした。夕食の時になってパンを割いて祈る姿に、ようやく霊の目が開かれ、その方がイエス様だと気付くのです。

 弟子たちにとってどれほど大きな希望と喜びであったでしょうか。それにも増して、復活されたイエス様にとってもまた重要なできごとでした。

 「イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、言われた、『こう、しるしてある。キリストは苦しみを受けて、三日目に死人の中からよみがえる。そして、その名によって罪のゆるしを得させる悔い改めが、エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる。あなたがたは、これらの事の証人である。』」(ルカ24・45-47)

ゆるされたペテロ

 主が亡くなられたので、他の弟子と共に故郷のカペナウムに帰ったペテロは、ある日、いつものようにガリラヤの湖に漁に出ました。しかし、その日はどういうわけか一晩中網を投げても一匹も魚はかかりません。すると、疲れ果てた弟子たちに岸辺から声をかける青年がいました。「舟の右の方に網をおろして見なさい。そうすれば何かとれるだろう」(ヨハネ21・6)半信半疑でやってみると網も張り裂けんばかりの魚がかかったのです。

 その時、ペテロはようやくその青年がイエス様だと気づきました。あわてて岸に上がると、イエス様は炭火を起こして食事を用意して彼らを待っています。ありがたいことに、獲れた魚まで丁寧に焼いて食べさせて下さるので、ペテロは大感激でした。

 心もお腹も満たされたペテロにイエス様は続けて三度尋ねます。「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」(ヨハネ21・15)。最初は嬉しかったペテロも、三度までも続けて聞かれると心が痛くなり、「主よ、あなたはすべてご存知です」(ヨハネ21・17)としか答えられません。それでも、イエス様はその答えに満足して「わたしの羊を養いなさい」(同上)と使命を与えたのです。加えて「わたしに従ってきなさい」(ヨハネ21・19)と念を押すのでした。

 このようにして、十字架にかかる前にイエス様を三度も知らないと否定したペテロを、三度「愛します」との答えもって、もう一度弟子の位置に復帰したのです。

五旬節の日が来て

 復活されたイエス様は、裏切ってばらばらになってしまった弟子たちを一人ひとり尋ねながら、ゆるしと愛を与えました。その限りない愛によって、弟子たちは再びイエス様のもとに集まってきました。そこでイエス様は、彼らをエルサレムに呼び戻し、最後の晩餐の部屋で祈るように指示されました。

 過越祭から50日目の祭には、ユダヤ教の伝統に従って多くのユダヤ人が再び都に上ってくる時です。

 「五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起こってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。」(使徒行伝2・1-4)

 この日、イエス様の母マリヤ、イエス様の兄弟たち、12使徒と120人門徒らがすべて一つとなって祈っているところに、聖霊が降りて来られたのです。その聖霊の働きによって、弟子たちはそれまでとは全く違って、イエス様をキリストとして雄々しく証しながら、そのためならば命をも惜しむことのない、神の子らへと産みかえられたのです。

Category: 誌面説教