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原理講論を読もう♪⑩

 

愛と美、美と愛

 さて今回は前回に続いて第4節創造本然の価値・愛と美について考えてみようと思います。「愛」という言葉は原理講論にその定義は載っていますが、その定義を憶えたからといって私たちが愛の溢れた人間になれるわけではありませんし、実際の愛はその定義にはまりきらないほど魅力的です。今日は原理講論の範疇の中でそんな愛という情的な力について考えてみようと思います。

 神から分立された二性の実体が、相対基準を造成して授受作用をすることにより四位基台をつくろうとするとき、それらが神の第三対象として合成一体化するために、主体が対象に授ける情的な力を愛といい、対象が主体に与える情的な力を美という。(原理講論P72)

 原理講論の定義において愛とは“主体が対象に与える情的な力”ですが、ここでいう情的な力とは何でしょうか?それは“二人が一つになろうとする力”だと言い換えることができます。夫が妻に情を投入する、妻はそれを受け止めて返す、この情のキャッチボールが繰り返されることで二人は別々の存在ではなく、本当の「夫婦」となります。本当の、という意味は“形だけでない”“真の”という言葉に入れ替えることができます。他にも父親が息子に情を投入し、息子が受け止めて返す情のキャッチボールを繰り返せば、二人は本当の“親子”になります。“二人が一つになろうとする”キャッチボールを原理講論では“神の第三対象として合成一体化するために”行っているのだと説明しているわけです。この情のキャッチボールにおいての一投目、つまり最初に投げる行為を“愛”と呼ぶのです。一投目を受け取って投げ返す行為を“美”と表現します。ここで単純な疑問が生まれます。それでは“美”は“愛”ではないんですか?という疑問です。最初に授けるのは“愛”で受けて返すのは“愛”ではないのは、ちょっと不公平だと思う方もいるかもしれませんが、正確には情のキャッチボールが繰り返されることで“美”と“愛”も一つになっていきます。

 主体と対象とが合成一体化すれば、美にも愛が、愛にも美が内包されるようになる。なぜかといえば、主体と対象とが互いに回転して一体となれば、主体も対称の立場に、対象も主体の立場に立つことができるからである。(原理講論P72)

 例えば親が赤ちゃんをあやす時、親は“愛”を投入しているといえます。赤ちゃんがそれに反応して笑い返したとします。するとその笑顔が親にとってはとてつもなく大きな“美”として返ってくるわけです。赤ちゃんは美を返そうと意識したわけではありませんが、結果的に美を返したと同じことなのです。そのうち赤ちゃんも少しずつ大きくなって親が喜ぶことを意識して行動に移せるようになれば、その“美”には親から受け続けた“愛”が内包されるようになるのです。こうして親の愛にも赤ちゃんの“美”が内包され、子供の“美”にも親の“愛”が内包されて、“美”と“愛”が一つになっていくのです。

 このような四位基台の三対象の愛(父母の愛、夫婦の愛、子女の愛)において、その主体的な愛がまさしく神の愛なのである。それゆえ神の愛は三対象の愛として現れ、四位基台造成のための根本的な力となるのである。(原理講論P73)

愛の成長

 三対象の愛とは、家庭的四位基台(10月号参照)を造成する過程で現れる愛を言います。お父様のみ言の中に“四大心情圏”という言葉がありますが、そのみ言の基になっているのが原理講論のこの部分です。父母の愛、夫婦の愛、子女の愛、そして兄弟姉妹の愛が加わって四大心情圏と呼びます。人間は成長しながら、四大心情圏を体恤するように神様に創られました。赤ん坊として生まれた時は親からの愛を一心に受け、それに感謝し“美”を返していくのが子女の愛です。自分では気がついていなくても私たちは親の愛に反応することで親に美を返していくことができます。少しずつ大きくなると自分と同じくらいの年頃の兄弟姉妹の存在がいることに気がつきます。すごく仲良しになる子もいれば、中には自分とウマの合わない子もいます。しかし色々な兄弟姉妹に出会い、情のキャッチボールをすることで愛の器が少しずつ大きくなっていきます。“ウマの合う人”しか愛せない器から“どんな人でも”愛せる器を備えていくのです。この兄弟姉妹の愛の器は大きければ大きいほど良いといえます。なぜかというと兄弟姉妹の愛の器の広さはそのまま夫婦の愛の深さに繋がってくるからです。夫婦の愛は兄弟姉妹の愛と違い、多くの人と情のキャッチボールをするのではなく、たった一人の相手とどれだけたくさんのキャッチボールを行えるかが鍵になります。最後に父母の愛は子女の愛、兄弟姉妹の愛、夫婦の愛の全ての結晶だと言えます。どんな時でも最高の愛を投入し続ける父母の愛は人間の愛の中で最も崇高で無条件的な愛として捉えられています。

 原理講論ではこの四大心情圏の中に現れる(三対象の愛)の主体的な愛が神様の愛だと力説しています。つまり私たちが親から、兄弟姉妹から、夫から、妻から受けている愛も、そして私たちが親を、兄弟姉妹を、夫を、妻を、そして子供に投入している全て愛のオリジナルは神様の愛なのです。私たちは神様の愛を奇跡や天変地異に見出しがちですが、実は私たちの周りにいる人たちから常に神様の愛を受けているのです。家庭で、学校で、職場で神様の愛を感じ、伝達できる私たち一人ひとりとなっていきましょう。

Category: 誌面説教②