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原理講論を読もう♪⑨

 

万物の価値は何できまる?

 前回は皆さんと創造目的について考えてみましたが、今回は創造原理の第4節創造本然の価値について考えてみようと思います。個人的には創造原理の中で一番よくわからなかったのがこの第4節でした。原理講論を読み終わっても、「それで創造本然の価値って一体なんだったんだろう?」といつも疑問が消えませんでした。このページを読む人の中にも私のように「創造本然の価値」に苦手意識を持っている人もいるかと思いますので、できるだけ噛み砕いて説明してみようと思います。

 私たちは常に万物に支えられて生活しています。空気、光、電気など目に見えないものはもちろん、洋服、食べ物、家など目に見える物質が今日も私たちの生活を安全に豊かにしてくれています。ところで私たちはこうした万物の価値をどのように評価しているでしょうか。ほとんどのケースで「自分にとってどのくらい必要なものか」が基準になると思います。現代の社会で価値の基準になっているのがまさにこの基準です。「人間がどのくらい望んでいるか」という欲望が万物の価値を判断する基準になっています。例えば日本で飲み水はそう貴重なものではありません。いざとなれば水道から出てくる水も十分に飲むことができるからです。私たちはいつでも、どこでも水を手に入れることができるのでその価値を感じませんし、価値を見出そうともしません。しかし日本が史上空前の水不足に陥ったとしましょう。我先にお店で飲料水を購入しようとする状況に陥ると、私たちは水がどれだけ価値があるものか実感することになります。こういった現代の「人間がどのくらい望んでいるか」という欲望を数値化しているのが物の値段です。私たちは無意識のうちに物の値段がそのまま価値に直結していると考えがちです。値段の高いものは価値が高く、値段の低いものは価値が低い、というように。

本物の価値

 それではここで質問です。よく考えてみてください。水は水不足でなければ価値が低く、水不足になればその価値が高まるのでしょうか?それとも水は水自体の不変なる価値を持っているのでしょうか。

~☆☆☆Thinking Time☆☆☆~

 答えは、どちらでもありません。結論から言いますと、水の本当の価値は、神様の願いを叶えようとする人間が水と授受作用するときに初めて生まれるのです。原理講論では万物の価値が決定する過程をこのように説明しています。

 ある個性体の創造本然の価値は、①それ自体のうちに絶対的なものとして内在するものでなく、その個性体が、神の創造理想を中心として、②ある対象として存在する目的と、③それに対する人間主体の創造本然の価値追求欲が相対的関係を結ぶことによって決定する。(原理講論P70)

 番号を振ってみたので順番に見てみましょう。①は水の例で紹介したように、万物の価値は万物の中で絶対的に存在するわけではありません。簡単に言えば、どんなに美しく咲いた花も、その花だけでは本来の価値を発揮できないのです。それでは花の価値を引き出してあげるのは誰でしょうか。②をみると万物は「対象として存在する」と書いてあります。つまり万物の主体に立つものが、万物の本当の価値を引き出すことができるのです。その主体が③の万物に対する「人間主体」です。しかしただ単に人間が万物に接すれば、創造本然の価値が発揮されるわけではありません。「神様の創造理想を中心として」そして「本然の価値追求欲」をもって万物に対するとき万物の本然の価値が発揮されるのです。

 それでは価値を決定する現代社会の「人間がどのくらい望んでいるかという欲望」と原理の「神様の創造理想を中心とした本然の価値追求欲」では一体何が違うのでしょうか。現代は自分勝手な欲望が基準になっているため万物の価値基準が相対的(時間や状況によって変わること)にならざるをえませんが、原理では神様の創造理想が基準になるので全ての人間の価値基準が絶対的になります。つまり万物を通して実現して欲しい神様の願いが人類の共通基準になるので、万物の価値を決定する基準も共通になるのです。

神様の創造理想とその価値

 それでは神様の創造理想とは何でしょうか。神様の創造理想とは神様が創造するときに「こんな世界を創りたいな」という願いを意味します。それは平和な世界、愛の溢れた世界とも表現できますが、お父様のみ言で表現すればOne Family Under Godの実現した世界だということができます。One Family Under Godを実現しようという気持ちで万物に対するとき、人間のために創造された万物は最も美しい価値を発揮することができるのです。

 このように万物は人間次第でその価値を美しく発揮することもできれば、全くその価値を発揮できないこともあります。例えばここに立派な包丁があったとしましょう。長い間、技術を磨いてお客さんが喜んでくれるよう一生懸命働くコックさんが使った場合、この包丁は「名器」という評価を受け、その価値を存分に発揮することができます。逆に強盗が自分勝手な欲望のために使った場合、この包丁は「凶器」という扱いを受け、本然の価値を発揮することはできません。このように私たちが神様の願いに沿って万物に対するか、自分勝手な欲望で万物に対するかで、その価値は180度変わってしまいます。万物を通して実現したい神様の願い、私たちの生活を支えてくれることに対する感謝をもって万物に接してみてください。万物は最高の価値を持って皆さんに応えてくれるはずです。

Category: 誌面説教②