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原理講論を読もう♪⑧

 

神の創造目的

 さて今回は創造原理の第三章「創造目的」を皆さんと考えてみようと思います。「創造目的」とは「神様が人間を創造された目的」を短くした言葉です。皆さんもたまに思いに耽ったりすると「どうして自分はこの世に生まれてきたのだろう?」「自分は人生で何をすべきなのだろう?」と考えたことがあるかもしれません。それは現代の私たちだけでなく、過去の先人たちも悩み続けた課題でした。しかし、その答えを確かな根拠と実体をもって提示してくれた人はいませんでした。今月はそんな途方もない疑問の答えを、原理を通して探してみようと思います。

 さて創造目的を考える前に一つ例を挙げてみます。皆さんの置時計が自分の創造目的について悩んだとしましょう。毎日机の上に置かれ、針を刻み続け、毎朝定刻にベルを鳴らして過ごしながら疑問を持ちます。「どうして自分は存在しているんだろう?」置時計は自問自答し続けますが答えは出ません。隣の腕時計に聞いてもよくわかりません。では誰に質問するべきでしょうか?それは置時計を作ってくれた人間に聞くのが一番正確です。何故なら人間は意図を持って置時計を作ったのですから。「君は人間に時間を正確に伝達するために存在しているんだよ」と置時計を作った人に教えてもらうのが最も正しい答えなのです。もしも置時計が自分勝手に存在目的を設定したらどうなってしまうでしょうか。「そうだ!自分はカラフルだから、きっとアンティークとして作られたんだ」と思い込んで、針を刻むのをやめてふんぞり返ったしまったとしましょう。すると置時計は自分の本来の創造目的を果たせていないため、その存在価値を発揮できなくなってしまいます。あくまでも創造目的とは自分勝手に設定できるものではなく、創造主との関係性の中にあるのだということを心に留めておいてください。

 さてこういった観点から考えると、人間の創造目的を最もよく把握しているのは創造主である神様だということになります。その神様の創造は聖書の1ページに出てきます。神様は人間を創造する前に宇宙のすべての存在を創造します。そして一つひとつの創造を終えるたびに「良し」とされます。「良し」とするということは、創造前に神様が被造世界のイメージを持っていたことの証拠です。

 そして神様は自分の姿に似せて人間を創った後に次のように祝福します。

「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ。」(創世記1・27)

 これが人間に最初に投げかけた神様の言葉であり、祝福でした。この祝福の言葉こそが神様が人間を創った創造目的であり、人間の生きる指針だと言えます。それでは人間に与えられた祝福を一つずつ読み解いてみましょう。

第一祝福「生めよ」(Be fruitful)

神の第一祝福は個性を完成することにある(原理講論P66)

 これは単に人間として生まれてくることだけを意味するのではありません。英語を見ればわかりやすいですが人間として「成熟する」「完成する」という意味が込められています。人間として成熟するということは神様の願いを中心にして心身一体となった人格者に成長することを意味します。聖書ではこのような人格者を「神の宮」(コリントⅠ3・16)と呼んでいます。第一祝福を完成した人は神様の願いと心情を体恤しているため、感情的な喜怒哀楽はもちろん生活自体が神と共にあることを意味します。

第二祝福「ふえよ」(Be Multiple)

神の第二祝福を成就するためには…神を中心として家庭的な四位基台をつくらなければならないのである(原理講論P67)

 個性を完成させて人格者になった男性と女性が出会い、結婚を通して子供を産み、理想家庭を築くことを意味しています。ここで大事なのは男性と女性が結婚前に神様と一体となり、両者が神様の願いと価値を理解した土台を持って結婚に臨むことです。そうすることで自然と神様を中心とした家庭を築くことができるからです。(家庭的四位基台は10月号の四位基台で説明しましたので参考にして下さい)

第三祝福「 地を従わせよ」(Subdue it)

神の第三祝福は万物世界に対する人間の主管性の完成を意味する。(原理講論P68)

 理想的な家庭を築いた人間が万物の真なる主人となることを意味します。万物の主人になるということは万物の価値を誰よりも引き出し、人間と万物が調和をなした理想世界を築くことができなければいけません。万物との調和をなした理想世界とは、自然と人類が共存する自然破壊や環境汚染とは無縁の共存社会を意味します。そのためには個人にとどまらず、家庭、氏族、民族、国家、世界人類が真なる万物の主人にならなければいけません。本来人間始祖が堕落しなければ、アダムとエバの家庭が世界へと広がり確実に理想世界を築くことができたはずでした。しかし堕落してしまったため人間は万物の本当の価値を引き出すことができず、環境汚染などの問題に直面しているのです。

 “原理講論を読もう⑥”の正分合作用の部分でも説明しましたが、神様は自身の無限大の愛を投入できる存在を求めて創造の扉を開きました。「愛することを通じて喜びを得ようとする情的な衝動」による創造、これが心情動機説です。喜びを得ようとするために神様が人間を創ったのであれば、人間が創られた目的は神様に喜びを返すことになります。だからといって神様は自分の喜びだけのために、自分本位で人間を創造したのではありません。自分の息子娘に最高の愛を投入し、彼らが幸せになる姿に無上の喜びを感じる神様なのです。ですから私たちが三代祝福を成就しながら幸せになり、神様に大きな喜びを返していくことが、何よりも人生の目的を果たしていくことなのです。

Category: 誌面説教②