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原理講論を読もう♪⑥

 

神様を中心とした二つの存在

 前回は授受作用について書きましたが、今回はその授受作用の後に出てくる正分合作用について考えてみようと思います。この用語も原理講論にだけ出てくる用語ですが、用語自体の説明はたったの4行と、とても短く簡潔です。正直、もう少し補足説明があってもいいんじゃないか、と個人的には思ってしまうほどです。今回はそんな難解な文章を皆さんと一緒にたどってみようと思います。

 それでは実際に原理講論に出てくる正分合作用の説明文を見てみましょう。

「万有原力によって、神自体内の二性性相が相対基準を造成して授受作用をするようになれば、その授受作用の力は繁殖作用を起こし、神を中心として二性性相の実体対象に分立される。このように分立された主体と対象が再び万有原力により相対基準を造成して授受作用をすれば、これらは再び合成一体化して神のまたひとつの対象となる。このように神を正としてそれより分立して、再び合成一体化する作用を正分合作用と称する。」(原理講論P54)

 正分合作用では神様が中心である「正」に該当します。この「正」=神様の中での授受作用は、二つの新しい存在を生み出します。「正」から2つの存在が生まれる過程は正分合作用の「分」に該当します。そしてこの「分」かれた2つの存在が授受作用を通して合性一体化することで、また新しい存在が生まれることを「合」といいます。それでは具体的に正分合作用に存在を当てはめてみましょう。例えば私たちの家庭の場合、神様を中心にして(正)、男と女が創造され(分)、その男と女が授受作用することで夫婦となる(合)、もしくは子供が産まれる(合)これが代表的な正分合作用の例だといえます。他にも神様から創造された、心と身体が授受作用を通して、心身一体の人格者が生まれることなどもその例としてあげることができます。

人間創造の衝動

 ここで質問です。神様はどうして正分合作用に「分」という過程をつくったのでしょうか。神様が自体内で授受作用するように、神の創造物も自体内でのみ授受作用するようにしてはいけなかったのでしょうか。(図1参照) 神は人間を自らの似姿として創造されたと聖書に書かれていますが、その結果がアダムとエバという二人の人間の存在でした。完全な神の似姿に創造したのであれば、人間は神様と同じように自体内で授受作用して、一人でも子供を繁殖できる単細胞生物として創造されるべきだったのではないでしょうか。しかし神様は人間を単細胞生物にすることなく、男性と女性の存在に分けて創造したのは大きな理由があったからです。天地創造の前の世界には神様だけが存在しました。意識があるのも神様だけでしたし、それ以外の何物も存在しませんでした。聖書には天地創造前の世界をこう表現しています。「地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり・・・」(創1・2)どれほどの孤独感が神様を包み込んでいたか、想像してみてください。形あるものは何一つなく、光すらない、そんなむなしい世界に神様はたった一人でおられました。自分の考え、呼びかけ、そして溢れる愛に反応してくれる存在はひとつとして存在しませんでした。時間の流れすらない、そんな虚無の世界にいた神様は壮大な計画を思いつきます。愛を投入できる存在を創れば、持っている全ての愛を投入できる自分の子供を創れば、どれだけ幸せか、と。神様はこの考えに夢中になり、いても立ってもいられなくなりました。こんな創造の動機となった神様の心を統一思想では心情と呼び、こう定義しています。

「心情=愛することを通じて喜びを得ようとする情的な衝動」

 この心情は、神様の頭の中を天地創造のアイディアでいっぱいにしました。そして抑え切れない衝動はビックバンという宇宙の大爆発という形で表現され、人間創造の口火となりました。このように神様は愛する対象がいることがどれだけ大きな喜びであるか、ひいてはその存在がどれだけの幸せを運んでくれるかということを、誰よりもよくわかっていました。お父様はみ言葉の中で神様がなぜ人間を男と女に分けて創造したかをこう説明しています。

 神様が男性と女性を造られた目的は、二人が愛し合って一つとなるためでした。アダムはアダムのために、エバはエバのために造ったのではありません。アダムはエバのために、エバはアダムのために造られたのです。また、神様ご自身の愛と喜びのためにアダムとエバを造られたのです。(天聖経P91 206巻-209ページ)

一つになる喜び

 このように正分合作用に「分」という過程が存在する理由は、ふたつのものがひとつになるためです。ふたつが「ひとつ」(合)になるためには相手の為に生きる行為が必要です。正しいもの、善なるものを相手に喜んで与える、そして受ける授受作用がふたつの存在の間で行われた時、神様から「分」かれたふたつはひとつになっていきます。この「ひとつ」(合)になっていく過程と結果に人間は大きな喜びを感じることができるのです。皆さんも生活の中で家族や友人と「ひとつ」になる喜びを感じ、神様にお捧げしてみてください。

Category: 誌面説教②