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原理講論を読もう♪④

 

性相と形状の二性性相

 今日は皆さんと「二性性相」について考えてみようと思います。原理講論で一番最初に学ぶ内容が、この性相と形状の二性性相ですので、今まで何度も聴いたよ、という人も多いと思いますがちょっとだけお付き合いください。

 さてこの世界に存在するものは全て性相と形状で成り立っています。性相とは目に見えない、より内面的なものを指し、形状とは目に見える、より外的なものを指します。人間に例えれば心が性相に該当し、体が形状に該当します。心と体は別々の存在というより、表裏一体の相互不可分な関係だといえます。たとえば心の中で「嬉しい」と感じれば、表情が笑顔になりますし、「悲しい」と感じれば涙を流すようになります。性相(心)の動きはそのまま形状(体)に連動されるようになっているのです。ですから形状は性相自体ではありませんが、性相を形に表したものだいえます。そこで形状を「第二の性相」と位置づけて、2つの(二)形を持った(性)性相があると表現したのです。

 そしてこの説明が書かれている原理講論には興味深い内容が載っています。「そして、その見えるところの外形は、見ることのできない内性が、その如くに現れたものである。したがって、内性は目に見ることはできないが、必ずある種の形を持っているから、それに似て、外形も目に見える何らかの形として現れているのである(P44)」目に見えない内性、つまり性相が必ず形を持っているというのはどういうことでしょうか?

 性相の相という漢字は「形」を意味しており、内的なものにもある種の形があることを暗示しています。そして気が付いていていないかもしれませんが、私たちは知らず知らずのうちに目に見えないものの形を表現していることが多くあります。例えば親切な人に対しては「温かい心の持ち主」、不親切な人には「冷たい心の持ち主」と言ったりしませんか?また諦めずに意思を貫くさまを「心を奮い立たせる」とか人格者のことを「まるい人」と表現したりします。心に触ったこともないのにどうやって温かいとか冷たいとか言えるのでしょうか。人格者はみんな太っているんでしょうか。これらは全て目に見えない性相(心)に形があるということを、無意識ながらも人間が感じ取っているということの裏返しでもあるのです。

二性性相から見る主体と対象

 この性相と形状の関係を主体と対象と言います。主体とは簡単に言えば、関係を築く間柄においてより原因的な存在です。心と身体の場合は考えたこと、思ったことが表情や行動に表れるので心が主体になるわけです。

 ところで心が身体に対して主体だからといって、必ずしもいつも原因的存在だと言うわけではありません。ワンピースに出てくる巨人のサウロは幼きロビンにこう言いました。「オメー苦しそうだなぁ。デレシシシ。笑ってれば楽しくなるで」(筆者の記憶による台詞)この台詞は主体と対象が反対になっていることがわかります。身体で笑うことで心が楽しくなる、つまり身体が原因になって心に影響を与えているという意味です。

 主体と対象の関係は普遍的にその関係が維持されるわけではありません。親と子供の関係を考えてみると、親は主体であり、子供は対象になります。子供は対象ではありますが、時には主体の位置に立ち、親に影響を与えることができます。しかし子供が常に主体に立つことは難しく、基本的に親が主体、子供が対象という関係性が築かれているわけです。このように心は主体であり、体は対象ですが時には体が主体になり心が対象になることもあるわけです。「笑う門には福来る」という諺は、そういう意味で間違っていないことがわかります。

世界の設計図

 このように創造原理は神様がこの世界を創造した設計図を言葉で説明しているものだと言えます。設計図の説明ですので普通の本には出てこないような専門用語もでてきます。被造世界、万有原力、三対象目的、四位基台、そして今日皆さんと考えてみる二性性相などです。原理講論をつまらなく感じてしまう一つの原因がこうした難解な専門用語にあると言えるでしょう。

 しかしこの世界の設計図を説明しているわけですから、多少難しいのは当たり前だとポジティブに考えましょう。むしろ神様の設計図が誰にでもわかるような簡単な言葉で書かれていてもちょっと拍子抜けだと思いませんか?一度読んでわからなくても果敢に次の文章に取り組んでください。そして何度も何度も読み込んでみてください。皆さんの「真理を渇望する情熱」が必ず「原理を悟る」瞬間を呼び込んでくれるはずです。

Category: 誌面説教②