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原理講論を読もう♪③

 

原理講論からみる神様27

 前回は哲学者や聖書の例を挙げて神とはどんな方か考えてみました。それではお父様は神についてどのように語っておられるのでしょう。お父様は原理講論の中で二性性相を引用して神の姿をこう表現しています。神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体としておられ、被造世界に対しては性相的な男性格主体としていまし給うという事実を知ることができる。(P47) これまでの既成神学で語ってきた神はもちろんですが、原理講論に書かれている神の描写もそれに負けず劣らず近寄り難く、イメージを持ちづらい神に違いありません(神が本性相と本形状の中和的主体だということがわかって感動の涙を流せる人は相当な東洋哲学通に違いありません)。

 それでは原理講論ではこの文章を通してどんな神を語っているのでしょうか。神を最も理解しやすい表現とは人間に例えることです。それは私たちが人間であるからと同時に、神はご自分に最も似た存在として人間を創造されたからです。それではこの文章を人間に当てはめて考えてみることにしましょう。

 性相とは人間で例えれば心、形状は体に該当します。その心と体の二性性相が中和するということは、心が望み感じるがままに体が動じ静ずることのできる人間、つまりは個性完成した人格者を意味します。それも単なる人格者ではなく、全く善なる心を中心に一つになっていますので真の人格者です。更に付け加えれば神の心とは「本」性相です。つまり私たちが持つ喜怒哀楽、心情、悩みなどの全ての源泉となる心の機能を神は兼ね備えた上で完璧な調和を保っているのです。そういう意味では有史歴史上の全人類が束になっても神の魅力には叶わないでしょう。神はカリスマ中のカリスマ、そして最高の魅力を持った人格者なのです。

 次に本性相的男性とは人間に例えれば男性、本形状的女性とは女性です。つまり男性と女性が一体となって中和していることを言います。男性と女性がひとつになるということは結婚して夫婦になることです。そして二人が完全にひとつになっていく過程で子女を繁殖するため夫婦は父母へとなっていきます。本性相的男性と本形状的女性とはつまり世界の中でも、私たちが考えうる最高の男性と最高の女性が完璧な調和を保っている状態を意味しています。坂本竜馬もデイビットベッカムも最高の男性ですが、残念ながら神の男性性相には叶わないでしょう。このように神は最高の男性と最高の女性が織り成す真の父母なのです。

 最後に被造世界に対して性相的男性格主体として神が現れるというのは、上でも述べたとおり神は最高の男性性相と女性性相を備えた中和体ではあるが、人間に対するときは常に主体として対されます。以上のことを併せ、神とは私たち人間にとって最高に魅力的な人格を備えた父母であり、生み(創造)の親として存在しておられることが分かります。

神様の悲しみの心情を解かれたお父様

 このように神の存在を人間の形で比喩してみると、具体的で親しみやすい姿が見えてきます。しかし神とは、言わずもがな、この3つの説明だけで語りきれる方ではありません。何といっても神とは「有って有るもの」そして全人類の性格や人格を研究し尽くしても分かるかどうかわからないくらい魅力溢れた底の知れない方なのです。

 真のお父様はみ言を通して神様についてたくさん語っておられます。しかしその内容は既成神学で語られているような全知全能という鎧に包まれた煌びやかで、華やかな姿ではなく、時には誰もが目を背けたくなるほど悲惨な姿を描写されています。本来は真の愛に溢れ、最高の魅力を持っているはずの神が、人間始祖アダムとエバの堕落によって全てのものを失ってしまったのです。創造前に抱いた理想世界の壮大なビジョン、親として築こうとした真の家庭、平和世界の礎となる天の血統の繁殖、そして何ものにも代え難い息子娘をサタンに奪われてしまったのです。堕落した息子娘を取り戻すために展開された復帰摂理は、神の期待に応えられなかった失敗の歴史と言い換えても過言ではありませんでした。一人、また一人と神の元を離れていく人類を見ては、言葉にならない苦しみと、止めるに止まらない涙にあけくれたに違いありません。そんな6,000年間の神の孤独感、そして神の痛みをお父様は理解され、その心情を慰労するためにご自分も神と同じ悲しみに満ちた道を選択されます。6回に渡る悲痛な監獄の試練、親友・知人からの排斥、社会からの不当な迫害を受けながら、何度も死線を乗り越えては不死鳥のように立ち上がるお父様の姿は神の心情そのものの人生でした。

 もしも皆さんが神様について訊かれたらどのように答えますか?借り物の神様の知識では相手は満足しないでしょう。私が知っている、私が出会った、そして私が触れた神の心情の一端を紹介してあげないといけません。み言を通して、祈祷を通して、家族・友人を通して、そして体験を通して自分だけの神様との出会いを探してください。神との出会いは、皆さんが一生涯忘れることのできない宝物となるでしょう。

Category: 誌面説教②