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原理講論を読もう♪①

 

原理講論との出会い

20100316182040_00001  中高生の皆さんこんにちは。このコーナーは私たちの教会の経典・原理講論について理解を深めてほしいという願いから始まりました。私は原理講論という書物に小学六年生の時に初めて触れました。そのきっかけは原理講論とは真理を文字で表現した書物であり、人生の目的と価値観、そして歴史の全ての秘密が詰まっているんだと親に説得されたからでした。私は無我夢中で最初から最後まで読み、晴れ晴れとした思いで感想を述べました。

 「さっぱりわからなかった」

 こんなふうに原理講論を難しいと感じる人は多いと思います。一生懸命読んでも面白くないし時間がかかる上に理解しづらい、正直に言えばそんなとっつきにくい書物だと思います。ではなぜ原理講論はこんなにも私たちにとって難しく感じるのでしょうか?

原理講論の始まり

 原理講論の起源は今から約75年前の1935年まで遡ります。真のお父様が祈祷中にイエス様に出会い、メシヤとしての使命を自覚された時から真理への探求は始まりました。自然を通して、家族を通して、社会の出来事を通して、そして涙ながらの祈祷を通して真理を求め続けたそうです。お父様が真理を追究される際に最も苦心されたのは神様の存在形態、全知全能の神様がどうして世界を救おうとしないのか、そしてどのようにしてアダムとエバが堕落したのか、という点だったといいます。16歳から始まった真理探究は早稲田大学への留学を終えた1943年まで続けられましたが、7年の間お父様はご自分の使命について誰にも語ることはなかったといいます。

 お父様が原理を執筆されたのは興南収容所から解放されて釜山まで南下し、ボンネッコルのダンボール小屋に定着された1951年でした。北朝鮮から共に南下した金元弼先生と二人で暮らしながら、一年間の歳月を経て「原理原本」を執筆されました。この原理原本をもって伝道を開始し、韓国の多くの有名な先生方が統一教会の門を叩くようになりました。当時はコピー機などありませんでしたので、原理原本は食口の方たちによって手書きで書き写されていったといいます。しかし食口が増えていきながら書き写していく過程で書き誤ることもあったそうです。そこで原理原本を元に韓国初代協会長・劉孝元先生が編集され出版されたのが1966年に出版された-今私たちが目にしている-「原理講論」です。

原理講論と聖書

 原理講論は世界人類に述べ伝えるべき真理を書き記したものですが、その中でも世界最大の宗教キリスト教の人々を念頭に置いて書かれた書物です。何故なら世界を復帰するためには世界の中心宗教であるキリスト教の基盤をメシヤが受け継ぐ必要があったからです。原理講論の中にたくさんの聖句が引用されているのはそのためです。私たちが原理講論を理解しづらい原因のひとつに聖書に対する知識背景が薄い点が挙げられます。原理講論に出てくる聖句を、原理講論を読みながら初めて目にする人と、それまでに何度も聖書を精読してきた人とでは当然理解力に差が出てきます。ですからキリスト教のバックグラウンド、つまり聖書の知識や神学の概念を学んでいない私たちに原理講論が難しいと感じるのは当然のことなのです。原理講論を一度読んで感動した、という先輩方の証は聖書やキリスト教神学を学んだことがある人たちがほとんどです。 聖書の勉強をした人が原理講論を読むと、これまで触れてきた聖句の解釈とまったく違う、新しくて理に適った解釈を目にすることになるからです。ですから遠回りではありますが私たちが原理講論を正しく理解するためには聖書の基本的な知識が必要になってきます。聖書を最初から最後まで読めというわけではありませんが、旧約聖書は創世記、出エジプト記、民数記までを、新約聖書は福音書とよばれるマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる福音書を読めば聖書の大まかな流れを理解できるのではないかと思います。

 もちろん全ての中高生が聖書を精読できる時間があるわけではないでしょう。それどころか、ほとんどの中高生は聖書やキリスト教神学に勉学の時間を費やす余裕なんてないと思います。そこでこのコーナーでは聖書やキリスト教神学の背景知識を補足しながら原理講論の専門用語や文脈の意味などを解読し、皆さんの原理講論に関する理解を助けていきたいと思います。信仰、神学、雑学の観点から見つめながら、最終的に皆さんが原理講論に強い興味を持ってもらえれば嬉しいです。

Category: 誌面説教②