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聖書を味わおう

歴史ある書物、「聖書」

 歴史上多くのユダヤ教徒が聖書を読み、数え切れないキリスト教徒が命がけで愛してきたとしても、お父様ほど聖書の世界を探求された方はいません。青年時代に英語、日本語、韓国語の三カ国語の聖書を何度も読み返され、線を引き、メモをとりながら、時に涙をながして探求されたお父様です。『平和神経』にあるとおり「レバレント・ムーンは、聖書および各宗教の経書の核心内容を最もよく知るチャンピョンです」。神の孝子、孝女である私たちは真の父母様に似た者として、お父様と同じように聖書を愛し、その核心をつかむ努力をすることは大切な営みです。

 では、わたしたちにとって聖書とはどんなるものでしょうか。「聖書」(the Bible)は文字通りにいえば「本」という意味です。今日でも世界の大ベストセラーですから、そういう意味でも本の中の本と呼べるものです。そしてもっと重要なのは、聖書は啓示の書であるということです。「聖書は、神様の創造理想と堕落、そして復帰の道が隠された秘密の啓示書」と『平和神経』にも記されています。(「平和メッセージ13」)

 それは単に哲学的な真理を語るものではありません。神様の内に秘めた願いや計画、天のビジョンを示そうするものです。さらには、父母なる神様がその心情の一部を漏らしたものであるともいえます。

新渡戸稲造と聖書

 一つの喩えをお話しましょう。新渡戸稲造のエッセイの中に次のような一節があります。「少なくとも年に一回、私は、母から賜わったすべての手紙の巻物を開く。そこに私は清き愛の尽きぬ泉を見いだし、精神の渇きはそこに必ず癒される。しかり、その巻物こそ永遠の若さの泉である。それは私を少年の日に連れ帰す」 (新渡戸稲造『随想録』)

 新渡戸稲造は、日本を代表するキリスト教徒の一人で、農学博士、著述家、教育家、国際連盟事務次長などとして多方面で活躍した人物です。

 稲造は、五歳で父親を亡くし母親に育てられましたが、学問を修めるまでは母親に会わないと決意し、札幌農学校で一生懸命勉強に打ち込みました。無事に大学を卒業し、やっと母親に会えると楽しみに帰郷すると、残念なことに母親は三日前に亡くなっていたのです。悲しみに打ちひしがれた稲造でしたが、内村鑑三ら友人に励まされ気力を取り戻します。その時、学生時代に母親から受け取った十三通の手紙を丁寧に貼り合せて巻物にし、生涯の宝としたというのです。

聖書は父母なる神様からの手紙

 彼のエッセイでは、その手紙のことを言っているのですが、これを読んだ私には、まるで聖書のことを言っているように思えました。「清き愛の尽きぬ泉」、「精神の渇きを癒す」ものは聖書をおいてはありません。ですから、聖書は父母なる神様からの手紙なのだと思うのです。しかも遺言のように選民に託された手紙です。

 お父様の見出した神様は、喜びと栄光の神様であるよりも「悲しみと嘆息と恨の神様」(「平和メッセージ13」)でした。その神様は人類始祖の堕落以来、囹圄の身として、愛するわが子に親しく語りかけることができませんでした。み言にもこのようにあります。

 「私たちが信じている聖書のみ言、六千年の摂理を支えてきた聖書のみ言があるとしても、これは怨讐の国で語られたみ言であるがゆえに、安心して語られたみ言は一つもないのです。天国で通じる理想的な言葉はサタンが讒訴するので、躊躇する立場で語られた言葉なのです」(『訓教經』上「天の心情を誰が知っていたか」)

 生きておられるはずの神様なのに、あたかも死んでしまったかのように、人類から疎まれてきました。忘れ去られた神様は、「私はここにいるのだ」と叫びたく、「わが子よ、お前を愛しているよ」という一言を語りたいがために、選民を召し、預言者を通じ、喩えをもって語りかけてきました。それらをかき集めてみると、一つづりの巻物となりました。だから、「聖書は、神様の創造理想と堕落、そして復帰の道が隠された秘密の啓示書です」(「平和メッセージ13」)

 聖書の行間には、言うに言えない親の心情がにじみ出ているに違いありません。復帰摂理歴史を導いてこられた神様の心情を尋ね求めながら、読みたいものが聖書です。

Category: 誌面説教