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Archive for 11月, 2011

海洋時代に向けたチャレンジ企画 ~南東京教区渋谷教会~

DSCN2053-2② 10月15日に海洋時代に向けたチャレンジ企画として、渋谷教会の学生会中心メンバーを連れて舟釣り体験、海洋教育実践をおこないました。場所は神奈川県真鶴港から、アボニムのボート“グッドゴー”に乗船し数時間に及ぶ沖釣りをしました。

 アボニムのアラスカ精神を学び、どんな環境でも“絶対勝利する”感覚を身につけるという目標を立てて出発しました。当日の天気は暴風雨で、午前中はレインコートを着用し、波も荒れてグルグル回る舟の中で体を支えながら糸をたらしました。多くの参加者が船酔いしながらも、どんな環境の中でも必ず勝利されるアボニムの心情を相続し、参加した全員がカサゴやカワハギを釣り上げました。帰港する船上で空に完璧な虹を仰ぎ見ながら神様の祝福を感じた訓練となりました。

真の愛は変わらない

佐藤成和学生部長

ロウソク一本からの出発

 成和学生の皆さんこんにちは!

 3.11東日本大震災では、真のご父母様と真のご子女様のお祈りとご支援、全世界・全国の祝福家庭の皆さん、二世の兄弟姉妹の皆さんの心温まる多くのお祈りとご声援、ご支援をたくさん頂き、この紙面をお借りして心から感謝申し上げます。今は、生活面も戻りつつあり、学校に通うこともできるようになりました。今回の大震災を通して感じた内容をほんの少しですがお伝えしたいと思います。

 震災直後、仙台教会では教区長を中心として、食口の方の安否確認のために、家庭訪問や連絡を取り合っていきました。また支援物資を被害の大きかった地域へ届ながら、炊き出しをして避難してきた食口と支えあいながら生活していきました。震災後も一日も欠かすことなくロウソクをともしながら祈り、朝5時の訓読会も継続しておこなっていきました。訓読中に余震があっても変わらずに神様のみ言を訓読し続け、そして祈りました。しかし、現実と向き合っていこうとするのですがなかなか受け止めることができませんでした。 神様に祈るしかなく、何度も祈り続けながら尋ねていきました。

 試練の時ほど何をもって越えていくのか?そう考えた時、ご父母様はいつも、み言、祈り、為に生きる生活をもって越えてこられました。ご父母様が教えて下さったことが本当だとより深く実感することができました。それは、ご父母様が貫いてこられた内容であったと気づかされました。

 そして、ご父母様が何度も何も無い所から開拓してこられたことと同じであり、私たちは電気もガスも水道も食べ物も、何も無い、まさしくロウソク一本から出発していくのだと思いました。

お前たちは日本の代表

 以前、済州島での修練会に参加した時、お父様が遅れて到着した私たちを立たせてひどく叱られたことがありました。その時「お前たちは日本の代表なのだ・・・」と言われました。それは深刻で厳しいみ言で、当時はあまり実感がなく、み言もあまりよく理解できませんでした。その時のことを思い出し、そのみ言の意味がはっきりと解りました。自分には天の願いがあり、成すべき使命があることを感じることができました。それは、神様と真のご父母様を愛することであり、その神様の愛を全ての人々に与え、真のご父母様の愛を証していくことであると思いました。

 そして、その時にお父様と一緒にいただいたホーリーフーズのケーキやナマコの刺身の味も思い出し、ご父母様の親の愛を実感し心から感謝しました。

 震災が起こってから、少しづつ現実を受け止められるようになりました。真のご父母様が、震災時に全てのことを止められて日本のために深く祈られたことを聞きました。震災後、すぐに世界会長を初めご子女様も被災地や避難しているところを見回わってくだり、真のご父母様の愛とみ言を伝えてくださり、私たちを慰め激励してくださいました。真のご家庭の深い愛を感じ、足りない私たちであっても本当の真のご家庭の一員として心配し慰労してくださる愛を実感し、心から感謝しました。

感謝と喜びの生活

 今回の大震災を通じて、人生で一番得るものが大きかったことを感じました。み言を訓読し祈り、為に生きることを通して生かされていることを感じました。何よりも誰よりも神様と真のご父母様を愛することで一つになり、真の愛を相続し、神様と共に感謝と喜びの生活をすることが大切であると感じました。

 そして、神様の愛と心情で人々を家族のように愛することが神様の喜びであることを実感しました。そして何よりも神様の血統を相続した祝福家庭として、真のご家庭に接木されている貴い価値があることを誇りに感じました。

 この地上生活は、霊界では瞬き一つ位の短い人生であるといわれますが、私たち一人ひとりは何ができるでしょうか?2013年の天一国創建に向かって、神様の真の愛を相続し、家庭・教会・学校・そしてこの母の国、日本に真の愛の花をどれくらい咲かせることができるのかが人生のチャレンジではないでしょうか?

 成和学生の皆さん!2013年天一国創建のために天の勇士となって前進し、神様の愛の花をみんなで満開に咲かせましょう!

預言者の道を歩まれたイエス・キリスト その2:エリヤ②

 

ホレブの山で神の声を聞く

 カルメル山上でバアルの預言者たちと対決するエリヤを見たアハブ王は、神の預言者の言葉の背後に、生きた神様がおられるのを見て恐れました。しかし、その妻イゼベル女王は、エリヤの為したことを王から聞いて、ますます怒りに燃え、エリヤを殺そうとします。

 追っ手を逃れたエリヤは、40日40夜の道のりを越えて神の山ホレブにたどり着きます。荒野をさまようモーセが再び神の声を聞いた召命の山。エジプトを脱出してイスラエルの民と共に再びこの山に戻ったモーセが、十の戒めと数々の教えを神様から受けた聖なる場所です。

 その山に身を潜めているエリヤに神様は声をかけます。「エリヤよ、あなたはここで何をしているのか。」(列王紀上19・9)そして命じます。「出て、山の上で主の前に、立ちなさい。」(列王紀上19・11)そのことばに従うエリヤの目の前で、驚くべきできごとが起こりました。

 「見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。主のみ前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた。」(『聖書 新共同訳』列王紀上19・11-12)

 自然の脅威を目の当たりにすると、その現象そのものを神と恐れる人がいます。災害による多くの被害と犠牲を見てしまうと、悲しみが怒りにかわり、こんなむごいことをする神などいらないという人がいます。しかし、イスラエルの預言者はそのいずれでもなく、心を落ち着けて静かに耳を澄まします。歴史を導く神様の“静かにささやく声”を聞くのです。

残りの者

 そこで神様はエリヤに新たな命令を下しました。ハザエルをスリヤの王に、エヒウをイスラエルの王に、エリシャを後継の預言者として油を注げというのです。そして尚も次のような約束をされます。「わたしはイスラエルのうちに七千人を残すであろう。皆バアルにひざをかがめず、それに口づけしない者である」(列王紀上19・18)

 そこでエリヤは山を降り、エリシャを後継者としました。神の前に悪を行うアハブ王には悔い改めを促します。少しばかりの悔い改めも空しく、王は隣国との戦で亡くなります。後継のアハジヤ王はイゼベル女王と共に、またしてもエリヤと敵対します。

 エリヤは、王が神様のみ意に従って国を導くことを願って、悪を清め、人々の心を神様に向けさせようとします。そのために、時には激しい火の審判を行うこともありました。

 しかし、悔い改めようとしない王族たちを前に、エリヤはその使命半ば地上を去る時を迎えました。エリシャに使命を託し、神様が準備しておいた“残りの者”たちに希望をかけながら、「つむじ風に乗って天にのぼって」(列王紀下2・11)行きました。

荒野で叫ぶ者の声

 飢饉の時に荒野に逃れた後、時が来て王の前に姿を現した預言者エリヤは、“荒野で叫ぶ者の声”でした。火のような預言者は、「主の言葉によって天を閉ざし、三度、火を降らせ」(シラ48・3)ました。それは、「神の怒りが激しくなる前に、これを静め、父の心を子に向けさせ、ヤコブの諸部族を立て直す」(シラ48・10)ためでした。この使命に全力を傾けたエリヤも、最後は道半ばにして後継者に後を託して逝くしかなかったのです。

 数世紀の後、変容の山でイエス様はこのエリヤと何を語りあったのでしょうか。エリヤが歩んだ苦労の道を、誰よりもよく知っていたイエス様に違いありません。悲しみを抱えた彼の心もすべてを知っていたことでしょう。なぜなら、神の子でありながら、僕の如く苦難の道を歩まれたイエス様だったからです。メシヤとしての権能を表すこともできず、地上では洗礼ヨハネが為すべき使命、エリヤの使命を粛々と果たしていかれたのです。それ故にエリヤも同情せざるを得なかったことでしょう。

 変容の山でエリヤは、イエス様の行く道を気づかっていたのかもしれません。ただひとりも信じ従う者が無く、使命を託す後継者も見出せない状況に立たされているイエス様は、自国からも排斥されて十字架の道を踏み越えて行かなければならない瀬戸際に追い込まれていったのです。

 その頃からイエス様は「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、また殺され、そして三日の後によみがえるべきことを、彼らに教えはじめ、しかもあからさまに、この事を話された」(マルコ8・31-32)とあります。

原理講論を読もう♪⑳

復帰摂理歴史と終末

DOC111019-001 前回から終末についてお話しています。神様の創造の目的に反して堕落してしまった人類、親として子たる人間を救おうとされる神様、そしてその救いのクライマックスであり最大のチャンスが終末であるということを整理しました。神様は人間を救うために摂理してこられたため、これを復帰摂理と呼びます。それでは復帰摂理の最終目的は一体何でしょうか。それは神様の本来の創造目的であった地上天国を創るところにあります。しかし、原理講論の後編で詳しく出てきますが、神様の復帰摂理とは一度で完成するわけではありません。段階を経て完成に近づき、もしも失敗すればもう一度同じ摂理を繰り返さなければいけません。この復帰摂理は歴史の中で行われてきたため、人類歴史は復帰摂理歴史だということができます。

 人類歴史を通じて神様の復帰摂理が行われてきたことを原理講論では文化圏発展史を通じて確認することができると書いてあります。文化が発展するところでは、ほとんど例外なく宗教が発達しました。中国では儒教、仏教、東洋思想が、中東ではイスラム教が、そしてヨーロッパではキリスト教が脈々と受け継がれてきました。たとえその地域の支配権力者が変わったとしても、宗教だけは変わらず人々と共にあり続けたのは、宗教を通じて神に戻る道を残しておくためでした。キリスト教、イスラム教、仏教のように民族や国家を超えて世界宗教として人々を魅了し続けているのは、人類が神様の下に帰ろうとする本心からの願いがあるからです。また人間は誰しも良心を持っています。良心基準は人によってそれぞれ違いますが、人類の良心基準が歴史と共に上がってきていることは間違いありません。 

 昔は人間が人間を差別する階級制度が存在し、奴隷や召使いがいましたが、万人平等や人権保護といった考えを多くの人が持つことにより、現代ではそういった差別制度が撤廃されました。また100年前までは自国の利益のみを優先させて他国を植民地化するなど、戦争を起こしても国際問題にはなりませんでした。しかし現代では近隣諸国に問題があれば支援をし、研究の共有や技術提供を行うなど、人道的な行動が国際的に大きな評価を受けるようになっています。先日の東日本大震災が起きた時も、多くの国が日本への支援を行ったのは皆さんも記憶に新しいことと思います。このように人々の良心基準は時代と共に上がってきていることを確認できます。これは究極的に復帰摂理を通して、人間が善を行おうとする本心を取り戻している過程だということができます。

終末はお父様の摂理される現代

 このように人類歴史は人間が神様の下に戻るための復帰摂理歴史なのです。言い換えれば、人類歴史はサタンが主権を握っている罪悪世界から少しずつ神様が主権を握る創造理想世界に移行しつつあるのです。そして終末とはサタン主権から神主権へと移り変わる時代を意味します。原理講論によればこれまで終末は二度ありました。ノアの洪水のとき、そしてイエス様がおられた時です。“終末”というと天変地異が起きたり、この世の終わりだというイメージが強いと前号でも紹介しましたが、そのイメージとしてノアの洪水の影響は大きいでしょう。ノアの洪水は聖書の創世記6章~10章に記述されています。神様は悪がはびこっている人間世界を見ては心を痛め「私が創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう」と言って洪水を決意しました。これはサタンを中心とする堕落世界を洪水審判で滅ぼし、信仰の篤いノア家庭を中心として神主権の世界を復帰する計画でした。しかしノア家庭の摂理は失敗し、終末はイエス様の時代へと先延ばしになります。イエス様はアダム以来、人類で初めて神様の血統から生まれた救世主でした。イエス様は自らを審判主と表現されたように、救世主としてサタン主権の罪悪世界を滅ぼし、神主権の理想世界を建設する使命を持っていました。しかし結果的にユダヤ民族はイエス様を信じることができず、十字架にかけてしまったためイエス様の摂理も失敗してしまいました。

 イエス様の摂理の失敗により、終末はまたしても先延ばしとなりました。それではイエス様の次の終末は一体いつになるのでしょうか。それはイエス様が再臨される時代です。イエス様ができなかった責任を再臨主が地上で果たす時代、それが終末です。お父様はイエス様の果たすことができなかった使命を完遂するために神様が送られた再臨主です。お父様が摂理をされている時代、つまり私たちが生きている現代がまさに終末の時代です。これまでの終末の時代におかしてしまった失敗を繰り返さないように、そしてこの時代に行われている神様の摂理が完成されるように私たちも努力していかなければいけません。では私たちが終末においてどのような努力をしていかなければいけないのでしょうか。次号では終末に関する聖句を解き明かしながら考えてみたいと思います。

孝誠学苑成和学生会

2010春期セミナーにて-2② 全国の成和学生の皆さん、お元気様です。

 孝誠学苑成和学生部は、誕生して今年が6年目という、とても若い成和学生部です。10月現在、高校生11名、中学生27名で構成されています。

 どこの成和学生部も立ち上げの時期は、伝統文化を作り上げていく上で苦労が絶えないことと思います。孝誠学苑も例にもれず、出発時は中学生が数名だけで、直接、彼らに“ゆくべき道”を示してくれる“ヒョン・オッパ”“ヌナ・オンニ”という存在が身近にいませんでした。

☆愛される喜び

 2年前から、孝成教会青年部のお兄さん、お姉さんが成和学生部のスタッフとして関わってくれるようになりました。日曜日の礼拝はもちろんのこと、勉強へのアドバイス、受験・進路の相談、スポーツ大会での交流、歌やダンス指導など、中高生の弟、妹たちのために投入してくれています。青年部のお兄さん、お姉さんを通して“兄姉、そして神様から愛される喜び”を感じています。

☆愛する喜びそして兄弟姉妹文化の深まり

 もう一つ欠かせないものがあります。毎年、孝成教会で行われる“心情文化フェスティバル”や、幼児部小学生部のクリスマス会などで、ダンスのパフォーマンスをしていることです。お父さんお母さんに、教会の食口や弟妹たちに“感謝、喜び、希望”を与えようと皆一生懸命に取り組んでいます。“父母や弟妹たちを愛する喜び”、そして成和学生部の“兄弟姉妹文化”の深まりを実感しています。

☆未来に向かって

 今年の10月から新しい成和学生部長が立ち、未来に向かって新しい出発をしました。そして、兄弟姉妹は、11月23日の“2011心情文化フェスティバル”に向けて熱く燃えています。“愛される喜び”そして“愛する喜び”を積み重ねながら、一人ひとりが神様の子女としてのアイデンティティーをしっかりと確立してゆくことのできる、そんな成和学生部になってゆきたいと思います。