Subscribe via RSS Feed

Archive for 8月, 2011

善良(李妍雅様のみ言)

◆今回のみ言は李妍雅様が語られたみ言です。妍雅様がどのようにして苦悩を乗り越えられたのか学び、その精神を相続しましょう。

将軍が生まれるでしょう李妍雅

 私が生まれるもっと前のことです。真の父母様が777家庭の祝福をしてくださる時です。私の父と母が約婚するために立っていたのですが、父が母よりも背が低かったのです。父母様がマッチングをされながら、「受けるのか、受けないのか」と母に訊かれたそうなのです。背の問題が気になったのか、母はただ黙っていたといいます。父母様が2回目に訊かれた時も母は黙っていたそうです。3回目、父母様は声を高めて、「本当に受けるのか、受けないのか」と訊かれるので、母が「受けます」と従ったといいます。

 そして、父母様が「あなたたちの家庭から将軍が生まれるだろう」と祝福をくださったそうです。母はそのみ言を受け止め、家庭出発して牧会者生活もしましたが、1人目、2人目、3人目の私までも、皆、娘なのです。母は、お父様が将軍が生まれると言われたのにどうして娘ばかり生まれるのだろうと悩んだといいます。でも、父母様が言われたことなので、間違いなく将軍が生まれるだろうと信じて、私と5歳離れた弟を生みました。ご存知の方も多いと思いますが、その弟は正常に生まれてくることができませんでした。

 私は幼い時、真のお父様は将軍が生まれるとおっしゃったのに、どうして弟がこのように生まれてきたのだろうということをたくさん悩みました。

 弟は一般の中学、高校に通いましたが、その中で難しい状況が多くありました。ある日、中学生の弟が髪の毛と眉毛をすべて刈られて帰ってきたことがありました。母は学校に訪ねて行きましたが、それでも弟を受け入れてくれた学校なので強く抗議することもできず、夜に息を殺してたくさん泣かれました。

 ある時は、弟がゲームにはまって、母がタンスにしまっておいた一カ月の生活費をゲームセンターで使い切ってしまったこともありました。その時、母は弟をつかんで泣きながら「一緒に死のう」というくらい、本当に大変苦しみました。

苦悶の生活

 そのような中で、私は、どうしてお父様は将軍が生まれるというみ言をくださったのだろうかと思いながら、自分でも知らないうちにお父様を恨む心を抱いて育ったように思います。

 どうしてそのようなみ言をくださって私たちの家庭にこんな大きな不運を与えられるのだろうか。そして、どうして私は善良に暮さなければならないのだろうと思うようになりました。どうして私はいつも善良に暮さなければならないのか。どうして善良に暮そうと努力しなければならないのか。私が馬鹿なのだろうか。こんなに悩みが多いのに、外からは善良であるようにみえるように努力することは、偽善者ではないだろうかと考えもしました。また、私が教会で生まれて、これしか知らなくて、ここから出ていくことが怖いから、地獄が恐ろしいからだろうとも考えました。ところが、世界会長が行われる聖霊治癒礼拝を通してこの疑問が解けるようになりました。

私が将軍になろう

 世界会長が聖霊治癒礼拝の時、罪について語られながら、「罪というのは神様と真の父母様を傷つけることです。そして私たちが罪を犯さないようにする理由は、私の愛の主体を傷つけたくないからです。私が善良で良心的に暮そうと努力することによって私が天国へ行くことができるチケットを保証されるのではなく、それが私が神様と真の父母様を愛するという良い証しになるのです」と語ってくださいました。

 その時、私は、私が善良に暮そうと努力してきたことが、こんなに価値のあったことなのだと悟るようになりました。そして、神様に私の人生を通して本当に喜びをお返ししたいと思うようになりました。そして、これからは私がある理由のために善良に暮そうとするのではなく、私が主体的に、私が選択して善良で良心的な人生を暮したいと思うようになりました。

 私が自分でも知らない間に神様を恨み、真の父母様を恨みながら暮らしてきたという事実がとても大きく近づいてきました。私が罪人である。私が悔い改めなければならないと思ったその瞬間、一発叩かれたように神様が私に知恵をくださいました。それは、どうして男だけが将軍にならければならないのだろう。神様と真の父母様の前に私が将軍になってさしあげようということでした。

【天一国食口礼拝 2010年11月28日】

原理講論を読もう♪⑰

 

エバの過ち

 エバは天使長ルーシェルによって純潔を失った後、自分がとんでもない過ちを犯したことに気がつきます。自分が結婚し、家庭を築いていくべき相手は天使長ルーシェルではなくアダムであることを再認識したからです。そして天使長ルーシェルによって純潔を失った瞬間、アダムの妻になる資格を失ってしまったことに気がついたからでした。

 それでは何故堕落したエバはアダムの妻になる資格を失ってしまったのでしょうか?それは血統が変わってしまったからです。本来エバは神様に創造された唯一の女性だったため、当然神様の善なる血統を持って生まれました。しかし神様の愛を独占したいという自己を中心とした欲望に支配された天使長ルーシェルと関係を持つことで、エバは神様を中心とする善なる血統から天使長ルーシェル(サタン)を中心とする悪の血統に変わってしまったのです。自分が本来の血統を失い、アダムの妻としての資格を失ったことに気がついた瞬間、エバはとてつもない恐怖を感じたはずです。自分が失ったものがどれだけ尊く、自らの罪がどれだけ重いものか気がついたからでした。エバは神様の血統を取り戻し、元の位置“神様の血統を持った娘、アダムの妻としての位置”に戻りたくて、戻りたくてたまりませんでした。

罪の繁殖

 そんな時エバが頼る相手は誰だったでしょうか。天使長ルーシェルはエバを堕落させた張本人なので、頼るべき相手ではありませんでした。神様に頼り、自らの罪を報告し、赦しを乞うのはエバにとって余りにも恐ろしく、勇気が出ませんでした。こうして考えると、アダムだけがエバにとって頼ることができる唯一の相手でした。何より本来の自分の夫となる人なので、アダムと関係を回復することが神様の元に帰ることができる唯一の方法だと考えました。エバは野原を駆け巡って帰ってきたアダムにそれとなく近づき、自分が天使長ルーシェルにされたのと同じ方法で誘惑します。

「女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。すると、二人の目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。」(創世記3・6-7)

 聖書には非常に簡潔にエバがアダムと堕落したことを伝えています。しかし実際にはアダムを誘惑するエバの心情が不安と恐怖に支配されていたことは間違いありません。しかし不幸なことに、ヘビに比喩された天使長ルーシェルの狡猾さを譲り受けたエバは巧妙にアダムを誘惑し、ついにはアダムの純潔を奪うことに成功します。エバはアダムの純潔を奪っても自分が神様の元に戻れないことを実感します。神様の許可もなく、エバと関係を持ったことで戒めを破った重大さに気がつきます。アダムとエバは一様に不安に駆られ、身を隠し、腰にいちじくの葉をつづり合わせました。

 それまで互いに裸でいても恥ずかしくなかったアダムとエバが堕落した後、なぜ腰をいちじくの葉で隠したのでしょうか。それは彼らが腰で罪を犯したことを暗示しています。私たちも悪いことをした時、反射的にその証拠を隠そうとしませんか?食べてはいけないと言われていたお菓子をつまみ食いしているところに母親が入ってきたら、どこを隠すでしょうか?間違いなく口を隠すでしょう。これは人間にとって本能的な条件反射だと言えます。犯罪者が盗んだものを隠蔽するために、犯行に使った道具を捨てるように、罪を犯した痕跡を隠そうとするのは人間にとって非常に自然な行為なのです。アダムとエバが堕落後に腰を今月の原理勉強は、先月の続きで、人間始祖の堕落行為がどのようにようにして起こり、それがどのような結果につながってしまったのか、学んでみましょう。隠したという聖書の記述は、彼らの犯した罪が文字通り善悪の木の実を食べたという行為にあるのではなく、純潔を失う罪を犯したということを暗示してくれています。

本然の祝福結婚

 神様を中心とする善なる血統を失ったアダムとエバはエデンの園を追放されます。この瞬間から神様の血統を取り戻すための復帰摂理歴史が始まりました。神様は人類に中心人物を送られながら、善なる条件を立てさせ人類が神様の血統を取り戻すことができるようにあらゆる試みをされました。そして6,000年の復帰摂理歴史の結果として神様が人類に送られたのが真のお父様です。神様の血統を持って生まれた真のお父様は真の父母となり、祝福結婚という恩恵を持って人類が神様の元に戻れる道を切り拓かれました。祝福結婚を通した血統転換だけが、サタンを中心とした悪の血統から神様を中心とする善なる血統に生みかえることができるのです。更に祝福結婚は神様が本来アダムとエバに望んでいた結婚の形でもあり、それはアダムとエバの幸福の基盤になるはずでした。神様にとってはアダムとエバが神様の願う結婚をしてくれなかったことが、どんなに涙を流しても、また涙が流れるような悲劇でした。

 中高生の皆さんも、近い将来、祝福結婚を受ける時期が来るはずです。それまでしっかりと純潔を守り、神様が喜ばれる祝福結婚を受けることができるよう準備してほしいと思います。皆さんが祝福結婚を受けるということは、6,000年間神様が待ち続けてきた善なる血統を持った息子・娘の結婚式が行われるということを意味するからです。

天的主体性の確立

 以前、成和学生会報の5月号で2011年度基本教育方針を紹介しました。今回は最初のミッションである1、天的主体性の確立:天一国の真の孝子&真の罪人自覚(真の悔い改め)についての補足説明をいたします。今後時間を追って2、祝福候補者化、3、天民化基礎確立、4、成和青年部へ連結の内容についても補足説明していく予定ですので、ご一読いただきますよう、よろしくお願いいたします。

 

1.天的主体性の確立:天一国の真の孝子&真の罪人自覚(真の悔い改め)

 

 天地人真の父母様が、神様の息子・娘として実体で神様に侍られ、神様を喜ばせる孝子、孝女となられました。その神様を求める心情、神様を喜ばせたいと思う心情を体恤していくためにも、私たち自身が神様の息子、娘であるという自覚をまず持たなければなりません。ですから、私たち(二世だけではなく一世を含む人類)はまず、四大心情圏の最初にある“子女の愛”を確立させなければなりません。そのためにも、自分たちが誰の子であるのか、頭だけでなく、誰かに言われたからでもなく、心情で求める姿勢を私たちは持つことによって、神様とご父母様の愛を受けていることを感じることができるのです。

 

 ただ、その求め方が、自分たちなりになっては駄目なのです。真のご父母様が孝子・孝女として実体で表してくださった内容を、私たちはみ言として与えられています。ここに合わせていくのが私たちです。“どのようにお父様は神様を喜ばせて来られたのか”“どのようにお母様が侍ってこられたのか”み言の中から探し出し、それを同じように私たちも実践していきながら、真の孝子、孝女としての心情を体恤していくのです。

 

 神様には願いがありました。私たち人類に対して大きな願い(創造理想)がありました。しかし、その願いを今、私たちは叶えて差し上げられていません。むしろ、自分たちの生活を優先してしまうことが多々あります。私たちは神様を裏切るという罪を犯している自覚をしなければなりません。神様の願いを忘れてしまっている、叶えて差し上げられていないことに対する悔い改めの心情が常になければなりません。今、それでも生かされていることに対して感謝し、常に神様の為に生きておられる真のご父母様と共に、私たちも為に生きられる統一食口となってまいりましょう。

王であるキリスト その3 : ソロモン王

知恵に満ちた神の子

 

 イエス様がナザレで幼少年時代を過ごしている間、「幼な子は、ますます成長して強くなり、知恵に満ち、そして神の恵みがその上にあった」(ルカ2・40)と福音書は記します。年齢が12歳ともなると、過越の祭りにはエルサレム巡礼に加わるようになります。神殿で教師たちと議論し、聞く人たちを驚嘆させたのはその時のエピソードです。この頃、「イエスはますます知恵が加わり、背たけも伸び、そして神と人から愛された」(ルカ2・52)と伝えています。

 

 神のひとり子は、神様の愛と恵みに満ち、知恵ある王子として成長している姿を示したかったのでしょう。そして、その方が希望の王となる日を待望しながら準備することを促しているようにも見えます。

 

民のために知恵を求める王

 

 ダビデは、国を守るためには勇ゆうもう猛に戦い、国を導く神様の前には従順に歩みました。国の中心に幕屋を据すえ、そのみ前に進み出ることを喜びとし、賛美の歌声を高らかに上げました。神に仕える僕の姿、それこそがイスラエルの王であるとのイメージを世に示しました。このダビデに続くイスラエルの王は息子のソロモンです。

 

 ダビデは、いよいよその魂を天に返す時が来たことを知ると、息子ソロモンにこう命じました。

 

 「あなたの神、主のさとしを守り、その道に歩み、その定めと戒めと、おきてとあかしとを、モーセの律法にしるされているとおりに守らなければならない。」(列王記上2・3)

 

 ダビデの後を継いでソロモンが王となり、父の戒を守ってイスラエルの基を盤石なものとしていきます。

 

 ある日、ソロモンがギベオンの高台で神様に犠牲を捧げていると、主は夢に現れてソロモンの望みを聞かれました。それに対してソロモンは「聞きわける心をしもべに与えて、あなたの民をさばかせ、わたしに善悪をわきまえることを得させてください」(列王記上3・9)と答えます。ソロモンが自分のためには何一つ望まず、民を公平に治めるための知恵だけを求めたので、それを神様は喜ばれて言われます。

 

 「見よ、わたしはあなたの言葉にしたがって、賢い、英明な心を与える。あなたの先にあなたに並ぶ者がなく、あなたの後にもあなたに並ぶ者は起こらないであろう。」(列王記上3・12)

 

 知恵に満ちたソロモン王の見事な裁きを伝えるエピソードを聖書は語り伝えています。一人の幼子を自分の子どもだといって奪い合う二人の女に、その子を剣で二つに裂いて半分ずつに分け与えるよう命じます。その時の反応で女たちの本性を見抜いたソロモンは、子を生きて実母の手に返したのです。そして、「イスラエルは皆王が与えた判決を聞いて王を恐れた。神の知恵が彼のうちにあって、さばきをするのを見たからである」(列王記上3・28)と言うのです。

 

神を畏れることが知恵のはじめ

 

 このソロモンが父ダビデの偉業を相続し、父の成し得なかった“神殿”建設を、神様の許諾のもとに実現します。彼が創建したエルサレム神殿の中心には、神のみ言をしるした二枚の石板が納められ、国の基が強固となりました。ソロモンの治世において、イスラエルは最大の版図を広げます。

 

 知恵に満ちた王を仰ぎ見て、後世の人々は彼を称えてこう述べています。

 

 「ダビデに続き、聡明な彼の息子が跡を継いだ。ダビデのゆえに彼は平穏無事に暮らした。ソロモンの治世は平和そのものであった。神が彼のために四方の勢力を抑えられ、ソロモンは主の名のために家を建てて、永遠の聖所を備えた。ソロモンよ、あなたは若いころ、なんと知恵に満ち、大河のように洞察に富んでいたことか。地はあなたの精神で覆われ、あなたはなぞに富むたとえで地を満たした。あなたの名声は遠い島々にまで達し、平和のゆえにあなたは愛された。あなたの歌、格言、たとえのゆえに、あなたが与えた解釈のゆえに世界は驚嘆した。」(シラ書[集会の書]47・12-17『新共同訳聖書』)

 

 聖書に収められた教訓の巻物は、総じて“知恵文学”と呼ばれますが、ソロモンの愛称でも呼ばれます。知恵文学が共通に語る主題は、「神を恐れることが知識のはじめである」(箴言1・7)です。賢明な判断は神様を畏おそれ敬うことから始まります。遍く人間の人生観を貫いてゆるぎなく導く柱は神様との関係を知ることです。「知恵ある子は父を喜ばせ、愚かな子は母の悲しみとなる」(箴言10・1)。ソロモンの箴言として伝えられる一節です。

 

 神の前に全き者として立ち、愛と慈みをもって人々に対し、偏りなく神の義を表す者が王である、というモデルを選民の心に刻みつけたソロモン王。その歩みは、来るべき神の子イエス・キリストが地上に到来して、王の王と

自然

宇宙は自然博物館

 子供たちを見ていると、おもちゃなどに対してすぐ反応します。何か不思議なものが動いているというわけです。おもちゃは何でも好きですが、動くもので直感的に感じるのは動物です。子犬だとか昆虫かなにか。子供たちは皆、飛び回る生き物や野生の動物といった動くものが好きなのです。

 なぜでしょうか。もともと人間はそうなっているのです。人間は、自然世界やこの地球の動きを見て興味を覚えるのです。それを楽しんで、それを鑑賞するところで、人間は本当に楽しみ、興味を感じるのです。

 初めは、神様の子女として誕生したアダム・エバも、神様の保護圏内で幼い頃から育てられ、高められるに従ってだんだん大きくなっていきます。そうして知能が発達するので、神様がなぜ被造世界を創ったかを知るようになり、その被造世界を通して教育されていくのです。森羅万象のすべては、人間始祖、本来の祖先となるアダム・エバが生活していけるすべてを教える教材だったのです。理想の生活をしていくために必要な標本であり博物館であったという事実を知らなければなりません。

自然に対する姿勢

 朝、目を開いて自然を見渡すと、その自然がしみじみと自分の本姓と因縁を持って新しい理想の感情を芽生えさせます。しかし、人の世は見れば見るほど絶望と悲しみの思いがつのることを皆さんはよく知っているでしょう。本来、堕落していない本然の人間たちの住む世界の中であれば、人間の価値は見る者に悲しみを感じさせるような程度の低いものではありません。人間は、一本の草、一輪の花、一本の木と同じ程度の価値で造られたのではないのです。被造万物のいかなるものをもっても換えられない高貴な人間であり、どんなものとも比較することのできない価値をもった姿で、天の代身を務めるべき人間だったのです。

 神様の愛が宿る自然を見渡し、「世の中の王や有名な人物が持っている素晴らしい品物と比較になるものか。骨董品なんかと比較になるものか。どこかの有名な婦人が着ている豪華な衣装と比較になるものか」という心を持たなくてはなりません。

 嘆息する万物の恨みを解いてやる責任を負った皆さんは、一本の木、一本の草からも六千年前、それらをおつくりになるときの神様の心情と創造のみ業を体たいじゅつ恤しなければなりません。そういう心を持たなければなりません。

 ですから統一教会の食口たちは、道を歩いていて野の草一本見ても涙するようでなければなりません。木を抱きしめて泣くことができなければなりません。「主人を失ってどんなにさみしかったか」と。一度そうしてごらんなさい。私はたくさんの涙を味わいました。岩を抱きしめて泣いたこともあれば、風が吹くのを見て泣いたこともあります。

 自然とは何でしょうか。神様が私たちのために、為に生きる愛を持った息子や娘が生まれるとき、その愛を与える万物として、贈り物として与えた展示品です。鳥の鳴き声一つ、草一本といえども、愛する子供たちの生活を美化するために作られた作品だということです。道端に転がっている石も、子供たちが国を治める主人となることを思い、その国の装飾品として作ったのです。流れる水も同じです。無味乾燥で単調であってはいけないので、調和をきわめた和合の園をつくり、愛のために生きる世界を見てそれを相続できる夢の王子、希望の王子を育てるために創造したのです。

自然を愛し、人を愛せ

 自然を愛し、人を愛することができなければなりません。人を愛することができず、自然を愛することができない人は、神様を愛することができないということを皆さんは知らなければなりません。万物は神様の象徴的存在であり、人間は実体的存在なので、万物と人間を愛することのできる人は神様を愛するようになるのです。

 いつも自然を愛さなければなりません。自然を愛さなければならないのです。それに、人間も愛さなければなりません。人間の中でも、五色の人種すべてを愛さなければなりません。

【二世の道p40~44より抜粋編集】

創立57周年記念及び第49回真の万物の日記念行事開催

 天暦5月1日(陽暦6月2日)、協会創立57周年記念及び第49回真の万物の日の記念行事が天正宮で開催されました。当日は文亨進世界会長ご夫妻を始めとして、約2000人余りの食口たちが参加しました。

 

 今回の行事は各界代表の敬拝、文亨進世界会長の報告祈祷、ケーキカット、祝歌、訓読、そして真のご父母様によるみ言と続きました。

 

 真のご父母様は「今日は私が皆さんに言うことがたくさんあります」と語られながら、今日が尊い歴史的な一日であることを強調されました。

 

 また、「子女は父母に従わなければならない」と語られ、宗族的メシヤの責任完遂と原理学習の重要性を強調されました。途中、祝歌や責任者からの報告、大母様による日本巡回の報告などもありました。

神様の計画

森本成和学生部長

 全国の成和学生の皆さん、お元気さまです。今年も全国的に猛暑となり、暑い日が続いていますが、大丈夫でしょうか?皆さんは鳥取県をご存知ですか?鳥取砂丘、大山、日本海と自然豊かなところであり、梨、らっきょう、カニなど海の幸から山の幸まで豊富にそろっています。 そして、あの有名な『ゲゲゲの鬼太郎』や『名探偵コナン』の作者のふるさとでもあります。こんな鳥取の成和学生部長になって半年が経ちました。今回皆さんに、私が歩んできた内容を通して神様をお伝えできたらと思います。

大自然に育まれた幼少期

 私の住んでいるところは本当に自然が豊かなところです。幼い時から山や川など自然の中で遊ぶことが大好きでした。山では秘密基地をつくったり、川では魚やザリガニを捕まえたりしました。私が小学生の頃には今のようにテレビゲームもありましたが、外で遊ぶ方が多かったように思います。自然の中には神様の創造されたおもちゃがたくさんあり、とても楽しかったです。今でも自然の中に行くと、心が落ち着き、平安な気持ちになります。当時は何も分からなかったけれども、神様は私に自然を通して神様の愛に触れる機会を作ってくださっていました。

人生の疑問との出会い

 小学5・6年生になった頃には、霊界を意識させられることがありました。友人にいつも“死”について考える子がいました。その友人は一緒に遊んでいる時に突然、「死んだらどうなるんだろう?死ぬのが怖い」と泣き始めるのです。私はその子がいつも泣きだすので戸惑っていましたが、何度も同じことがあり、私も友人の言葉に引き込まれて悩むようになりました。「死んだらどうなるんだろう?私の肉体が消えると心まで消えてしまうのだろうか?それは嫌だ!死ぬのは怖い!」と考えるようになったのです。神様はこの友人を通して私に霊界の存在について考えさせて下さいました。

 中高生期には人間関係について考えることが多くありました。私は誰かに何かを頼まれても断れないタイプで、友達に頼まれことをされても嫌々引き受けていることが多かったのです。心では嫌だと思いながらも断ることができないから引き受けている。。そんな矛盾した自分に葛藤していました。神様は私に心と体が一つになっていないこと、心と体の矛盾性を教えて下さいました。

原理、み言との出会い

 高校3年生になった時、私はみ言と出会いました。母の紹介で原理の勉強をすることになったのです。最初は習い事気分で、気楽に通い始めました。しかし、原理の内容を段々と学んでいくと、今まで疑問に思っていたことや悩んでいたことがスッと頭の中で整理されていったのです。一つは霊界の存在を聞いた時、本当にうれしかったです。死んだら私という存在は全て消えてしまうと思っていたので、死後の世界があり、私たちは永遠の命を与えられていることを知った時、喜びと希望を感じました。そしてもう一つは心と体の矛盾性の内容でした。心と体の葛藤は堕落が原因であるということ、人間は本来、自己中心ではなく為に生きる存在であるという内容を知り、本来は為に生きることはすばらしいことなんだと感じ、うれしくなりました。この原理の内容は今まで聞いたことがなく、“本物だ”と本心が叫んでいるのを感じました。これが私の信仰の入口であり、神様・ご父母様と出会う入口だったのです。

 振り返ってみると、神様は私が生まれる前から準備をしておられ、幼い時からこのみ言に出会うように導いて下さっていたことを知ることができました。自分で歩んできたように思いますが、全て神様の計画だったことに気付かされました。皆さんの人生もそうではないでしょうか?神様の計画は私たちが生まれる前から創ってあるのです。一人ひとりに神様の計画書が準備されていることでしょう!これから皆さんがたくさんの神様と出会っていかれることを願っています。

王であるキリスト その4:ヨシヤ王

 

イスラエル・ユダの王の系譜

 サウル、ダビデ、ソロモンと続く三代の偉大なる王によって、イスラエル王国は長く権勢を保ちました。この国を導いた王たちは、来るべき王の王たるメシヤの先駆者としての道を進み、神のひとり子イエス様を迎える準備をなすと共に、イエス様の歩むべき道を示すものともなりました。

 ソロモン王の死後、イスラエル統一王国は南北に分かれました。ソロモンの息子レハベアムが第四代の王に就いたとき、これに背いてソロモンの家臣ヤラベアムが10部族を率いて北イスラエル王国を建てました。その後、ナダブ、バアシャと続きホセアに至るまで、200年間に19代の王が立ちました。しかし、ヤラベアムの家門は続かず、下克上によって王家が移り変わっていきます。そして、紀元前722年、政情不安につけ込まれた北イスラエル王国は、遂にアッシリアによって滅ぼされてしまうのです。

 一方、レハベアムは神様の目からみれば、決して善き王ではありませんでしたが、先代のダビデ、ソロモンの功績のゆえに、かろうじて南ユダ国だけが彼の手に残されました。レハベアムの後継には息子アビヤム、次のその子はアサと続き、ゼデキアまで合わせて20代の王が立ちました。幸い、南ユダ国にはダビデ家の家門が続き、北イスラエル王国の滅亡を目の当たりにしながらも、その後130年余り存続します。

 レハベアム、アビヤムの時代、南北間の戦いは絶え間無く続き、歩み寄りは見られません。神様にしてみれば、なんとも酷い王の行状でした。とはいえ、その後比較的善なる王が登場して南ユダ国は保たれてきました。それも何代か経つと、またもや悪辣な王が現れるのです。そうした繰り返しの後に、若きヨシヤが登場します。

ヨシヤ王の申命記改革

 「ヨシヤは八歳のとき王となり、エルサレムで三十一年の間世を治めた。彼は主の良しと見られることをなし、その父ダビデの道を歩んで、右にも左にも曲がらなかった。彼はまだ若かったが、その治世の第八年に父ダビデの神を求めることを始めた」(歴代志下34・1-3)とユダヤの歴史書には記されています。

 先祖ダビデ王に従い、揺らぐことなく真っ直ぐに進み、主の目にかなうことを行ったといわれるヨシヤです。即位の年齢が8歳だとすると、16歳の頃からこの国に対する神様のみ旨を真剣にたずね求めるようになります。

 「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。」(伝道の書12・1)ソロモンの知恵を記した巻物の結論とも言える一言。この一言を16代後に立てられた若き王は、身をもって生きてみせます。青年期に獲得した王の人生観は、先祖ダビデ王が神様の前に示したものと重なりあっています。

 20歳の頃には、ダビデが基を据え、ソロモンが創建したエルサレム神殿の修復に取り掛かると共に、ユダ国内に蔓延していた偶像崇拝を廃するため、バアルの祭壇を破壊していきます。

 ヨシヤが王位について18年目、神殿の中で失われていた律法の書が発見され、これを家臣が王の前で読みました。聖書のみ言を耳にした王は驚きます。この国の混乱は、神様が先祖に与えたみ言が忘れられ、ないがしろにされていたからだと気付くのです。そこで王は「心に悔い、主の前にへりくだり、衣を裂いて泣いた」(列王紀下22・19)のです。

 そればかりか、エルサレムの住民、祭司、預言者らを集めます。そして、「主の宮にのぼり、主の宮で見つかった契約の書の言葉をことごとく彼らに読み聞かせた」(列王紀下23・2)後、王も民も共に律法の書に記された言葉を守り行うことを誓ったのです。

み言に侍る王の姿

 申命記改革とも言われるヨシヤ王の改革は、滅亡の危機迫る南ユダ国の最後のあがきとも思えるものでした。それでも、王を筆頭に国民がこぞって神様のみ言にたち返る姿勢をみせたのです。

 「ヨシヤのように心をつくし、精神をつくし、力をつくしてモーセのすべての律法にしたがい、主に寄り頼んだ王はヨシヤの先にはなく、またその後にも彼のような者は起らなかった。」(列王紀下23・25)

 失われていたみ言を見つけ出し、律法の書に記されたみ言を守り行うことこそが国家再建の柱だと確信していたユダ国の王でした。来るべき時にみ言の実体であるイエス・キリストを迎えるべく、み言に侍る姿勢を示した王となりました。

 その王も、メギドの戦いでエジプト王に敗れ、そこで倒れたので、ユダ国の滅亡を見ることはありませんでした。

東神奈川教区 青葉台教会学生会

IMGHP_4536②  こんにちは!青葉台教会学生部です!!青葉台教会学生部は男子90名、女子77名、全体167名のとても大きな教会です。毎週の礼拝には多くの兄弟姉妹が集まりとても活気があります。2ヶ月に一度の誕生日会ではクイズ大会を多くするのですが、チーム一丸となり優勝(賞品?)を目指して毎回、熾烈な戦いが繰り広げられます(笑)そして、青葉台教会といえば、やはり、あの荘厳なる教会です!礼拝堂は、祈れば直接天に届きそう(!?)なくらい天井が高い!!ぜひ一度来てみてください!!

 さて、それでは本題に入ります。今年の青葉台教会学生部のスローガンは“「TRUE LOVE FAMILY」①神様を中心に真の愛でいっぱいの教会②一人ひとり二世である誇りがもてる教会③みんなが輝ける教会”です。真の愛を中心として青葉台大家族を作ろう!!そのためには、まずは真の愛を教会で感じ、そしてそれによって一人ひとりが自身のアイデンティティを悟り、誇りを持ち、世の中を照らすくらいに光り輝こう!!という思いを込めて、スローガンを皆で考えました。そしてそれに向けて全員で取り組んでいます。

 学生会としての主な活動は、先にあげた2ヶ月に一度の誕生日会、聖歌隊、クリーンアップ(地域清掃活動)、二部礼拝には合唱練習、サッカーなどをしています。また地区の行事にも積極的に参加しています。5月に行われた成和学生大会では6チーム中、5位という悔しい結果に終わってしまいました。来年は優勝を決意し、女子も男子も二部礼拝で積極的にスポーツをしようと密かに計画中です。今後は中和文化祭、合唱コンクールと大きな行事が続いています。もちろん全てで優勝できるように準備中です!!

 160人の大家族、青葉台教会学生部!!もっともっと大きく成長して、内的にも外的にも日本一の学生部になります!!