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Archive for 4月, 2011

第4回親子で育む韓国語習慣

会話を継続させる方法

会話を継続させる方法

外国語シグナルを出そう!

 外国語を習得するのに一番効果的なのは、その国の人と直接話すことです。韓国人と話す場合には大きく分けて二通りのケースがあります。①日本語が全く話せない韓国人と会話をする場合、②日本語が少しでも話せる韓国人と会話をする場合です。前者であれ後者であれ、あなたが会話をする韓国人に“ 自分と韓国語で会話をしても私は韓国語を理解していますよ…” というシグナルと雰囲気を送ることが重要です。前者の場合は韓国語シグナルを送らなければ会話自体を持つことが難しいでしょう。後者の場合は、日本語がわかる韓国人と会話をする時、使用する会話言語の選択肢は、韓国語で話すか日本語で話すかの二通りのパターンがあります。
 それでは誰がその選択をしているのでしょうか。実はあなたがしているのです。“ 私の韓国語を相手が分からなかったらどうしよう”“ 間違ったら恥かしいな”“ 相手が理解できなかったら仕事に問題が生じてしまうかも” という気持ちであなたの日本語を理解してくれることを願いながら日本語で話しているのです。せっかくならもう少し勇気を出して、“ 相手が私の韓国語を理解してくれるだろう” と信じて、韓国語で話してみてはどうでしょうか。話し相手が日本語で聞き返してきても、少し強引にあなたが韓国語で話し続けることが重要です。数回繰り返していたら、自然と韓国語ベースで会話が成り立ち始めます。そして相手がいつも韓国語であなたに話しかけてくるようになるでしょう。その繰り返しで、結果的に韓国語で会話ができるようになるのです。選択肢は二つなのです。韓国人が送る“ 日本語で会話しても大丈夫だよ” というシグナルをあなたが受け入れるか、あなたが送る“ 韓国語で会話しても大丈夫だよ” というシグナルを相手が受け入れるかなのです。韓国語を学習したいと思う人は、自分の“ 韓国語シグナル” を相手に送って受け入れてもらうように努力してください。私の知っているある日本人は英語学習熱が強く、日本人相手にも英語で話し返していました。私も数回日本語で話しかけたのですが、いつも英語で話し返してくるので、結局は私がその日本人に英語で話しかけるようになりました。彼の英語シグナルが私の日本語シグナルに勝った例だといえます。

知っている単語を口にしてみる

 ここで自分は韓国語のレベルが会話をできる程ではないので、無理だなと思う人がいるかもしれません。その人のために具体的な学習方法を一つ紹介したいと思います。それは“ 相手の会話の中で自分が知っている単語を一つでいいから見つけて、口に出して話し手に聞き返すこと” です。文章全体を理解できなくても、一つでいいから聞き取って相手に反復するのです。日常的な会話も、初回で話した頻度数の多い“ 言葉の塔” の中で多くの場合なされますので、頻度の多い500 単語で会話を継続できるこができます。
 時にはあなたが知ってる単語が一つも出てこない時があります。その時は、意味が分からなくても何となく聞き取った単語を口に出して聞き返してください。相手が話した単語や内容を聞き返すことで、話し手はあなたが話の内容に共感してくれているとか、もっと深く知りたがっているとか、話し手なりにあなたが聞き返した言葉の意図を解釈して、継続して韓国語で話しかけてくれるでしょう。そうしたらもう韓国人が“ あなたと韓国語で話してもOKなんだ”と受け入れてくれたと思って間違いありません。それを繰り返すことで、韓国語が話せるようになっていくのです。
心情的な会話で通じあう

 よく意味が分からないまま会話が膨らんでいくことに、恐怖心を持つ人がいます。大丈夫です!怖くないです!よくよく皆が話している姿を観察してみれば、話し手の話の意味を100%理解していないまま会話が継続するケースは実は多いと思っています。親が子に話す時、子供が100%親の話を理解しているでしょうか?私の息子を見てみても、100%理解していない場合が多いと思います。私が妻と話す時も(英語や韓国語なのですが)妻が100%理解しているかな?と思う場合があります。その理由は①単語の意味を理解していない、②文法を理解していない③文化的背景を理解していない、④自分が経験した内容を共有、共感していないなどの理由があると思います。それでも会話が成り立つわけは、人間は理性的な世界だけでなく、心情的な世界でも関係性を結んでいる存在だからではないでしょうか。
 昨日より今日、今日より明日とより深く分かり合い、共感しようと努力しているのが私たちの生活ではないでしょうか。韓国語でもその努力を共に続けていきましょうそうすることで私たちは徐々に天の父の心情を、より深い次元で共感していけるのではないでしょうか。それが私たちが言語学習をする究極的な目的ではないかと思って
います。

(佐桑高光)

世界宣教に出ていきたい!!

モンゴルを訪問した時に、モンゴルの成和学生たちと

編集部:中学時代はどのような学生生活を送っていましたか?

ヒョン:中学時代はあまり教会に行かず、部活や勉強に明け暮れていました。当時の教会は男性が少なく、部活の方が楽しく熱中できたので、自然と教会から足が遠ざかってしまいました。なので、その時は学生会行事にもほとんど参加したことがありませんでした。しかし、部活で熱中していた分、多くのことを学ぶこともできました。厳しい練習の中で集中力も高まり、何事にも一生懸命取り組むようになりました。中学3 年では部長や学級委員を務め、仲間を思いやり、引っ張っていく訓練になりました。
 部活以外には勉強も一生懸命やっていたので、高校も進学校に入学することができました。中学の時は色んなことに挑戦しながら自分の熱中できるものを見つけて投入したらいいと思います。くれぐれも勉強はおろそかにしないように。

編集部:高校時代はどのようななことを意識しながら生活しましたか?また、受験に対してどのように向かい合ったのか教えてください。

ヒョン:高校生になった時、初めて地区の修練会に参加しました。そこで、神様、兄弟姉妹のために情熱的に生きる他教会の兄の姿を見て、自分もあのようになりたいと思い、教会に行くようになりました。
 私が高1の時、高2の兄が教会にいなかったので、自然と男性の中心に立つことになりました。学生会活動は忙しく、初めてのことが多かったですが、教会のアベルや兄弟姉妹に支えられ、一年間歩むことができました。
Jr.STF には7期で合格しました。選抜の面接を通して、初めて心の中から神様、ご父母様の溢れる愛を感じることができ、神様の夢を必ず成し遂げようと決意しました。Green修練会では、神様を中心とした兄弟姉妹の文
化を知り、前線活動において人を愛する難しさや自らの不足さを実感し涙しました。
 高2の時に、学生会長をやることになりました。この一年間は、誰よりも精誠を尽くしながら、神様の愛を相続し、兄弟姉妹に愛を投入することを意識して歩んでいきました。
 夏にはJr.STF のPink 修練会に参加し、モンゴルに行きました。そこで、今まで以上に神様を愛そうと歩みましたが、それ以上に、モンゴルの広大な自然を通して、無限に愛してくださる神様の愛を強く感じることのできる経験をしました。他にも、中和文化祭東日本大会や、合唱コンクールの本選にも参加させていただきました。私の地区では教会単位で行事に参加することが多いですが、初めて教区単位で出場したこれらの行事は、私の一番の思い出です。時には涙しながらも多くの兄弟姉妹とともに、一つの目標に向かって投入していきました。その期間は精誠条件を通して神様の声を聞いたり、お父様の心情にふれて涙が止まらなかった機会もありました。様々な体験をした、高2の歩みが終わったときに、私が愛を与えようとする以上に、逆に神様、ご父母様、そして兄弟姉妹たちに愛されていたということに気づきました。
 だからこそ、その愛を返すため、高3の受験で、必ず勝利することを決意しました。大学を決めたのは高2の11月に、大学の学園祭に参加したのがきっかけです。園祭の雰囲気はまるで世界の縮小体のように感じました。本格的に受験勉強を始めたのは高3の4月に行われた学習修練会に参加してからです。予備校に行くお金がなかったので家で一年間、勉強しながら歩んでいきました。精誠条件も4月から7月までの3カ月間、毎日40 拝の敬拝と祈祷文の訓読をし、7月下旬から3月下旬までは毎日120 拝の敬拝をしていきました。毎日同じことをすることで、神様の前に変わらない子女となることを決意
して歩んでいきました。
 入試ではセンター試験と大学で行われる試験の二つの点数を総合して合否が決まります。私はセンター試験で大失敗をしてしまい、合格は無理だろうという点数をとってしまいました。絶望的でしたが、神様、ご父母様に 親孝行したい、今までの愛を兄弟姉妹に返したいという心情で逆境を乗り越え、大学で行われた二次試験でよい結果を修めることができ、東京外国語大学に合格することができました。
 原理講論に「神のみ旨に対する予定は絶対的である」とあります。どんな逆境だとしても、神様が私たちに予定し、与えてくださったみ旨を必ず成し遂げたい!!という思いがあれば、それらを乗り越えることができます。

編集部:将来の夢を教えてください。

ヒョン:世界宣教に出ていきたいです。神様のみ旨に重要な国であるモンゴル。これは天の使命であると確信しています。これを果たして神様の夢を 必ず成し遂げていきます。

編集部:最後に全国の弟妹たちに一言お願いします。
ヒョン:神様は私たち一人ひとりに真の愛と使命を与え、無限の価値と可能性という“ 種” を与えられました。その種を花開かせ、実を結ぶのは私たちの責任分担です。神様の夢を成し遂げるために、ご父母様に親孝行するために「わたしには何ができるのか」と問いかけながら、中学高校時代に多くのことに挑戦しながら歩んでいきましょう。True love A-ju !!!

編集部:ヒョンありがとうございました。

はじめに

家庭教育局 副局長 堀正一

家庭教育局 副局長 堀正一

 この度の東北関東大震災に被災された方々にお見舞い申し上げます。真のご父母様は、今回の震災に対して大変深く心を痛められ、日本国と日本人の全体に対して手厚い支援を指示されました。また、その意を受けて、世界会長ご夫妻は、原発がどうなるか分からない情勢下で日本入りされ、被災地訪問と避難された食口二世たちへの激励を敢行されました。教会としても、救援物資や青年奉仕団の派遣で微力ながらお手伝いさせていただいているところです。今後とも、教会をあげて、被災者の方々への支援を継続していきます。
 激動の中でありますが、新年度が出発いたしました。一人ひとりの子女が、内外ともに次の段階に移行し、成長する機会を得ることは、大いなるよろこびです。2013 年を目前にして、時間が本当に足りません。以下、天一国の主人作りに向けて早急に教育整備を完了するための方針をお伝えします。このことにより、二世教育の最大の問題である“教育不足”を解消し、多忙な中でも“ポイントを外さない信仰教育”を実現してまいりましょう。

方針

◇“ 大人の基台” の確認:二世は同じ教育を受けているのに、大人の教育観がバラバラなのは、共有する場がないためです。お住まいの教区で、定期的な報告の機会、連絡網やメーリングリスト、父母会が整備されているかなどを点検して下さい。
◇“ 連結” の徹底:小学校→中学、中学→高校、高校→大学・就職などの節目が、落とし穴になっています。“ 卒業” よりも、“ 次の段階への連結” が最優先事項です。教育の成果とは、連結の成功のことです。

◇“ 所属率と通教率” の向上:通教以前に、そもそも出生登録や所属をしていない場合があります。“ あなたの教会” であると教え、二世圏の兄弟姉妹との幅広い交流を持たせてあげてください。

◇“Jr.STF と成和学生会”:Jr.STF を通過した者は、信仰の基礎が育つため、CARP や祝福に連結していきます。そのため、全二世に推奨しています。諸事情によりJr.STFは難しいという場合でも、立派な成和学生ですので問題はありません。

◇“ 二世再伝道” の推進:“ 教会に来ない子はどうしたらよいのですか? ” という質問があります。答えは“ とにかく教会に行くべき” ですし、最低でも“ 家庭で相当真剣に取り組まないと、二世としての自覚と内容を見失うおそれがある” です。父母FE の資格取得をお勧めしています。

天基2 年の摂理的特徴

 新しい年、天基2 年(2011 年)が出発しましたので、今年の摂理的特徴を整理してみたいと思います。
 まず、昨年(2010 年)、“ 真のお父様ご聖誕90 周年記念式” において、「私たち夫婦は、今や2013 年1 月13 日まで最後の3 年路程を残して、いつどんな時より、深刻な日々を生きています。」と語られたように、昨年(2010 年)より“3 年路程” が出発ましたので、今年2011 年は、“3 年路程の2 年目” にあたっています。
 更に昨年より“ 天基・天暦時代” が出発し、今年は“ 天基2 年” ですから、そのような意味においても、“ 2数” を背景とした年であるということが分かります。
1 母の国、日本を中心とした年

 四位基台におけるアダム、エバ、子女の順から考えると、昨年(1 年目)は父(アダム)の国、韓国を中心とした年であったと言えるので、“ 天地人真の父母定着実体み言宣布大会” において、「韓国が神様の故郷であり祖国である」と明確に発表されました。
 それゆえ、2 年目である今年は、母(エバ)の国、日本を中心とした年であると言えるでしょう。昨年は“ 天運守護” を目指して歩んできましたが、今年は“ 天一国創建”“ 天一国建国” に向けて、母の国、日本が重要な使命を果たし、“ 女王の国” として国家的祝福を受けることが願われています。

2 サタンの試練と攻撃

 真のお父様が「2年目はいつもサタンの攻撃を受けるのです。アベルもそうであり、ノアの息子ハムもそうであり、イサクも、イエスもそうであり、二番目がいつもサタンの侵入を受けるのです。」と語られているように、サタンは“ 2数” に侵入して、全体を崩そうとします。それゆえ今年はサタンの試練と攻撃を、2の立場である母の国、日本が先頭に立って、乗り越えていかなければなりません。最近、真の父母様は「滅びないでついて来なさい」と語られたそうです。それゆえ私たち祝福家庭は、真の父母様の直下において、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の精神をもって、“侍義信仰”を全うしていくことが大切です。

王であるキリスト その2 : ダビデ王

 

ダビデ王

ダビデ王

柔和な王がおいでになる
 「シオンの娘に告げよ、見よ、あなたの王がおいでになる、柔和なおかたで、ろばに乗って、くびきを負うろばの子に乗って」(マタイ21・5)
 十字架の死を迎える一週間前、イエス様はロバに乗ってエルサレムに入城しました。福音書は「預言者によって言われたことが、成就するためである」(マタイ21・4) といいます。ゼカリヤが預言した通りの姿(ゼカリヤ9・9) で入城するイエス様です。この時、群衆は、棕櫚の葉やオリーブの枝を手に持って、喚起の声を上げて歓迎しています。彼らはこう叫びました。
 「ダビデの子に、ホサナ。主の御名によってきたる者に、祝福あれ。いと高き所に、ホサナ」(マタイ21・9)
 しかし、そのわずか数日後に、彼らは同じお方に向かって「神を冒涜する者」「死に当たる者」と非難し、「十字架につけよ」と叫ぶことになります。イエス様は不幸にも、十字架の道を歩まざるを得なかったけれども、一方で、イスラエルの人々は、この時もなおダビデのような偉大な王が統治する日を待ち望んでいたのです。ダビデは、善き王として彼らの心に深く刻まれていたからです。
心を見て選ばれる神様

 初代イスラエルの王サウルが神様の命令を守れず、その使命を果たすことができなくなったとき、密かに神様が選んだ新たな王がダビデでした。士師サムエルは、神様の命に従って香油を携え、ベツレヘムに住むエッサイのところに行きました。サムエルはその息子たちの中から神様が王に選ばれた人物を探します。
 長男を一目見たサムエルは、この人こそ神が選ばれた者だと思いましたが、神様はこう言います。
 「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」(サムエル上16・7)
 そのように諭されたサムエルは、順に息子たちを見ていきますが、どうもぴんときません。家にいた息子たち全員を見たのに確証が得られません。父親のエッサイに確かめると、もう一人羊を追って野に出ている末っ子がいることがわかりました。それがダビデでした。
 ダビデがサムエルの前に出るやいなや、神様の命が下りダビデに油が注がれ、彼の上に主の霊が激しく臨むようになります。
 神様は心を見られるといいますが、どのような心なのでしょうか。神様が喜ぶ心とはどのようなものなのでしょうか。末っ子だけに純粋で幼子の心が残っていたということでもなさそうです。神様が掴み取ったダビデの“ 心” は、次のようなできごとを通して顕わになってきます。
主が共におられる

 ダビデが油を注がれたといっても、まだイスラエルはサウルが治めていました。そのイスラエルがペリシテとの戦いで劣勢を強いられていた時、軍隊に加わった兄たちに食糧を届けにきた少年ダビデは、目の前の光景に愕然とします。
 イスラエルの軍勢を前に、強力なペリシテ軍が威嚇しているのです。こともあろうに、ペリシテの巨人ゴリアテが前面に進み出て、自分と戦って勝つことのできる勇者はイスラエルにはいないのかと侮辱しています。しかもその言葉にイスラエル軍は皆気づいているのです。
 それに対して義憤に燃える少年ダビデは、自ら名乗り出て、巨人ゴリアテとの一騎打ちに挑みます。羊飼いの彼にとっては、巨人も荒野の獣に比べれば恐れるに値しません。「わたしは万軍の主の名…神の名によって、おまえに立ち向かう。…イスラエルに、神がおられることを全地に知らせよう。」(サムエル上17・45-46) と向かって行くのです。
 鎧かぶと兜を身につけることもできないほど幼い少年でありながら、何千何万の兵士に勝って、神様を思い、神様が共におられる国であるとの誇りを持っていました。天を思い、民を思い、国を思う心は誰よりも大きかったのです。
 神様はダビデの“ 愛天、愛人、愛国” の心を見られて、彼を王として立てられたのではないでしょうか。その心があまりにも強かったので、彼は、たった一人でゴリアテに挑み、小さな石ころの一撃で倒してしまいました。その勇気に鼓舞されたイスラエル全軍は、逃げるペリシテ軍を追撃し、勝利を収めました。「主はわたしの牧者であって、わたしは乏しいことがない。」(詩篇23・1)
 ダビデの歌として知られる詩篇です。少年の時抱いていた彼の心は生涯変わることがなかったことをうかがわせます。主が共におられる。その主を愛し、主が愛する民を愛し、主が愛する国を愛する、これこそイスラエルの王の心。それが、来るべきお方に流れこんでいくのです。

原理講論を読もう♪ ⑬

ルーカス・クラナッハによるエデンの園

ルーカス・クラナッハによるエデンの園

堕落論

 今月からは堕落論について考えていこうと思います。堕落とは、神様が最初に創造した人間、アダムとエバが神様との約束を守らなかったことが原因です。アダムとエバが神様との約束を守らなかった罪は、その子供にも受け継がれ、またその子供にも受け継がれました。脈々と受け継がれてきたアダムとエバの罪は、6,000 年経った今でも人類を苦しめています。
 現代人にまで受け継がれているアダムとエバの犯した罪は、罪の中でも最も根本的な罪なので“ 原罪” と呼ばれています。歴史上、人間はこの“ 原罪” とは一体なんなのか?そしてどうすれば清算できるのか?ということを考え続けてきましたが、未だにすべての人が納得できる回答は見つかっていません。堕落論とはこの“ 原罪” に関する明確な定義と罪を犯すまでの“ 経緯”を解き明かしています。

聖書から見る堕落の動機と経路

 堕落論に触れる前にアダムとエバの堕落に関する記述は聖書の創世記に載っていますので、紹介してみようと思います。少し長いですが、大切な箇所なので読んでみてください。

 主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べるときっと死ぬであろう」( 創2・15 ~ 17) さて主なる神が造られた野の生き物のうちでへびが最も狡猾であった。へびは女(エバ)に言った。「園にあるどの木からも取って食べるなと、本当に神がいわれたのですか」女はへびに言った、「私たちは園の木の実を食べることは許されていますが、ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました」
 へびは女に言った「あなたは決して死ぬことはないでしょう。それを食べるとあなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」 女がその木を見るとそれは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫(アダム)にも与えたので、彼も食べた。すると、二人の目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづりあわせて腰に巻いた。(創3・1 ~ 7)
 彼らは日の涼しい風の吹くころ、園の中に主なる神の歩まれる音を聞いた。そこで人とその妻(アダムとエバ)とは主なる神の顔を避けて園の木の間に身を隠した。主なる神は人に呼びかけて言われた。「あなたはどこにいるのか」彼は答えた、「・・・私は裸だったので、恐れて身を隠したのです」神は言われた、「あなたが裸であるのを誰が知らせたのか。食べるなと、命じておいた木から、あなたは取って食べたのか」人は答えた「わたしと一緒にして下さったあの女が、木から取ってくれたので、私は食べたのです」そこで主なる神は女に言われた「あなたはなんということをしたのです」女は答えた「ヘビが私をだましたのです。そこでわたしは食べました」(創3・8 ~ 13)
そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出した(創3・23)

 これがアダムとエバが罪を犯したためにエデンの園から追い出されたストーリーです(これを“ 失楽園” とも呼びます) 。神様に禁じられた木の実を食べたことが、神のみこころに逆らった結果となり、アダムとエバの人生はもちろん、その後の全人類の運命を変えてしまったのです。聖書によると堕落によってアダムは額に汗して地を耕さなければならず、エバは産みの苦しみを甘受することになりました。しかし人間の堕落行為が聖書の文字通りだったとすれば、これほど罪に対して重い罰はありません。たった一度、神様の指示に従わなかっただけなのに(しかも言ってみれば“ つまみ食い” です)、人生の全てが失われ、しかも自分の子孫までもその裁きを受けなければいけないなんて、理不尽極まりないといえます。しかし不思議なことに聖書の中でアダムとエバは“ 何故木の実を食べたのか? ” という問いにはあれだけ言い訳をしたにも関わらず、神様の裁きを受けても何一つ文句を言い返しません。それは彼らが自分たちの犯した罪の大きさを自覚していたということを暗示してくれています。

4つの疑問

 原理講論では聖書の物語が比喩として語られていることを前提に、アダムとエバの堕落行為についていくつかの問題提起をしています。
①善悪を知る木の実を食べるとはどういう意味なのか? 
②堕落行為はどのように起こったのか? 
③エバに木の実を食べるよう誘惑したヘビとは一体何者か? 
④全知全能の神様はどうしてアダムとエバの堕落行為を止めなかったのか?
 この4 つの疑問こそ、人類が解き明かそうとしても解き明かすことができなかった大きな疑問でした。次回からはこの疑問を原理講論に沿って皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

神の道(文亨進様のみ言)

 

 霊的な目で見つめる

天福式でのお父様と亨進様

天福式でのお父様と亨進様

 すべてのクリスチャンたちは、イエス様を肉的な目ではなく霊的な目で見ます。主が、私のために死んだ。私のような罪人のために…。全てのクリスチャンたちは、イエス様が地獄までいかれて三日間で復活されたということを信じています。それを信じればキリスト教人です。私たちは統一教人として主を見るとき、霊的な目で見なければなりません。私たちは、あまりにも大きな福、お父様が私たちの目の前にいらっしゃるので肉的な目で見てしまいます。 

 お父様のみ言の95%の題目は、真の愛です。しかし、私は、統一教が言う真の愛の偉大さを見つけることができませんでした。真の愛の偉大さ、違いに対することを知ろうとすることをあきらめようとしていた時、お父様の夢を見ました。
 夢の中でお父様は拷問をされて、監獄に収容されていらっしゃいました。お父様の霊人体が地獄の底までいかれ、ご自分の体を悪霊たちに投げられ「自然世界は放っておけ!私が責任を持つ。私のこの体を好きなようにしろ!」とおっしゃり、お父様の霊人体はとてつもない苦痛を受けられました。夢からさめてみたら、今まで私が真の愛の違いを感じることができなかったのは、肉的な目だけで見ていたからでした。霊的な目で主を見ると、主が私のために、地獄まで行かれ、私の代わりに苦難をうけ、私を救援してくださったのでした。

お父様の歩まれた道

 私たちの真の愛は、キリストの愛よりも偉大で、父母の心情、仏様の慈悲よりも偉大です。真の愛は、単純に利他的な愛、奉仕、親切とは次元が違います。もちろん、それらも必要ではありますが、初期の愛の段階です。真のご父母様の真の愛は、子供たちのため、私たちを生かすため、七死復活(サタン世界が真のご父母様を殺そうとする審判)の道を単純に苦痛の道ではなく、世界の恨みや憎しみ、世界の人々の嘲笑や恨みを、霊人体を捨てるという心情で、一つひとつ復帰してこられたのです。

 私たちに、永生復活昇華式、祝福式をくださるために、私たちには、想像もできない、人間の道ではなく、神の道を歩んだということを悟らなければなりません。イエス様は、個人のために、霊的救援を受けられるように、十字架に架かり亡くなられましたが、個人だけではなく神様までも、解放しなければなりませんでした。真のご父母樣は、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界のために、もっと大きな苦痛を代身しなければなりませんでした。ダンベリーへ入られる時、真のご父母様は、私はこの世界のためにいくのではないとおっしゃいました。七死復活八段完成は単純なお父様の生涯路程の峠、峠の困難ではなく霊的な目でみると、八段階を完成される悲惨な道だったということを知ることができます。僕の僕から神様まで上って神様から個人、家庭、氏族、民族、国家、世界が行くことができる道を、開いておかれたのです。ですから、統一教がいう愛は、さらに偉大だということです。

天福式に臨む姿勢

 お父様が考える真の愛は、想像もできない愛です。霊的な目で見ればそれを発見することができます。

 お父様がまた再び、夢に現れて数万個の太陽の光のように光り輝いておられました。まるで、イエス様が、モーセやエリヤが横にいて、一番輝いてイエス様が出てこられるように。霊界の真のご父母様は、とてつもなく偉大に見え、光が体全体から流れ出ている場面を見ることができます。私たちがしなければならないことは、真のご父母様がどのような霊的な戦いをされたのか、どのような復活の役事をしておられるのか、わからなかったら、どのような代価を払い、私たちを救援されて、天一国に入られるのか発見しなければなりません。私たちは、天福式においてそれをよく探さなければなりません。真のご父母様が、完璧ではない私を生かすためにどのような道を歩んでこられたのかということです。私たちは、そのような次元の真の愛を相続しなければなりません。天福式を通して、新たに真のご父母様を発見して、霊的な目で、真のご父母様を発見して、一日を始めなければなりません。それが天福式の目的です。

 お父様の聖水を通して、すべての罪が消えるのではありません。きれいにならなければならない、浄化しなければならない、そして、きれいな私を奉献することのできる一日を送ることができれば、天福を受けることができると信じます。

【麗水修練会亨進様特別メッセージより抜粋編集】

成和学生

 

成和の意味

訓読会で話される真のお父様

訓読会で話される真のお父成和の意味

 皆さんは成和という言葉の意味を知っていますか?成和という名前をなぜ若者たちにつけてあげたのでしょうか?血の沸き立つ若者、純潔の血が湧き上がり、神様の感情に同化できる血を持った若い青少年たちが必要なのです。だから若者たちに成和という名をつけてあげたのです。

 “ 成” は創造理想の完成を意味します。すなわち宇宙全体の完成を意味するのです。本来、完成の基準を立てる時期は、人間始祖が堕落した年齢である17、18 歳のときです。だから神様は成和20 代を中心にすべてのことがなされることを願うのです。未来の完成の位置をものにできるのは、青少年の時期にある人たちです。

 成和の意味は成して和合するということです。一つの目的を成して和合するということです。和合することによって、二人ではなく一人になります。そのような意味で成和の若者たちの持つ責任が大きいことを、皆さんは知らなければなりません。

 神様は今若い人たちに願いを託し、要求しておられます。これほど複雑な地上に神様は私たちを立て、願われてきた世界を成そうとしておられるのです。今日の私たち若者は、その道を行かなければならないのです。先生も年とった人の中に入るので気分がよくありません。しかし、年老いた側には入りません。先生は年とった人が好きではありません。若い人が好きです。今でも、好きなのは若い学生たちです。

 今日、統一教会の中高生を成和学生と言います。“ 成和” という言葉がどういう意味かわかりますか?皆さんは大韓民国の成和人にならなければなりません。町内の成和人とならなければならないのです。学校で伝道するときにも、楽に伝道できますか?「なんだ、それくらいの勉強が問題なものか。私が大勢の友達を引っ張って行って信じるようにしよう」という人がいますか?そんな人を見ましたか?ひたすら「聞くだけ聞いてみましょう」と頼み込まなくてはならないでしょう。だめなら胸倉でも一度つかんでみろというのです。悪い意味ではなく、よい意味でです。

 先生は成和が好きです。皆さんは成和人です。また、村に行けば村の成和人です。サタン世界の成和人であると同時に、神様の世界の成和人です。それゆえ、一点で出発して一点で実を結ぶのです。

成和の文化

 皆さんは自分が成和人であることを考えたことがありますか?このような観点で見るとき、世の中で親たちが子供に「勉強しなさい。言うことをよく聞きなさい。友達の模範にならなければならない」というのですが、それが成和人ですか?父母が子供に「勉強をしないと劣等性になるから、がんばって勉強しなさい」これも成和といえば成和です。また、子供が学校から帰るや、父母が愛の心で愛情こまやかに与えてくれたものをすべて持って出て行き、近所の子供たちにかわいそうだと分けてあげます。これも成和です。また、父母が子供に十年もかけて、何か精誠を込めて準備し、与えましたが、これも二時間足らずで全部ほかの子供たちに分けてあげます。それも成和でしょう?

 “ 成和” の名前を汚さない皆さんにならなければなりません。自分の力ではそれ以上できず、耐えられない時になってから「神様、助けてください」と言ってこそ自主性のある人となります。 

 神様の伝統を引き継いだものとして、直行しなければなりません。み旨を知らない学生たちと先生たちを哀れに思わなければなりません。そして、神様が自分一人を立てるためにどれほど苦労なされたかを考えなければなりません。

 正しくないことは屈服させなければなりません。力に対抗して、力でないもので屈服させようとすれば、何千倍の苦労をしなければなりません。どんな環境も収拾して征服することができる、忠孝の志操を立てなければなりません。そして純粋な心で出発し、確固不動な歩みで目的を達成しなければなりません。

 原理は道案内であり、原理の目的は先生の生涯です。誠心誠意、目標に向かっていけば、道しるべが現れます。皆さん各自は、自分に与えられた環境で歴史的な出発をしなければなりません。そして真実の種をまいて育てなければなりません。

【二世の道p153 ~ p162 より抜粋編集】

成和学生であることを誇りとしよう

佐野局長

全天宙を直接主管される時代

 敬愛する全国の成和学生の皆さん。2010 年は、天地人真の父母様の輝かしい勝利によって、神様が全天宙を直接主管なさる時代に入りました。まず第一に、歴史の流れを測る暦が、これまでの太陽暦から神様の暦である天暦に変わりました。今日私たちが使用している西暦が、イエス・キリストがお生まれになった翌年を紀元(A.D.)として、今年2011 年まで歴史を刻んできたことを考えれば、今私たちは、まさしく歴史的大転換期に立っております。
 そして第二は、人類歴史上初めて、神様のみ言を完成した実体が立たれたという事実です。神様の直接主管とは、“ 神を中心として、アダムとエバが一体となり、家庭的四位基台を造り、神の心情と一つとなって、愛と美を完全に授受して善の生活をすること” ですから、今まさに、神様が人類始祖アダムとエバに与えられた“ み言” が、天地人真の父母様によって初めて完成され、無形の神様が実体の父母として、天宙を直接に主管なさる時を迎えたのです。そしてこの事実をふまえて、すべての人が完成に至ることのできる“ み言” を宣布されたのが、“ 天地人真の父母定着実体み言宣布大会” であり、このみ言が、“ 八大教材教本(天福函)” です。
 第三に、来るべき2013 年1 月13 日を天一国創建スタートの日(D-Day)として、神様の祖国と故郷を韓国として発表されました。
 このように六千年の蕩減復帰時代を終結し、神様の直接主管時代が開始した中で、2011 年はどのように展開し、私たちはどのように生きるべきか、改めて考えてみましょう。この時代は、希望と不安、救済と審判が交差する複雑な時代です。何故なら、神様が直接主管されるということは、善主権が絶対なる全権全能をあらわし、悪主権が支配してきた世界がこれ以上継続できないことを意味するからです。

 

不倫の愛との戦い

 それでは、善と悪を判別する基準とは何でしょうか。皆様がすでに学んでおられるように、善なる神様が創造された世界に悪が生じた原因は、アダムとエバの堕落であり、不倫の愛の問題にありました。ですから創造本然の善の世界を復帰するために、神が立てて来られた摂理の中心人物たちには、いつも絶対信仰と絶対的純潔が求められたのです。聖書を読めば、復帰摂理は絶えざる悪主権世界の不倫の愛との戦いであるという事実をみることができます。義人ノアが築いた信仰基台は、ハムを初めとする息子たちが、父親の裸を見て抱いた不純な思いによって脆くも崩れ、淫乱に瀕した町、ソドムとゴモラは、アブラハムの必死の取りなしの祈りに、一人だに義をもってこたえることができずに、火と硫黄をもって焼き尽くされてしまいました。モーセの十戒は姦淫を厳しくいましめ、律法は、姦淫罪を石打ち刑(死刑)と定めていました。イエス様も、情欲をもって異性を見たものの代価は地獄であるとして、厳しく諭しておられます。このように、人類始祖アダムとエバの堕落に始まり、不倫の愛は、長い人類歴史を完全に支配してきました。そして今日も世界中がこの愛に覆われております。

 

成和学生の使命

 成和学生の皆さん。皆さんは二世であり、成和学生であることに、どれほど誇りをもっているでしょうか。
 1935 年、真のお父様は満15 歳の時、イエス様が顕れ、神様のみ旨を完成して下さるよう切望され、以来92 歳の今日に至るまで、堕落し罪悪に苦しむ人類の解放をかけて、壮絶なるメシヤの道を歩んでこられました。そしてその核心こそ、堕落によって失われた“ 神様の真の愛を中心とする家庭” を完成し、人類を神様の血統に取り戻すことであり、罪悪世界を切り開き、義なる人々を探し求める、文字通り血と汗と涙で綴られた茨の道でありました。
 皆様の両親は、このような神様の摂理の中で、“ 祝福” に預かり、真の愛を求めて世の不義、とりわけ不倫の愛と戦ってきた貴い人たちであり、皆様はその結実です。“ 成和” という文字には、神様との約束が初めて成就した天の初穂という意味が含まれています。特に2011 年に入り、前述したように神様が直接主管なさる時となり、いよいよ皆様が、これからの時代の方向性を決める重要な立場にあることを自覚しなければならないでしょう。
 その第一は、皆様が有史以来初めて登場した神様の直系の子女として、その立場自体に貴い価値(自尊心)を抱き、誇りを持たなければなりません。
 そして第二に、そのような立場に立ててくださった真のご父母様と、皆様のご両親に心からの感謝を捧げ、皆様自身も一人の人として、神様のみ旨の完成に努力しなければなりません。
 第三に、完成に向かって皆さんを正しく導いてくださる“成約のみ言(”「統一原理」を初めとする八大教材教本)を、徹底して家庭訓読することです。
 最後にこれからは、不倫の愛に対し妥協なき時代となります。善の中心が立たれた今、不義に対する審判が下される時代となります。しかしすべての親である神様は、唯の一人も滅びに至ることを願われません。そこでヨナが二ネべの町に対し命がけの警告をして、国王をはじめ全国民を悔い改めに導き、二ネべを滅亡から守ったように、神の前に純潔の生活を貫く祝福家庭、特に成和学生の皆様が、まだ神を知らない学友や社会に、神様を証し純潔の大切さを伝えることが、裁きを免れ、救いをもたらすことになるのです。
 もう一度、“ 成和学生” であることを誇りとしましょう。

文亨進世界会長を迎えての追慕祭及び特別礼拝

 天暦2 月1 6 日(陽暦3 月2 0 日)、日本本部教会に亨進様ご夫妻と、崔妍娥様をお迎えし、「文孝進様第三周年追慕祭及び文亨進世界会長特別礼拝」が執り行われました。
 亨進様は、今回の震災によって多くの被災を受けられた方々をとても心配され、慰労と激励をされるために危険を顧みられずに日本へ来られました。
 始めに孝進様のビデオの上映があり、その後、献花及び崔妍娥様からの挨拶がありました。最後に亨進様から「神様と父母様の恩寵の前に、常に感謝し謙虚でなければならない」と語られ、真のご父母様を中心に新たな決意で再出発していきました。